静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画レビュー054: 『デスノート Light up the NEW world』

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監督:佐藤信

原作:大場つぐみ小畑健

出演:東出昌大池松壮亮菅田将暉戸田恵梨香川栄李奈藤井美菜船越英一郎中村獅童沢城みゆき松坂桃李松山ケンイチ藤原竜也 他

 

※少しだけ内容に触れてます

 

『淵に立つ』も『ダゲレオタイプの女』も『ぼくのおじさん』も『溺れるナイフ』も観れてないのにわざわざこの映画をチョイスしたのは菅田・池松見たさ以外の何者でもございません。

 

僕の場合映画の前2作は遥か彼方の記憶であまり憶えてないし、原作も未読。勿論ノートのルールもほとんど把握できてない状態だったので、ほどほどに頭は働かせながら観なきゃいけない。でも突っ込みどころが逐一気になる作劇で、ディティールを考えるのもアホらしくなってくる。「調理に手間がかかる上に歯と歯の間にめっちゃ挟まって食べづらいのにそんなに美味しくない料理」みたいな映画でした。例えが上手くなりたい。

 

お話は終始そんな感じだったのですが、池松壮亮が演じた竜崎は割に好きなキャラであります。本人のバックボーンは殆ど描かれないんですが、Lから継いだ意思を完遂させるという目的意識が行動や言動から一番感じられたからかな。キャラとしての落としどころもニクい。そんなことされたら好きになっちゃうだろと。実においしい。実質的に竜崎が主役だったと思ってます。出番も多かったので映画全体の印象が悪くないし、この映画の良心と言っていい。まあ言いたいことはあるけど。池松壮亮はフィクショナルな役も行けるんだなと幅の広さを感じた。

 

逆に菅田将暉演じる紫苑と東出昌大の三島が割を食っているというか。

 

三島くんはデスノート対策本部のエースと言われてる割にそういうことを感じさせるシーンがほぼないのが辛い。その上なぜデスノートを追うかの動機付けが同じ立場の竜崎と比べて著しく弱い。2人の天才に翻弄される受身の役であるにしても、それはキャラの弱さとは別問題だと思う。かと言って2人の引き立て役になってるわけでもないし。「じゃあ何してんだよ」と言われると僕も困る。東出昌大はやっぱ桐島やクリーピーみたいな役がいいよ、うん。

 

紫苑はサイバーテロリストとして笑っちゃうぐらい万能で、ノートの使い方でもっと天才ぶりを見せてくれよと思わずにいられない。これはデスノートの映画だからと小一時間問い詰めたくなった。超映画批評の人が「デスノートの強みはステルス性にある」と言ってたけどまあその通りだし、劇中の人物にすらそこを突っ込まれてたのでノートの扱いの下手さに関してはある程度確信犯だったのかもしれない。菅田将暉はもう安定感しかない。個人的には少し仮面ライダーWのフィリップくんを彷彿させる台詞があって嬉しかった。

 

紫苑はノートの使い方が下手、竜崎は予告でも言ってる通りLの意思を継いでノートは使わない、当然対策本部の三島も使わない。ノートを使った一方的な大量殺戮を行って悪目立ちした結果、主要人物にノートを狩られるという、まあ噛ませ犬的な立ち位置のやつらはいるんだけど、勿論知的とは程遠い。又はノートを奪取される過程のシーンをすっ飛ばされるキャラ等…(ちなみにここは小説版で補完されてるらしい)

 

結果として皆さんが仰ってる通り、「劇中で」「デスノートを使って」「頭脳戦」をする奴がいない。原作と映画前作の魅力はここじゃないんですか。魅力と言うか前提としてそういう話だろうし、観に来る人は大体思ってるはず。ここを削いでどうすんだよ。この映画のダメなところはここに尽きるでしょう。

 

だから、言ったらこの映画におけるデスノートは極端に言うとドラゴンボールみたいなものになっちゃってる。集める対象として偶像化されているというか。加えてノートが6冊あるのに早いうちに結局敵側と味方側に集まっちゃう。だから構図としては1vs1になってて、6冊ルールを活かせてる訳でもない。前述した通りノートを持った噛ませ犬が出て来るだけだから。シブタクがデスノート持ってるようなもんですよ。6冊ルールこそ連ドラでじっくり計算してやったら面白くなりそうだったのになー。勿体無い。

 

不満を上げ連ねる方が筆が進むし、文としても何か理屈が通ってる風なのが悲しい。そもそも映画という非言語的なメディアから受け取った、言葉にし難い感慨を具体化して共有したくてこういうブログを書いている訳で、簡単に文章にできたら僕にとってはよくないのである。やっぱそういう意味でも今年僕が観た映画達は質が高かったんだなと思う。前回の『永い言い訳』とかこの半分の文字数で10倍ぐらい時間かかったもの。

 

最後にこの映画を観ていて僕の頭に去来した小津安二郎の名言を貼ってシメたい。

「映画はドラマだ。アクシデントではない。」

新作映画レビュー053: 『永い言い訳』

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監督・脚本・原作:西川美和

出演:本木雅弘、竹原ピストル、藤田健心、白鳥玉季、池松壮亮山田真歩堀内敬子黒木華深津絵里

 

少し内容に触れているので観てない方は読まないことをお勧めします。

 

 

予告を見た時は①「シリアスで重たい話」、②「愛してない妻を失った夫が、その不在から想いを改める話」という印象を受けた。僕の場合(恥ずかしい話ですが)西川監督の作品も結局観ずじまいできてしまってたので、余計にそんな型通りの話が展開されるんじゃないかと疑っていた。まず全く違ったことを勝手にお詫びすると共に以下で弁明させて頂きます。

 

まず①だけど、現時点で映画館で観た53本作品の中でもかなり笑った方だった。特に竹原ピストルの強面をフル活用した緩急で笑わせる芸(?)は本当にうまいと思った。「笑い=緊張と緩和」ってこういうことなんだなあと感心した。そして見た目ばかりカッコ付けの自意識オバケの幸夫くんをここまで愛すべきキャラにしてるのはもっくん力なんだろうと思う。天国の妻二人も残された旦那二人のジタバタをケラケラ笑いながら見ているのではないでしょうかね。1番笑ったのは、妻の死を知った疎遠だったと思われる知り合いからの宗教勧誘の電話をバックに荒れ放題の幸夫くんの部屋が映されるところ。字面にすると全然笑えないけどね。

 

 ②。多分幸夫くんの妻への想いはラストまで変わらなかったと思う。しかし妻の死に何も感じない自分に嫌悪感は少なからず感じている。同じ境遇にも関わらず喪失感で滅茶苦茶になっている男が傍にいるから余計だろう。その「免罪符」としての子育て。しかも同じ境遇とは言え赤の他人の子どもの。その結果何が変わったかって自意識だと思うし、まあ、「人生は他者だ」の一言に集約される。

 

いや、要約すると本当面白くないですね。映画ってすごいね。他者を通じて自意識が変化するっていう点ではやっぱ『何者』とちょっと似てるなあと。こっちはアダルト版だけどね。劇場の年齢層はとても高かった。

 

関係ない極私的論だけど、人間は社会的な契約を結んで結婚相手という専属の他者を作り、その次に共通の他者としての子どもを儲けて…っていうのを繰り返してきてるんでしょうね。普通は他人の子どもにここまで入れ込むシチュエーションにならないでしょうからね。

 

ちなみに僕のベストシーンは竹原ピストルがトラックの車内で一人でカップ麺食べながら妻の留守電聞いてるところです。書いてて僕は孤食(飲)シーンが好きなのかもしれないと思いました。『恋人たち』のカレートースト、『オーバーフェンス』の唐揚げ弁当、『フォックスキャッチャー』の車内ハンバーガー&部屋での袋麺(?)、『秋刀魚の味』のバーでウイスキー→家で水、『グラントリノ』のビール、『海よりもまだ深く』の立ち食いそばなど。食事や飲酒と言えば食卓や会話が想起されるからなんでしょうかね。

 

新作映画レビュー052.5: 『何者』を観た就活上がりのSNS中毒者/ネタバレ有(後編)

感想前編(ネタバレなし)はこちら

http://qml.hatenablog.com/entry/2016/10/24/113331

 

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脚本・監督:三浦大輔
出演:佐藤健菅田将暉有村架純二階堂ふみ岡田将生山田孝之

 

 

 2回目を観てきたので内容に触れていきたいと思いますよ。観てない人は読まないことをお勧めします。

 

メインのキャラクター一人一人について書くことにしました。この文章がまた人の客観分析になっているという皮肉ね。

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拓人(佐藤健)

僕はこの映画を観た人5人から拓人に似ていると言われた。観ている時から自分でわかっていたのでノーダメージ、とはいかず、なんとも微妙な気持ちになる。

 

彼は自分が他人にどう思われているかということに対して臆病になる余り、率先して自分が他人を観察、評価しようとしている。先に動いて叩かれるより、後で動いて叩く方に回ってしまった人。(瑞月(有村架純)が隆良(岡田将生)に対して心情を吐露した後、すかさず追い打ちをかけてからその後を追って部屋を出ていくのとかもう後出し祭りで笑ってしまった。)

 

そして自分の分析が人に共感されたり、それを求めてフォローされる(フォロー数<フォロワー数である)ことが気持ちよくて仕方ない。すごくわかる。何人が自分の言葉に耳を傾けてくれてるか可視化されてる世界にいるんだから、求めたくもなるさ。SNSにおけるやり方が違うだけで隆良と理香にも言えることだけど、それは自信のなさの表れでもある。いつでもどこでも指先を動かすだけで人から認められた気分になれる。だからスマホが手放せないんです。

 

皮肉だなあと思ったのは、瑞月に実は「考え事をしている時眠るような姿勢になること、そして裏アカで周囲の人々の客観評価をしていること」をまた観察されていたこと。その上で自分を認めてくれた瑞月の言葉に涙する辺り複雑。瑞月に関しては演劇を見に来た時にちゃんと「面白かった」言葉にして言うべきだったとも思う。

 

冒頭の学科のクラスの新入生コンパで示されているけど、自分にできないことをする人を素直に羨ましいと思えるか、斜に構えて否定するかで何か変わるんだろうなと思ってしまった。真逆のスタンスの瑞月に惹かれるのもわかる(瑞月が光太郎に惹かれるのもまた自分にないものを持ってるからだと思う。後述。)。そういう人にこそ一番認めて欲しいんだろうなあ。

 

彼が暗いビルから明るい陽が差す外に出ていくラストシーンは本当に大好き。予告編の時点で「今のカット良いなあ」と思っていたので、この映画にハマったのは必然だったのかもしれない。

 

ちなみに、大学の喫煙室で隆良と拓人が喋っているところにサワ先輩がやって来て拓人だけを連れ出し、サワ先輩は室内(喫煙室の外)にタクトを置いて陽が差す屋外に出て行くシーンはこのラストの伏線と解釈したんですが如何でしょうか。

(追記:ソフトが出たので三浦大輔監督と原作の朝井リョウのオーディオコメンタリー版をみたらそういう意図の演出だったと監督が言ってた。嬉しい。室内にある透明な箱型の喫煙所を探すのが大変だったらしい。)

 

 

瑞月(有村架純)

瑞月が光太郎に惹かれていたのは、自分の人生を、自分が主人公である物語としてきっちり生きられる人だから、なのだと思った。

 

就活で超大手に内定が決まったという結果は関係なく、家庭環境に翻弄されて自分の志望を貫けなかった彼女にとって、「思い人に仕事の場で再開できるかもしれないから」という到底現実的とは思えない理由で自分を決められるような光太郎は余りに眩しい。

 

そういう芯の強さのようなものを就活以前から感じ取っていたのだろうと思う。それが就活で決定的なものになり、そういう光太郎に自分はふさわしくないと結論づける…おーんおーん。

 

そういうのもあって隆良に対する心情吐露の場面は辛い。前にも書いたけど「私たちはもうそういうところまで来たんだよ」という言葉は、同じようなことを思っていただけに響いた。こういう子が幸せになれなきゃこんな世界はクソでしょ。

 

 

光太郎(菅田将暉)

天真爛漫で憎めないアホを演らせたら菅田将暉に勝る人はいないのではないかと思う。

 

こういう遊び人ほど就活を順調にクリアしていくというのは割と聞く話ではある。対外的なスキルや容量の良さが関係しているんじゃないかと勝手に思っている。

 

「結局自分は就活が得意なだけだった」と虚しさを噛み締めながら語る横顔は印象的だけど、いやでも恐らく(中小の出版社ということを考えると)年収や労働条件をある程度犠牲にして夢を追った君は眩しいよと僕も思うし、君は会いたい人に会えるんじゃないかとすら思う。何にせよ頑張って欲しい。

 

あと僕も出版社の説明は何社か受けたんだけど、やっぱりどこも口を揃えて読書量は必要だと言ってた。彼は読書してるイメージがないと言われてるし、読書してるシーンもないけど、実際どうなんだろう。

 

 

理香(二階堂ふみ)

「○○しないと立ってられないの」が度々ネタにされている、というか意識高い系自体がネタにされている中で迫真のピエロぶりを見せてくれた二階堂ふみにとりあえず拍手。

 

そんな訳で僕は完全に拓人と同じ目線で小バカにしながら観ていたので、拓人に詰め寄るシーンは恐ろしくて仕方なかった。現実のSNSでも個人的にバカにしてる類の人に、フィクションの中で「お前私たちのことバカにしてるだろ?」と詰め寄られる体験はもう絶対忘れられない。そうかと思えば、「SNSで努力自慢しないと立っていられない程の不安を抱えて生きてる」ということを全力演技で示されて切ないやら申し訳ないやらで、観ていて本当に疲れた。

 

グループディスカッションで流れをぶった切って唐突に自分語りを始めるシーンは、極端にデフォルメしてはいるものの、自己PR意識の暴走を端的に描いた名シーンだと思う。やっちまった感が高すぎて見ていて一番キツかった。グループディスカッションで人の話を聞かずに自分の意見を喚き散らす奴は実際いる

 

ちなみに僕はグループディスカッションの時、そういう人をフォローしたり意見を整理したり、思いつけばたまーに新しいアイディアを出したり、ここでも後手後手の拓人ぶりを発揮していたのを思い出したのもまた辛かった。

 

 

隆良(岡田将生)

臆病者その3。

 

就活を回避するための薄めの理論武装が痛々しいサブカル男子を装っているが、実際不安なので隠れて就活をやっている人。ただ1時間前に面接会場にくる辺り根は真面目なのだろうから憎めない。多分彼のとしては「周囲と同じでいたくない」というのは本音。逐一SNSで他人を気にしながら生きているから、相対的に自分はそことは違う線を行きたいという願望はあるのだと思う。

 

ただ彼も瑞月の言を受けてそっちの道を捨てたのだとするとやっぱり少し寂しい。彼が就活に悪戦苦闘するスピンオフが見たいような見たくないような。

 

美術館の「フリーペーパー」の原稿というのがまた絶妙。

 

 

烏丸ギンジ

この映画における超越存在。ネットの酷評を意に介さず、月1で舞台公演を行う勇者。自分も時折挿入される彼の舞台は正直ルックとしてダサいなと思っていたけど、途中の彼のツイートにはジーンと来るものがあったし、それ以降は全面的に応援していた。

 

結局勇気を出して「やる」奴が勝つし、偉い。

 

「リスクは負うものではなく取るものである」というのは内田樹の言だけど、意識的にリスクを取って行動しなければ何も得られないのだなと改めて思った。いや、彼は劇中では多分何も得てないけど、多分得るんだろう。その背中を押したのが拓人っていうのもまたねえ。彼もまた努力や人脈自慢をしないと立っていられない類の人であるというのもまた辛いけど。

 

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個人的に刺さりすぎてまともな文は書けなかったので、人物毎に思うところを述べてみました。いつも以上にまとまってないのはご容赦願います。

 

や、シンゴジラを抜いて今年ベストです。

 

 

新作映画レビュー052: 『何者』を観た就活上がりのSNS中毒者/ネタバレ無(前編)

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脚本・監督:三浦大輔

出演:佐藤健菅田将暉有村架純二階堂ふみ岡田将生山田孝之

 

 

この映画は個人的な琴線に触れまくっているのでまともな感想にはなっておりません。ちゃんとした感想は日を改めてネタバレ有で別に書きます。

 

初めて予告を目にした時から「これは絶対良いでしょ……てか良くなくても俺が観なきゃじゃん……」という謎の義務感に駆られた。なぜなら僕は就活を終えた直後の大学生で、Twitter中毒者で、映画が好きだからだ。

 

予告の「青春が終わる。人生が始まる。」というフレーズも、なんだか同じようなことをぼんやり自覚していただけに妙に刺さるものがあった。つまり、青春なんて呼べるほどキラキラしたものではなかったけど、人生で一度の学生時代が終わろうとしていて、これから親の庇護を離れていくにつれ、本当の自分の人生が始まるんだなあという漠然とした実感がうっすらあったということなのだろう。

 

就職が決まって得たのはとりあえずの安心感だけだった。嬉しくはなかった。不本意な会社に入る訳ではない。第一志望の業界ではないにしても、今の会社にした理由を挙げろと言われれば本心で10個ぐらい挙げられる。だけど嬉しくはない。

 

何故かと言われれば、一重に僕の人生が大方確定してしまったことへの落胆が大きい。若いのに悲観的すぎると思われるかもしれないが、最早、少なくとも「何者にもなれる」時期は終わってしまったという切なさに似た感情の方が大きかった。大体決まっちゃったなっていう。だからこそ有村架純演じる彼女の「私たちはもうそういうとこまで来ちゃったんだよ」というセリフは強烈に響いた。彼女の境遇なんかも考えるとやり切れない。宇多丸が評論で「青春とは可能性が開かれていること」と言っていたけど、それも身を以て実感している最中ということかもしれない。

 

SNSの話。何の自慢にもならないが、Twitterは2009年5月25日からやってるから7年半経っているから、青春(と便宜上言っておく)時代の大半をTwitterと共に過ごしているということになる。僕の場合、Twitterは基本他人に言いづらいことを言ったり、共有できる人が少ない趣味の話をするため匿名で利用している。

 

だから実生活であったことを、140文字以内にまとめてアウトプットすることで、物事を客観視できてるつもりになっちゃう。いや実際してない人よりはできてるのかもしれないけど、それで何かがわかってるからといって現実にフィードバックされて良い結果に繋がる訳ではない。わかってることと実際にできることとは違うし、少なくとも「就職活動における自己分析」とそれは全く違う。僕は「就職活動における自己分析」も全くできてなかったですけどね。

 

 で、やっと大学入ってから(完全に人付き合いのために)実名でSNSを始めた。そうすると投稿の大半を占めるのが食べ物、人間、動物の画像とそのキラキラした説明(ついでに変なハッシュタグが大量についてる)。そういうのは興味がなきゃすっ飛ばすだけだし良いと思えばいいねなりするだけなんだけど、中でも正直鼻に付くのは努力自慢、人脈自慢。すかさずミュート(Instagramさんも早くミュート機能お願いします)。僕は無茶苦茶ダサいと思ってるし、何より日々何も努力してない自分が嫌になるので速攻ミュート。

 

ただこの映画はそっち側の人たちのことも描いてて、それは僕が1番嫌いな人種のはずなのに、その人たちのシーンが1番キツかった。「やめてくれよ、そんな言い方されたらもう嫌いでいられないじゃんか」という気持ちになった。最強に傲慢な言い方をさせてもらうなら、ちょっと寛容になれた。まあミュートは解除しないけどね。

 

今から2回目を観てくるので取り急ぎ、この映画にざわつかされた自分の気持ちを書きなぐってみました。

 

ネタバレ有りの後編に続く。

http://qml.hatenablog.com/entry/2016/11/06/162959

 

 

 

 

 

新作映画レビュー051: 『怒り』

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監督:李相日

出演:森山未來綾野剛松山ケンイチ広瀬すず妻夫木聡宮崎あおい、佐久本宝、池脇千鶴、水澤紳吾、ピエール瀧三浦貴大高畑充希原日出子渡辺謙

原作:吉田修一

音楽:坂本龍一

 

八王子で起きた夫婦惨殺事件の犯人の情報がテレビで報じられる中、東京、千葉、沖縄に現れた3人の素性不明の男と、それぞれ巡り会った周囲の人物たちの話です。

 

「(ほぼ)交わらない3つの話が並行して語られる日本映画」と言えば橋口亮輔監督の『恋人たち』を連想します。ラスト付近、3人の主人公たちの独白が数珠繋ぎになるクライマックスとも言えるシーンの連なりを観ながら僕は「この映画はコミュニケーションを巡る話なのだなあ」とぼーっと思っていました。

 

本作も同じような感覚で、(僕にしては珍しく)観ている途中に「人を信じる」というテーマがうっすら去来していました。まあ同じテーマのお話を3つ語ってるんだから伝わりやすいのは道理なんでしょうけど。

 

また、「ミステリー的な見出しで興味を惹かれて観てみたらそこはメインじゃなくてメッセージ性の強い映画だった」という意味では『明日、君がいない』を想起しました。こちらは「冒頭に誰かが自殺→それぞれ悩みを抱える高校生6人の群像劇→誰が死んだかわかる」という流れで、推理による興味の持続を頼りに映画を観ていた当時の僕は、観終わった後とてもヘコみました。なぜかは観て欲しいので言いません。

 

映画を観てる時は基本的に頭空っぽなので、テーマが頭に浮かんできたり、似てる映画を連想したりすることがほぼないのでちょっと嬉しい。

 

演技はほとんどの役者が素晴らしい。メインビジュアルの6人は勿論、オーディションで沖縄の男子高校生役に選ばれた佐久本宝くん、キーマン水澤紳吾さん、ゲイパーティーシーンで素晴らしい裸体を見せつけながら妻夫木くんの匂いを嗅ぐ(!)岩永洋昭さん、そして高畑充希ですよ。何あの目線の動かし方。正直「梅酒のCMやってた可愛くない人」というイメージしかなかったので驚きました。個人的に渡辺謙が町内に娘の噂が広まってることを松ケンに話すシーンと並ぶぐらい、彼女の語りのシーンは良かった。あと『マイバックページ』でも思ったけど妻夫木聡は泣く演技が上手ー。

 

犯人の物語は、ある種人に裏切られたことに端を発していました。その結果、殺人という方法でまた別の人を裏切る。その後彼が何かを信じたのか、何かを裏切ったのか、役者の演技によって、観客が考えながら観られるよう昇華されている点が映画的だと思う。

 

重たいのでもう観たくはない…けどもう一回観ながら考えたい…。

 

新作映画レビュー050: 『SCOOP!』

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監督・脚本:大根仁

原作(映画):原田眞人

音楽:川辺ヒロシ

出演:福山雅治二階堂ふみ滝藤賢一、吉田羊、斎藤工塚本晋也、中村育二、松居大悟、リリー・フランキー

 

 特報の時から割と楽しみだったのは川辺ヒロシ氏の音楽によるところが大きかったかもしれない。ぼやけた夜のネオンを背景になんかスローでカメラを構えるくたびれメイクの福山雅治もかっこよかった。何より監督の前作『バクマン。』にやられたのでね。やっぱり。

 

東宝のロゴにデリヘル嬢の喘ぎ声が乗っかってるところに「もうこの映画はこういう感じで行くんでよろしくね」という大根仁の宣言を聞いた。からのドローンを使った長回し撮影もとってもワクワクした。大根仁はドラマ「東京都北区赤羽」で動いてるところを見たというのがあって、作品を観てると顔が透けて見えてくる時があるのだけど、このシークエンスではなんかニヤニヤしながらモニターチェックしてるんだろあなあとか思った。楽しそうでよろしい。ちなみに北区赤羽はその大根仁の回が1番面白かった。

 

楽しそうと言えばチャラ源と静さんが一緒にいるシーンは始終二人が屈託のない笑顔でイチャイチャしていてとても良かった。作中で「大きな借り」について言及はされないけど、現在の関係性だけで「大きな借り」があるから一緒にいるという以上の友情が育まれているのが伝わってきて微笑ましい。

 

各所でレビューを見ていると欠点の指摘は多々ある上に、そのほとんどが納得できてしまう。でも嫌いじゃないのは絶対的福山雅治力。彼が演じる都城静がこの映画そのものと言えるような存在感。無神経で時代遅れで臭そうだけど憎めはしない。戦場カメラマンに憧れてカメラを手にした少年の末路としてのパパラッチをやり続ける中年の悲哀。自分は何者にもなれなかったから次の世代の可能性に繋ぐ。そうやって知識や経験は継承されていくんだなあ。

 

まあただ多くの人が言い過ぎてて言いたくないのを差し引いても言わせて欲しいのは二階堂ふみのおっぱいは出せやということですね。いや真面目な話おっぱいはともかくもっとベットシーンやるならやるでもっとそれっぽくしろやっていう。ただでさえ話としては必要ないのにそんな中途半端なもの見せられても萎えちゃいますよそれは。

 

あと『バクマン。』の小松菜奈もそうだったけど紗かかりすぎだろ!山崎あやの500のことか!

 


松本浜田 山崎あやの500

 

 因みにやや年齢層高めの映画館はちょいちょい笑いが起きてて良い感じだった。僕の真後ろにいる40ぐらいのおじさんが特によく笑ってたので、終映後振り返った。すると隣に10歳ぐらいと思われるお子さんがいた。もっと他にあっただろ!でも良いよ!好き!

 

新作映画レビュー049: 『ハドソン川の奇跡』 と9.11の記憶。

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監督:クリント・イーストウッド

脚本:トッド・コマーニキ

出演:トム・ハンクスアーロン・エッカートローラ・リニー

 

 

本作はクリント・イーストウッドが2009年1月にアメリカで起こったUSエアウェイズ1549便不時着水事故をベースに作り上げた劇映画です。機長のチェズレイ・サレンバーガー(サリー)と副機長のジェフリー・B・スカイルズは(最近また話題の)国家運輸安全委員会に「水上の不時着(査問の時点では墜落扱い)リスキーな判断は正しいものだったのか、空港への不時着が可能かつ適切だったのではないか」という旨の査問を受けることになります。物語は事故から数日後、サリーが自分の操縦していたエアバスが市街地に墜落する悪夢から覚めるところから始まります。

 

公共交通機関の事故は案外数が思い出せる。あれば大きく取り上げられるからなのだと思うけど。最近の飛行機事故だと2015年に台湾で街中の川に53人の乗客を乗せた飛行機が墜落し47人の死者を出したトランスアジア航空235便墜落事故なんてのもあった。

 


航空機事故映像 台湾機墜落 高速道路に直撃 ドライブレコーダーから撮影 Taken from the hit drive recorder in Taiwan machine crash highwa

 

韓国では船が沈み、アメリカではつい先日列車が脱線し、日本だとバスが崖下に落下したり。30年前には日航機事故、10年前には福知山線脱線事故もありました。

 

決してそれらの事故を比べる訳ではありませんが、そういった中でも世界中に衝撃を与えたのが2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件でしょう。僕も当時物心ついたばかりの子どもでしたが、その日の朝のことははっきり記憶しています。いつも通り自室からリビングへ階段を降りていくと、階段を降り切る前に母が走ってきて、僕に高層ビルに飛行機が突っ込む直前の画像のみが一面に印刷された新聞を突き出してきたのです。ズームインの羽鳥さんとか母のただならぬ様子から子供ながらに大事が起こっているということはわかりました。

 

「はっきり記憶しています」と言いましたけど、それはこの映画を観た今となってはの話かもしれません。この映画の冒頭、前述したサリーの悪夢のシーンを見たとき、あの日の朝のことを強く想起しました。太平洋を挟んだ向かいの島国の子どもですらこうなのだから、アメリカ人には刺激の強いシーンだったのではないでしょうか。冒頭にそういうのを持ってくる辺り、「あの事件を意識してこの映画を観て欲しい」というイーストウッドの狙いが見えてくるような気がしました。

 

だからこそ中盤、ある人物がそのことについて初めて台詞で触れるシーンはグッときました。そのこと自体もそうなんですが、あくまで軽く匂わせる程度のワードに留めているところにもスマートさを感じます。あそこで「我々はあの9.11で~」なんて普通の映画ならやりそうですけど、そうしないところに老境の余裕というか、そういうものがある。そういうクドいシークエンスを削った結果尺を96分に収めているところは本当素晴らしいよ。日本の老人みたいに説教臭くないのが偉いよ、イーストウッド

 

「その国が抱える過去のトラウマを、別の物語を走らせながら間接的に扱う」という意味では『君の名は。』を思い出しました。本作が実写で実話ベース、過去のその事件に今が希望を与えるというのに対して、『君の名は。』では極めてフィクショナルなアニメーションで、その事件が起こる未来を変えるという風に据えている。この対比がちょっと面白い。

 

話は逸れましたが、そういう重たいテーマを抱えている話でも、ラストの副機長の台詞だったり、さり気なく自身の過去作をカメラに写したり、ユーモアを忘れない余裕に安心感があって、観客を、特にアメリカ人を励ますために残り少ないであろうフィルモグラフィの中にこの作品を遺したかったのかなと少し思いました。素晴らしいー。