静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画067: 『ドラゴン×マッハ!』

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監督:ソイ・チェン

出演:トニー・ジャーウー・ジン、サイモン・ヤム、ルイス・クー、マックス・チャン 他

 

 

前回ラ・ラ・ランドを大阪で観た流れで、その足で名古屋のシネマスコーレで鑑賞してきやした。名古屋に行くと伝えたところ無人島キネマのウシダトモユキさんが誘ってくれたのです。新宿でやってた時行けなくて悔しかったんですよねー。あと強く推してくれたペキンパーさんもありがとうございました!

 

トニー・ジャーの出演作だと『トム・ヤム・クン!』が110分アドレナリン出っ放し状態であへあへ言いながら観ていた記憶がありますが、あれは「誘拐された象を取り戻す」というマリオ並の単純なあらすじでした。アクションを見る映画だから全く不満はないしむしろこれで良いぐらいに思っていた。

 

驚いたのは物語が実に複雑だったこと。加えてメッセージ性が高く、こっちに問いかけてくるような社会的な問題を孕んでさえいるので、観てるこっちまで力の篭るアクションで振り回されたのも相まってカラッと楽しめる感じでもなかった。

 

とは言え要所要所でそういう(ぶっちゃけ)だるさをアクションの見せ場で吹っ飛ばしてくれるのは流石のアジアンアクションムービー力。特にマックス・チャンが演じたラスボスはただでさえ生身の人間とは思えないトニー・ジャーウー・ジンすら圧倒する演出が見事だった。彼のとあるアクションで隣のおじさんが「うおっ」と声を出していたのが印象的。シネマスコーレの猛者達ですら声を漏らしてしまうレベルだったのだ。確かにあのムーブには舌を巻いた。

 

さっきカラッと楽しめる感じではないと書いたけど、ラスボスが圧倒的に強くて悪くてかっこいいことと、守るべき愛娘が圧倒的に可愛くて幼くてたまらんことだけで単純な二項対立が保証されていて、後の細いところはプラスアルファの部分ということで今は納得(?)している。長回しのアクションシーンのカメラワークなど見るべきなところがめちゃ多い。とても良かった。

 

 

新作映画066: 『ラ・ラ・ランド』

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 監督:デイミアン・チャゼル

出演:エマ・ストーンライアン・ゴズリング、キャリー・ヘルナンデス、ジェシカ・ローゼンバーグ、ソノヤ・ミズノ、ローズマリー・デウィット、J・K・シモンズ、フィン・ウィットロック、ジョシュ・ペンス、ジョン・レジェンド

 

※若干内容に触れます

 

大阪は万博記念公園の側にある109シネマズ大阪エキスポシティでIMAXwithレーザーというIMAXのすごいやつで観た。幸運にも元々計画していた大阪旅行の初日が公開日だったので。

 

期待が高かったのは否めない。やっぱりTOHOシネマズ新宿の営業初日に観た『セッション』には、始終半開きの口から涎がたれかける程度に度肝を抜かれたから。ただミュージカル映画は本当にほぼ観たことがなかったし、フォーマットにあんまり合わなそうというぼんやりした不安もあった。

 

とりあえずアバンタイトルで懸念が吹き飛ばされた。無人島キネマ(イントロダクション - 無人島キネマ)のウシダトモユキさんも言っていたけど、音楽に乗せて楽しそうに歌ったり踊ったりする映像を見ると泣いてしまうタチなのかもしれない。『ジャージー・ボーイズ』のエンディングでもそうだった。開始1分で号泣したし、これでタイトルがロサンゼルスの空に出て終わりでも良いぐらいだった。「お、オレは凄いものを今見ているッ……」という実感が心の底から湧いてきて、そんな光景が司会を覆い尽くしている。純然たる多幸感だった。映画館で映画観るのって最高だなと思えた。

 

予告では「夢を追う二人のサクセスラブストーリー!二人で頑張ってハッピー!」みたいな感じだと思っていた。アバンの勢いでガーッとやってワーッと終わればいいなとナメた鑑賞態度でいたけど、今振り返れば紛れもなく『セッション』のデミアン・チャゼルの映画だったんだと居住まいを正される。

 

なぜかと言うと「夢を追うことで失うもの」から目を逸らさない姿勢が共通していると感じたから。『セッション』は失いまくって突き抜けた結果おかしなことになっていたところが魅力的だった。そういう因果地平を振り切った二人の神々の戦いを眺めているような気分になった。

 

対する今回の二人は間違いなく自分を取り巻く現実と向き合い通していた。結果別々の道を行った二人が再会した時「もしもあの時こうしていなかったら」という儚い夢を見る。間違いなく夢を追うことで二人一緒の時間は失われてしまった。でも、特にゴズリン力が大爆発していた二人の別れ際の表情で全て報われる感じがした。夢を叶えた人(或いは叶えられなかった人、持たない人)が夢の代わりに見る過去の美しい記憶になっていくのかもしれない。

 

ただ自分の人生を参照して語ったり、夢に対する持論を展開したりしたくなるような熱が上がる作品ではなかったことは否めない。とても素晴らしい作品なのは間違いないけど俺のではないかな、という。この監督、次作は本作のライアン・ゴズリングと宇宙飛行士の話をやるらしい。どんなことになるのか。マストで追いかけたい人であるのは間違いない。

 

 

新作映画065: 『たかが世界の終わり』

 

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監督:グザヴィエ・ドラン

出演:ギャスパー・ウリエルレア・セドゥーマリオン・コティヤール、バンサン・カッセル、ナタリー・バイ 

 

 

「たかが世界の終わり」とか言うので無数にある並行世界を管理するギャスパー・ウリエルが一つの世界の終わりを家族とやるせなく見届ける話かと思ったらそうでもなかった。何らかの理由でもうすぐ死ぬギャスパー・ウリエルが家族にそのことを告げるために12年ぶりに実家に帰る話。

 

原作であるジャン・リュック=ラガルスの舞台版は「まさに世界の終わり」という題が添えられている。「たかが〜」と「まさに〜」では受ける印象がかなり違う。前者は「うん、まあ、終わりだな」ぐらいの感じに思える。後者だと「おしまいだ!!世界の終わりだ!!」とか、何となく絶望感のあるニュアンスがあるような気がする。

 

今作に関しては「たかが世界の終わり」という邦題が合っていたと思う。なぜかと問われたら「諦念」が感じられるからだと答えたい。人が死ねば恐らくその人の世界は終わる。「たかが」という言葉は物事を小さく見たい時に使う。「たかが世界の終わり」という作品には主人公にとっての全ての終わりすら些細なものだと思わせる諦念が漂っていた。

 

何が彼をそのような境地に導いたのか、僕らはスクリーンを凝視して考えるしかない。もっと言えばこの映画は基本スクリーンで現在進行形で起こっていることしか映さない。その中で台詞の端々や、印象的に挿入される思い出の曲をバックにした短いフラッシュバックがある。これが「なぜこんなことになってしまっているのか」という想像力を掻き立てる。ルイや家族が今に至る明確な正解がある映画ではないと思う。そういうところに観客それぞれの生い立ちや家族観が介入してきて味わいが増す。とても映画っぽい映画だと思った。例えば兄貴がルイに強く当たるのは、地元で工具を作ってる自分に対し外の世界に出て活躍する弟へのコンプレックスなのかもとか。

 

僕個人はラストまで見てルイくんをとても応援したい気持ちになった。動物だって家族のいないところでのたうち回って死ぬかもしれないんだから、同じ人間だってそうでいいと思う。家族に何でも言えて、家庭がこれ以上ない安息地というのは良いと思う。そうでなければ別の場所にそういうのを求めればいい。別の港に船を寄せればよい。僕にはそういう風に見えた。作中では説明されないけど、ルイくんは12年そういうのを気持ちで外の世界に接してきたから名うての劇作家になれたのかもしれない。

 

余談。僕の周りに3兄弟の真ん中の人がいるが、結構中立の立場というか、上と下の兄弟、両親の雰囲気を読んで立ち回る立場になりがちらしい。集団の場での自己主張は強くなく、人に合わせることが多い。彼は(妹はまだ小さかったとは言え)そういうのに嫌気が指したのかもしれない。

 

別にとても面白く見たとか特別好きって訳じゃない。でも考える上で自分の人生や境遇を参照し確認する必要がある映画。小津安二郎作品の後味にちょっと近いかもしれない。こうして振り返ると味わいが増す。27でこういうのが撮れちゃって見せ方も印象的なところがある。『マザー』はいまいちピンとこなかったけど、ようやくグザヴィエ・ドランの凄みに気付けたかも。あとギャスパー・ウリエルはかっこよすぎて嫉妬。

 

新作映画064: 『ザ・コンサルタント』

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監督:ギャビン・オコナー

出演:ベン・アフレックアナ・ケンドリックJ・K・シモンズジョン・バーンサルジョン・リスゴー

 

 

 ナメてた会計士が殺人マシーンでしたモノ。しがない田舎の会計士のクリスチャン・ウルフには実は世界の危険人物の帳簿を仕切り、狙った獲物は外さない凄腕スナイパーという裏の顔があったのだッッッ……!!!

 

これだけ見るとなんかたまにあるやつ風ですけど。『イコライザー』とか、まあスパイダーマンとかスーパーマンとかもそうっちゃそうだし。しかし今作で特徴的なのは彼に「高機能自閉症」という設定が添加されているところかと。

 

わかりやすく1シーンを挙げるなら、幼少期から裏返しにしたジグゾーパズルを完成させられるほどの空間認識能力を持つが、一つのことを終わらせないとパニックを起こしてしまうので、ピースの一つが見当たらないことで同様の症状が起きてしまうシーンなど。ちなみに真っ白なパズルを作るっていうのはJAXAの宇宙飛行士の試験で実際にある。宇宙兄弟で読んだ。それだけスゴい能力を持っているのだ。

 

 そんな彼がそのワザマエで悪代官をバスバス撃ち殺す痛快な映画なのかと思われがちな気がするし、僕もそんなイメージを持っていた。が、見ているとなんかおかしい。おかしいというかあまりに淡々としすぎているので逆にびっくりした。効果音で言うとモソモソしている。なんかモソモソモソモソしていた。

 

初めて実力を発揮するシーンもシチュエーションと描き方のせいでどこかぬべーっとしている。とにかくヒロイックに描こうとしていない。ただしかしウルフがやっていることはこれ以上ないぐらいヒロイックである。僕は「これ以上ないぐらいヒロイックなことをあまりヒロイックに描かない」というところにまず惚れた。

 

僕にはこのあまりに素直で飾らない描き方がウルフの朴訥で実直な人柄にも重なるようで、とても好みである。

 

そして何よりこの作品が素晴らしいと思うのは、「高機能自閉症」というレッテルを「確かな人物の個性と魅力」に転化しているところだ。「障がいがあるから応援したい」などという(どこかの国の感動ポルノよろしく)短絡的でクソな上から目線に立たせることなく、単に得意なことも多いが苦手なことも多い、尖った個性的な一個人として接することをさせてくれる。症状の総称としての名称は必要でも、それ以上でもそれ以下でもないということを気付かせてくれる。クリスチャン・ウルフという人物の裏表、過去と現在を描くことで、それらの全てが一つとなっているのが今の彼自身であるということを実感する。それがつまり人間を描けているということなのだと思う。

 

僕はこういうふわっとしたことしか書けないのですが、張り巡らされた伏線や人物関係などがいまいち把握し切れずネタバレ有の解説記事などを読むとなんとよくできたお話かと驚かされました。同時に自分の理解力の低さに泣いた。余談ですが『裏切りのサーカス』とか『マーシュランド』とか、説明的でない映画をきっちり脳内処理できるようになりたいです。

 

割とあらゆる面で素晴らしい作品。オススメ。

書いてたらもう一回観たくなってきた…。

新作映画063: 『マグニフィセント・セブン』

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監督:アントワーン・フークア

出演:デンゼル・ワシントンクリス・プラットイーサン・ホークイ・ビョンホン、ビンセント・ドノフリオ、マヌエル・ガルシア=ルルフォ、マーティン・センズメアー、ピーター・サースガード、ヘイリー・ベネット 他

 

 

※内容に触れてるのでこれから観ようという人はあれしてください

 

滑り込みでやっと観られた。それだけにレコメンが遅くなってしまったのが悔やまれる良作でした。正直『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』とかあんまりピンとこなかったけど『グッドバッドウィアード』は好きぐらいの西部劇弱者ですがこの作品は十分楽しめました。リテラシーとか関係なく面白いよ。

 

評判の高さと尺の長さから割と身構えていたのだけど、期待以上に満足。『七人の侍』フォーマットの中でコンパクトにまとめられていて、過不足なくちょうど良い感じを受けた。個人的に黒澤明御大の原典はさすがに尺が長すぎると思ってるので、多少リクルートシーンがあっさり目でもこっちの方が好みではある。

 

やっぱり掴みというのは大事で、アバンタイトルでノせられると「いいねいいね〜」と口の端が釣りあがってしまう。本作においては金採掘の権利を有するボーグ氏一味が平和だったであろう街のメインストリートの突き当たりに位置する教会で悪虐非道の限りを尽くすシーン。

 

特にボーグ氏の初登場のタイミングが絶妙。街に住む若者がボーグ氏と戦おうと勇ましい声を上げると、それに賛同する人が現れ…ようとするところにバーンと大見得を切って登場。一目で悪党とわかる上に、手に持った謎の小瓶が一層不穏感を煽る。子どもにそれを触らせるところでそれがピークに達すると一転、ただの塵であることがわかる。「なんだ」と思っているとそこからボーグ氏が自らの目的を高らかに宣言、住民たちは十分な金も与えられず街を追われ、さもなければ命を取られることがわかる。こいつ、腐ってやがるッ…と憤る間も無く神父を始めとした村人は教会を追われ、教会は炎に包まれ、声を挙げた若者をはじめ無辜の住人たちは殺害され…。

 

あまりの仕打ちにこっちまで悲しくなってきたところにタイトル。この無念を晴らしてくれと祈らずにいられない瞬間。アバンタイトルでお膳立ては完璧。多少ガンマンたちの動機が弱くてカタルシスが薄くても、それを補う悪役演出、お見事です。

 

続くデンゼル・ワシントン演ずるサム・チザムが荒くれ者たちのたむろする酒場に現れるシーン、こちらまで固唾を飲んで見守ってしまう。騒いでいたガンマンたちが静まり返り、思わず懐の銃に手をかける数カットがたまらない。電車に乗ってる時にヤバそうな奴が乗車してきた時の空気感に似ていた。

 

サム・チザム(声に出して読みたい英語)に関してはこの導入から最後まで描き方がいちいち完璧にキマっていた。早撃ちがマジでこっちにまで見えなくて笑ってしまった。あの乗馬しながら真後ろの敵を撃つ動作も真似したくなる(できない)。この人のネタバラシに関してはまああってもなくてもいいと思う。僕はベタながらこの人推しですね。あとインディアンも好き。

 

ヘイリー・ベネットのヒロインもこちら側に表情の変化で訴えてくる演技が見事でした。ボーグ氏の演説を聞いている時や彼氏が声を上げた時に見せる不安げな顔とガンマンたちの前で見せる男勝りな顔のギャップ。でもやっぱりお墓の前で泣いちゃう感じ、守りたい。ちょっとソバカスとかあって幼顔なのもグッとくる。素晴らしい。

 

セットや衣装、ロケーションがリッチで眺めているだけで満足感があり、銘々キャラも最高。総じて申し分ない、過不足ない、滅多にない、ないない尽くしの秀作だと思います。オススメ。

新作映画062: 『ドクター・ストレンジ』

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監督:スコット・デリクソン

出演:ベネディクト・カンバーバッチキウェテル・イジョフォーレイチェル・マクアダムス、ベネディクト・ウォン、マイケル・スタールバーグ、ベンジャミン・ブラット、スコット・アドキンス、マッツ・ミケルセンティルダ・スウィントン

 

 

どうも。なんか皆騒いでるからと半ば義務感で観たキャプテン・アメリカの新作がヒーローバトルだと聞いて映画館に行った結果目を見開かされた者です。いやシビルウォーは本当に最高だった。脳みそが特撮ヒーローが好きだった頃の(今でも好きだけど)純粋な幼稚園児に戻っていた。

 

なので本作がMCU作品を映画館で観るのは2回目なんだ。立川シネマシティの極上爆音で観て、ビルが曲がるたびに背もたれが音で揺れる体感はやっぱり迫力あったね。でもIMAX3Dで観たいなぁーこれは。2Dで観ながら「これは3Dやー」ってすごく思ってしまった。

 

や、ただもう一回観に行くかと言われればそれは否。断じて否。

 

ストレンジが魔法使いとして成長していくシーンが最初以外ほぼないのがまず残念。予告にもあった「研究と実践」をしっかり見せてくれるのではないかと期待していただけに。修行シーンって面白くなるじゃん。NARUTOの螺旋丸の修行とか超ワクワクしたじゃん。主人公に言わせたんだからそこは見せてくれよ。雪山からゼエゼエ言いながら出てきた時は結構がっかりしたよ。ペッパーポッツが部屋の前で時計見てたらいきなり社長が新しいアイアンマンスーツ着て出てきたら拍子抜けするじゃん。そんな感じ。

 

もうビルが曲がったり伸びたり、宇宙に飛ばされたりとか映像は新鮮だった。それだけに構成、というか脚本がどうなのかなと思った。つまり冒頭にエンシェント・ワンとカエシリウス様のバトルを見せすぎたのではないかと思う。そのせいで似たような絵面の中盤の戦いはいまいちアガらなかった気がする。もし冒頭にそれをやるなら中盤の戦いはもうちょっと差別化してほしかった。だから最後のストレンジの蹴りのつけ方は予想外で、そこはよかった。

 

なんか宣伝配給かなんかのおばちゃんが言ってた恋愛要素ってやつが本当に話に全く寄与していなくて全然必要性を感じなかった。そのくせ手術とかはさせるから都合の良さばかり目についた。いきなり運んできて手が空いてたらそんなテンポで手術できるんすか。

 

や、でもヒロインとの関係性とかって1だとそんなもんなのかもしれない(その点アントマンはいい)。無人島キネマでウシダトモユキさんも言ってたけど続きで面白くなりそうな要素はいっぱいある。これからどんな魔法を見せてくれるのか、他のマーベルヒーローとどのように絡んでいくのか、エンドロールのあいつが何をするのか、大いなる力の代償など。楽しみ。

新作映画061: 『沈黙 -サイレンス-』 と無神論者の僕が考える宗教。

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監督:マーティン・スコセッシ

出演:アダム・ドライバー、アンドリュー・ガーフィールドリーアム・ニーソン、キアラン・ハライズ、浅野忠信窪塚洋介イッセー尾形塚本晋也小松菜奈加瀬亮

原作:遠藤周作

 

 

かなり遅めの2017年新作映画初めでした。改めて今年もよろしくお願いします。だらだらしてたらもう二月なっちゃいましたけど。

 

まず暗転〜1カット目までの流れに魅了された。流麗で美しい。アカデミー撮影賞にノミネートされた後に観たからかもしれないけど、巻き戻して見返したくなるようなカットがままあった。よく言われることだけど、ことこの映画に関しては「カメラの視点=神の視点」という意識を保持しながら観てた(何かわかったとは言ってない)。真上から登場人物を見下ろすカメラアングルが何度かあったからかもしれない。撮り方に注目してみるとまた面白そう。

 

特定の宗派を信奉していないどころか初詣にも行かないレベルの無神論者の僕がこの映画を観て信仰というものについて考えた時、僕の頭に思い浮かんだのは「溺れる者は藁をも掴む」という諺でした。

 

この世をすごく流れの速い川だとしましょうよ。気が付いたらそんな川に突き落とされてる状況。目に口に冷たい水が入って辛い、皮膚の感覚がなくなってきて向こう岸まで泳ぎ切る気力もない、そもそも泳ぎ渡ったところに何があるのかもよくわかんない。もうやめちまおうかと匙を投げそうになる人がいます。

 

そんな彼の閉じかけの目の前に上流から藁が流れてきました。激しい流れに乗って咄嗟に掴んだそれを眼にし、彼は上流にいてこの藁を流した存在がいるのかもしれないと思ってしまう。対岸に渡りきってその存在を一目拝んでみたいというモチベーションを得た彼は、再び泳ぐ気力を奮い立たせるのであった―。

 

この映画におけるキリスト教(あるいは宣教師)が藁です。ポイントなのは藁自体は川を渡ることにおいて何ら「役に立たない」ということです。藁が進ませてくれるのではなく、進むのはあくまで人間です。藁はモチベーションを上げるためのきっかけでしかない。もっと言うなら人間がたかが藁如きに勝手に意味を与え、それを信じ込むことで勝手に盛り上がっているだけです。

 

更に付け加えるなら、この下手くそな例え話が「彼は無事川を渡ることができました。めでたしめでたし。」で終わるかどうかもわかりません。藁に触発されて泳ぎ続けた結果、そこで諦めた方が楽なぐらいキツい目にあって結局溺死することも有り得るからです。ピラニアの群れに全身食いちぎられることだってあるかもしれません。今作中で弾圧され、中には命を散らした日本の隠れ切支丹たちはまさしくこのパターンに当てはまると言えるでしょう。

 

いつかにどこかでで「お坊さんが宗教とは人が幸せに生きるための『手段』であると言っていた」という文を読みました(多分僕モテメルマガ)。あくまで手段ですから良い結果を呼び込むとは限りません。ただ、自分が選択した手段を一心に信じ、その教えを実践することに価値が有ると思い込むことが、彼らにとっててはこの世を生きる糧になっているのかもれません。例えその手段のせいで死という悪い結果を呼び込むことになっても、宗教という手段を貫いた人生に悔いはないと思えるのかもしれません。僕は塚本晋也の身体を張った壮絶な演技を観ながらそんなことを考えていました。

 

そういう手段と結果を天秤にかけ、いつも生き抜くという結果が勝ってしまうのが窪塚洋介演じるキチジローなのでしょう。生き残る度にまたぬけぬけとやって来て許しを請う、そういう情けない存在を赦すロドリゴもまたその度救われていたのかもしれません。

 

僕、相田みつをの「幸せはいつも自分の心が決める」って言葉が好きというかこれはもう普遍の真理だと思っているんですけど、多分宗教はそういう意味で最強の手段なんでしょうね。信仰のせいでキツい目に遭っても「いや、でも俺は信仰できて幸せだから」と思えてしまう。思えてしまうというか、そこを絶対的に信じることから入るべきものなのだろうと思います。

 

貧しい暮らしを強いられていた人が多くいた時代、宗教という手段を取った人々の気持ちはこの映画を観てからこうして考えれば全くわからないものではありません。それは現代でもまた然りです。今までは宗教に浸る人の気持ちが一切わからなかったのですが、うーん、ほんのちょっとわかったかもしれません。体感として納得できたというか。そういう意味では観てよかったです。