イタリアに行ってきた。 ②フィレンツェ編/1日目
【特急列車でフィレンツェへ】
ホテルからメストレの駅まで、歩いてスーツケースガラガラひいて5分程。特急の券(というかただの紙っぺら)が事前に同伴者のもとに送られていたので、ホームの確認して乗るだけ。なのに異常に不安になる。ヴェネツィアの一件がトラウマになっている。
ホームにいるだけなのに文化の違いが見てとれて面白い。一人旅と思しき大柄の若い黒人の男が立っていると、いきなり隣にいた白人のお婆さんが話しかけている。旧知の仲かのようにずっと喋りまくっていると、さらに別の男が会話に乱入してくる。さも当たり前のように会話が続いている。
イタリア人は本当に喋るのが好きらしい。ネットで見た話だけど、喋り好きが高じて駅の自動券売機より人がいる窓口の方が混雑するらしい。海外では置くと破壊されるので自販機が普及しないという。イタリアのタバコの自販機なんかも檻の中に自販機があって、その隙間から指を入れて操作しなきゃならないようなのもあった。なんだけど、イタリア人にはタバッキ(タバコ売ってるコンビニ的なところ)に行ってなんか喋りながら買う方が性に合ってるのかもしれない。店に入ったりするときも必ず店員に挨拶するし、服見てて喋りかけられるのが嫌な僕なんかとは真逆だと思う。
あと掃除のおっちゃんも見てて面白かった。
ハゲ気味の良い感じの爺様が下に続く階段の淵(?)のとこを洗剤垂らして雑巾で拭いてるだけなんだけど、拭き方が死ぬ程雑で洗剤の拭いた跡とか超残ってるし本当「僕にやらせて下さい」と言いたくなるぐらい適当。そのくせとても上手な口笛吹きながらやってるのが笑えた。日本にいたら完全に頭のおかしい人であろうけど、誰も気にも留めない。
ヴェネツィアの時も書いたけど、イタリアは全体的に遠くを見れば綺麗だけど足元やすぐ側に目を向ければ街も道路も汚い。ローマの郊外なんか特に建物中落書きしかないし地面も舗装されてないのでガッタガタ。このハゲ爺さんのような人が大半とは言わないけど、でも多分この力の抜けた感じがイタリア人に感じる、日本人には感じない余裕に繋がってるのかもなあと思う。この話を年上の友人の方?(こういう人のことなんて言っていいのかわからない)にしたところ「日本人は過剰なサービス要求が自分たちに返ってきてることに気付いてない」と言ってて非常に納得した。
いきなり話が逸れました。特急が来ました。割と快適でした。
【ホテル着 そしてトラブルへ】
2時間程でフィレンツェの駅(サンタマリアノヴェッラ)に到着。駅からホテルまでの歩道がとにかく狭い。しかも車道に座り込んだ乞食が手を出して来たりしていたりして、スーツケースをひいて歩くのが難しい。10分程歩いてホテルに到着。チェックインまで3時間程あったのでスーツケース預けてぶらぶらしようかと話していたのですが、ここでトラブル発生。
受付で同伴者が名前を伝えると、フロントの若い女性が何やら超早口の英語でべらべら喋っている。感じや口ぶりから普通じゃない事を察して耳を傾けると、「予約は受けているが旅行代理店から金が振り込まれていない。50ユーロ払ってくれたら泊めることは可能。」ということだけわかった。勿論事前にお金は代理店に納めているので、向こうのミスということはすぐわかる。50ユーロ払うのは癪なので「現地の緊急連絡先に連絡するので電話を貸してくれ」と言ったら上手く伝わらなかったのか単に断られたのか借りることができなかった。まあ仕事で使うもんな。
ご存知の方も多いと思うけど、海外旅行先では携帯は機内モードにしておかないと、現地の回線に接続してしまいそれだけでお金がかかる(らしい)。その上で電話をするとなるとまた高めの電話代が発生する。ので携帯の通話はできない。ただLINEの通話はポケットWi-Fiだけでできんだね。すごいね。代理店はLINEのホットラインを設けろよと同伴者がぼやいていた。
なので公衆電話の場所を尋ねると、やはり早口で何言ってるかわからない。というかそもそもあまり街中にないらしくフロントの人もしばらく「あそこにあるんじゃない?」みたいな感じで話し合っていた。仕方ないのでスーツケースを預かってもらって(と言ってもロビーのトイレの横の台に置いとくだけ。マジ心許ない。)、駅まで戻って公衆電話を使うことにした。
早歩きで駅に向かう。フィレンツェの街並みを楽しむ余裕など1ミリもない。電話に立つ。まずコインの入れ方がわからない。一瞬悩んだが、10円ガムの自販機みたいにコインを垂直に入れて機械に押し込む(?)と入っていった。が、そのまま素通りして落ちてくる率が尋常じゃなく高く、ただでさえ焦っているのに本当にやめてほしかった。何度か電話を殴りそうになった。続いて現地の緊急連絡先にダイヤルする。…繋がらない。画面にイタリア語で何かしら表示されるけど勿論わからない。同伴者がもう一つ番号を控えてくれていたのでそっちにもかける。繋がらない。何度やっても。僕が殴るまでもなく壊れているんじゃないかと疑い始める。
そうこうしていると隣の電話に若い女性がやってきて迷うことなく操作、軽快に喋りまくって颯爽と去っていく。電話がイカれているという線がなくなった以上、希望が見えたようなそうでもないような。
ウザがられるのを承知で向かいにある鉄道会社の窓口に聞きに行く。30そこらに見える女性は「この通りに電話すれば大丈夫なはずよ」的なことを気持ちよく教えてくれた。うん、でもかからないよ。ここまでで駅に来てから1時間半ほど経過。「もう嫌だ、帰りたい」などと思っていると、同伴者が僕らが依頼した代理店と提携している現地の代理店のオフィスの連絡先をググって発見するファインプレー。すかさず電話するとやはりかからない。何だこれは。
シビれを切らして携帯の機内モードを解除してかけてみた。今この不安を取り除けるなら多額の電話代の方がマシじゃいとすら思えるほど追い込まれていた。あっさり数コールで男性が英語で応対してくれる。「日本語を喋れる人をお願いします」と伝えると、おばちゃんボイスの日本語が聞こえてくる。この時の安心感たるや天にも登る勢いだった。
結局その人が「(日本時間は夜9時なので)代理店がオープンしたら確認する」とホテルのフロントとと話をつけてくれて普通に宿泊できることになった。これにて一件落着。寿命を2週間ぐらい消費した。ファックでした。
【夕陽を見にミケランジェロ広場へ行く】
2時半ごろホテルに荷物を置いて移動開始。目的地はミケランジェロ広場。丘の上にあって夕陽がいい感じらしい、と同伴者たっての希望である。歩いていると何やらデカい壁のようなものが見える。全然イタリアにそぐわない例えをするなら秋葉原のヨドバシカメラを彷彿させる。広いところに出るとこんなものが屹立していた。
なんかと思ったら噂のサンタマリアデルフィオーレ大聖堂であった。デカい。デカすぎる。
道中の風景。
丘にたどり着く。また日本例えをするなら日光東照宮の家康の墓に至る階段ぐらい石段を登るとやっとつきましたミケランジェロ広場。とりあえずビール。とワイン。
日が暮れてくるとこんな感じ。皆階段から眺めておりました。なんかサプライズでプロポーズした人がいたっぽくて、皆ヒューヒュー言いながら拍手しててヨーロッパっぽかったよ。
晩ご飯はフィレンツェ中央市場のフードコートでピザとワインやりました。フードコートとは言え味は超本格的だったよ。
もうトラブルや考えたことで無駄に長くなってしまったので一回ここで公開。
フィレンツェ/2日目に続く。
新作映画069: 『仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦』
監督:金田治
出演:飯島寛騎、瀬戸利樹、松本享恭、松田るか、立石晴香、丸山敦史、岐州匠、山崎大輝、大西利空、松本岳、松本寛也、小田井涼平、ダイアモンド☆ユカイ 他
仮面ライダーの映画は毎年春、夏、冬の年3本公開されます。今作はその中の春に当たる作品。春映画の特徴は「毎年大雑把なクロスオーバーと何のこだわりも進歩もない金田治の演出が冴え渡っている」ところ。言うなればスープがヌルくて麺が伸びたラーメン。
でも僕は割とこの春映画が毎年楽しみになってたりしてます。なぜかと言えば、春映画は(最大限良い言い方をすれば)マズいなりにどんなものを出してくるのかわからないサプライズ精神に富んでいるからです。夏(テレビ本編に繋がる正当なエピソード)、冬(直近の2大ライダーが共演)はある程度定型化されている節があるので、出来が良くても悪くても想定内の枠に収まることが多いです。
しかし、春映画は東映が持て余しているヒーローや怪人のスーツなどのインフラを活用したいという思いがあるのか、作品の垣根を超えてとにかくヒーローや怪人を総出演させることが目的となってしまっているようなところがあります。つまり、とにかくヒーローマシマシ。従って、90分程度の枠の中で独立したそれぞれの作品の世界観を繋げるためストーリーは大雑把になりがちなのです。そういうところから生じる「何でもアリ」なところは普通に見れば欠点と断定して然るべきでしょうが、どうも僕はこの毒の部分にアテられているようです。
例えば2015年の『仮面ライダー3号』ではdビデオ用のコンテンツである『仮面ライダー4号』へ展開を繋げるため、「当時毎週テレビ本放送で活躍していた2号ライダーを劇中でアッサリ死亡させ、彼の遺影に主人公とヒロイン(死亡した彼の姉)がコメントして映画が終わる」という事件がありました。そのシーンでちびっ子たちで半分ほど占めていた劇場が上映中とは思えないほどざわつきまくっていたのは忘れられない映画体験(?)として記憶に残っています。当時はマーケティングのためにキャラを軽視する東映のそんな姿勢に激怒していた気がするんですが、観た後の居酒屋トークは盛り上がり、今では(許したわけではないけど)まあ思い出にはなってます。
だから、そういう口あんぐりなサプライズを少し期待してしまってるんですよね。不健全な楽しみ方なのは重々承知なんですが、僕の中では紛れも無い事実です。
(ここまで春映画ディスしてきましたけど、『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』は捻くれ抜きで純粋に大好きであることはお断りしておきます。)
『仮面ライダー1号』の時もライダー春映画に関しては少し書いたのですが、改めて所感をまとめてみました。ここから本作の感想に入ります。
結論から言って『超スーパーヒーロー大戦』は紛れもなくダメでした。何がダメだったかと言えば、それは「ただただダメなだけ」なところです。つまり、僕がここまでたらたらと説いてきた、春映画の名物的な魅力として認めていた「毒」の部分すらこの作品には欠落しているということです。冒頭に書いた通り、大雑把なクロスオーバーと金田治の既視感しかない演出がだらだらだらだら続くだけ。印象としてはこれに尽きる。加えてこの映画には言いたいことがいくつかある。
まず、音の話。
いつもテレビで見ているヒーローたちの活躍を映画館で観るとき、その贅沢さを一番感じられるポイントは音だと僕は思っている。毎週テレビで聞いている(いた)はずの変身音が、映画館の音響だとまた違って聞こえたり、普段聞こえなかった低音が聞こえてきたりした時、普段と違う環境にいることを身体で実感できる、のだ。
本作ではその音がなぜか異様に小さく設定されていた。今まで複数のヒーローが同時に変身する時は(あまりにワチャワチャうるさいので)小さめに抑えてある時はあったのだけど、今回は単独で変身する時も蚊の鳴くような音しか聞こえて来なかった。ここは大いに不満。
(ちなみに立川シネマシティのシネマ1で観たけど、こないだ『たかが世界の終わり』を観た時は「恋のマイアヒってこんな低音聞いててかっこいい曲だったんだな」って感動したので劇場のせいではないと思う。)
あと、音と言えば劇伴が鳴らない場面がとても多くて、鳴ったとしても何が画面から浮いてるような違和感があった。会話シーンに謎に間があったりとか、全体的に終始スカスカな感じがした。特にキャラセレクトの場面のコントはあまりにダラダラしてるし劇伴は浮きまくりだし本当に辛かった。90分しかないのに、なんなんだろう。
上記の事も含め、総じて編集がおかしいと思う。終盤は3つの話が並行している状態になるんだけど、良いところでコロコロ話をシフトさせるので非常に気が散った。
ドラマパートの話。
飛彩というパーフェクトドクターをメインに据えて、過去の自分のミスと向かい合わせ克服させるというドラマはいい。筋書きだけ見れば。
僕は「患者のコンセンサスが得られないから手術できず、そのまま患者を消滅させてしまった」のはドクターの責任じゃないじゃんと思って観ていたので、それでウジウジ問答した挙句「やっぱり俺は悪くなかったんや!」って吹っ切られても「だからそうだろ」としか思えなかった。ていうかそういう話だったと思うんだけど、書いてて自分に自信がなくなってきた。ナーガのくだりは素直によかった。とは言え「そんないいネタテレビ版でやらなくていいの!?」というノイズが無いわけではなかったけど…。
毎回東映特撮の映画は放送中のテレビシリーズのオープニング曲をバックに宣伝として(公開1ヶ月前ぐらいから)映画の映像を流したりするんですが、今回はそれがなかった。仮面ライダーエグゼイドは最近OP映像がなかったのでともかくとして、キュウレンジャーも公開直前でようやくそれをやった。加えて気になったのは1日の上映回数がとても少なく感じたこと。公開1週間しか経っていないのに、東映大泉撮影所のお膝下(真横にある)であるTジョイ大泉でも3回しかかかってない。
ここからは邪推。今回は歴代のスーパー戦隊、仮面ライダーのキャラたちを「ゲームの中のキャラ」とし、これまで以上に割り切った扱いをしていた。その代わり現行のキュウレンジャーとエグゼイド(+数人の先輩ヒーロー)をメインに据えていた。それ自体はとても良いと思う。現行キャラのナーガの設定をちゃんとドラマに取り入れていたのは評価したい。
が、それ故にテレビシリーズと並行して撮影する兼ね合いで撮影スケジュールがこれまで以上にカツカツで編集の時間があまり取れず、宣伝にも労力をかけなかった(られなかった)…のかもしれない。
でも(勝手にそんな邪推しておいてなんですが)そんなこと僕らには関係ないのでちゃんとやって下さいよと本当に言いたくなった。ちょっと今までにはない悲しさがある。エグゼイドもキュウレンジャーも本放送が最高に面白いだけに余計に。
あとユカイが酷かった。
イタリアに行ってきた。 ①出発~ヴェネツィア編
こんにちは。前回の記事で「これから特撮映画が3本続くけど皆よろしくな!」と述べましたところこんなことに気づきました。
「女性読者がいなくなる」
何か女ウケ良いネタないかなあと思ったらこないだイタリアに行ったんでした。『ベニスに死す』も『ローマの休日』も『インフェルノ』も観てないから本当に映画のこと関係なく女ウケ狙いだけで書きます。いつもよりガーリーな文体になるかと思いますのでご了承ください。全3回旅行記です。
最初に移動経路ですが「成田空港→シェレメーチエヴォ国際空港(モスクワ)→ヴェネツィア→フィレンツェ→ローマ→モスクワ→成田」を丸一週間でやってきました。旅行代理店(今話題沸騰のあそこではない)にホテルと航空券、都市間の特急券のみ手配してもらうフリープラン+空港までの送迎オプションで二人旅です。あとは自分たちで適当に決めてやったので「ここ行ってねーのかよ」とか「これ食べてないのかよ」など色々言いたいことがあるかと存じますが、何せ私が初海外なもので生きるので精一杯だったのでご勘弁願いたい。
【成田空港】
成田空港ですべきことその1、ポケットWi-Fiのレンタル。某社の大容量プランで一日500MBまで使える。多分二人で12000円ぐらいだった。次に円→ユーロへの両替。レートは1€120円ちょっと。足りなければカードで払えばいいやと3万円分両替する。予備の1万円札も懐に忍ばせておく。手荷物検査を済ませて搭乗。ロシアのアエロフロートという会社の飛行機でモスクワへ向かう。いまいち実感がわかない。
【モスクワ行きの機内】
連絡バスに揺られた後機内に乗り込むといきなりロシア美人のCAさんがお出迎え。しかし表情が固い。怖い。ビビりながら窓際の二列席へ座る。機内はまだ日本人が大半で、いまいち海外に行く実感がわかない。シートは多少狭く、11時間のフライトに不安が募る。飛行機が飛び立って、2時間ほどすると早速機内食が出てきた。多分肉か魚で後者を選んだら、白米の上に白身魚とチーズ風のソースがかかったものがメイン、サラダにたくあん巻と寿司やハムが乗ったもの、あとパンとチョコケーキだった。普通に美味しくて驚いた。配膳は入口で出迎えてくれたCAさんがしてくれたが、やはり笑わない。顔が綺麗なだけにマネキンが動いてるみたいで余計怖い。
機内のチャンネルには最新の洋画も色々あったけど、日本語対応してるか調べるのが面倒で結局『海よりもまだ深く』を見返していた。やっぱり良い。ちなみに邦画は『クリーピー 偽りの隣人』と『信長協奏曲』があった。あとは携帯で『ローリング』を観たり、浅井リョウの「何者」を読んだり、ソリティアにハマったりしていた。
11時間のフライトはあっという間だった。暇つぶしにも困らなかったし、何より初めてのワクワク感が手助けしてくれたのかも。当初ロシアの空港で乗り換えと聞いた時は若干焦ったけど、とても綺麗な空港で全くの杞憂だった。ただ、ユーロも日本円も使えないので売店で水をカードで買ったらおばちゃんに露骨に嫌な顔をされて心が折れそうになった。やはりこの人も全く笑わない。寒さで顔が固まってるのか、ウォッカがないと笑えないのか。インターバルが3時間あったのでブラブラしていたらバーガーキングとかがあった。
【~ヴェネツィアの機内】
また連絡バスに乗ってると超絶かわいい系のロシア美人が目の前にいる。若い女性がもう一人と、多分50そこらの男と3人だった。終始談笑していて仲の良い家族だ、ロシア人も笑うんだな、などと思って眺めていた。機内に入るとかわいい人と父親と思われる人が前の席に座った。ラッキーと思っていたら、かわいい人が男に膝枕をされ始め焦った。この男は父ではなく、パパ的なサムシングかもしれないと直感した。よく見ると女の子腕に思いっきりタトゥー入ってるし。膝枕されながら長い脚を窓の上の壁に伸ばしたりやりたい放題だった。その人たちに夢中で気付かなかったけど既に周りは白人だらけでようやく実感が沸いてきた。日本語が聞こえないのは妙な感じ。
3時間半程でヴェネツィアに到着、我々の名前の書かれた紙を持ったドライバーと合流してホテルへ送ってもらう。なぜかベンツのローバーみたいのに乗せられて若干緊張する。チップを渡してホテルにチェックインして、風呂に入って即寝てしまった。日本時間の13時にフライトしてイタリア時間の22時に到着したので、時差がうまく働いてすぐ眠ることができたのはラッキーだった。
【朝~ヴェネツィア本島へ】
朝起きてホテルのバイキングで朝食。イタリアの朝は甘いパンとチーズ、ハムがオーソドックスらしい。ゆで卵とかシリアルとかヨーグルトもあった。感じがわからなくて食べ過ぎる。苦しい。
ヴェネツィアはイタリア本土と地上線路で結ばれた島である。僕らが宿泊したのはメストレと呼ばれるヴェネツィアに最も近い本土の部分だったので、電車でヴェネツィアに行かねばならない。我々はここで早速フリープラン名物、アクシデントに見舞われる。
まず券売機で切符を買うのだけど、日本で言う特急列車のような要領で、切符を買う時点で乗る列車と時間を決めなくてはならない。僕らはタカをくくって10分後ぐらいに来る本島行きの列車の切符を買ってしまった。
更に日本と違うのは、列車や路線ごとに到着するホームが決まっていないこと。なので、自分たちが乗る列車の番号を控えた上で電光掲示板で列車が来るホームを確認しなければならない。ここでトラップなのが、「買った切符に自分たちが乗る列車の番号が書いてない」こと。「じゃあ何が書いてあるんだよ」と聞かれてもわからない。とにかく書いてないんだけど、何か案内を見てなんとかホームはわかった(パニクっててよく憶えてない)。
ここで第二の罠。(僕らが見た限り)イタリアの地上を走る電車の駅には改札がない。その代わり構内に点在する機械に券売機で買った切符をガチャッと差し込まなければならない。タチが悪いのはこの「ガチャッ」をやらなくても「乗車はできる」ということ(なんなら切符を買わずとも乗車はできる)。ただでさえホームもわからず、乗車の時間も差し迫っていた状況で、我々に周りの人が切符をその機械に通していることを観察している余裕などなかった。その場にいた駅員に切符を見せて列車が合っていることだけ確認して、「ガチャッ」をせずに乗車してしまったのである。
安心できないので二人してイタリアの電車の乗り方をググっていると、同伴者が「ガチャッをやらずに乗車すると列車の中で€50とられる」という事実に辿り着く。顔面蒼白で列車の間のポーチに佇む黄色人種二人。ナメてた。ここまでシステムが違うとは思っていなかった。初日に最悪だ。終わった。などと考えていると、ヴェネツィアに着いた。「えっ」と思って下車しても、特にチェックがあるわけでもなく、そのままシームレスに駅の外へ。区間のラスト一駅だったからか見回りが来なかったのだ。イタリア人の大雑把さに助けられた。マジで。
【本島】
ヴェネツィアはとにかく路地だらけで迷路のような場所だった。僕らは自分たちの行きたいところに合わせて適当に歩いていたのだけど、4,5回は行き止まって引き返すということをしていた。移動経路はこんな感じ。
最初に着いたのはアカデミア橋。木造の素朴な橋作りの橋だった。
つぎはサン・マルコ広場&寺院。流石に人が多い。うーん、優雅。同伴者によると宮殿の壁面にはキリストの一生が順を追って描かれてるらしいす。なんか軍隊みたいな人がアサルトライフルを持って立っててテンション上がりました。
またしばらく彷徨って、かの有名なリアルト橋に到着。人一杯。
とか言ってガイドブック見るまで知らなかったけど、でもヴェネツィアと言えばこの眺めですよね。
本当はこの側のバーカロ(立ち飲み屋)でワインをやりたかったんですけど、丁度昼時で激混みだったので断念。まあ優雅に昼ワインとかやってる感じでもなかったけど。
渡ったリアルト橋を戻り、北端にある水上バス(ヴァポレット)乗り場へ。レース編みが名物のブラーノ島へ向かいます。カラフルな家屋が立ち並ぶ素朴な雰囲気。正直本島ディズニーシーみたいで既視感がなくもなかったのですけど、ブラーノ島はのどかで見慣れない建物があって、外国風情があって感動しました。
お土産を買って水上バスで本当に戻り、適当にぶらぶらしながら↓駅に戻ります。帰りの電車は確かちゃんと乗れたよ。
【夕食:メストレのトラットリア】
一度ホテルに戻り一息ついたら夕食をとりにメストレのトラットリアへ向かいました。ヴェネツィアに留学していた友人にオススメしてもらったお店です。日が落ちた後に出歩くのは緊張しましたが、特に何もなかったです。先に言っちゃうと最後まで盗難とかそういう被害には遭わなかったです。気を付けてれば大丈夫っぽい。まあトラブルはあったけど。
店内は…うん、意外と日本にもありそう。
入口で予約してない旨をカタコトで伝えると若い女性店員が笑顔で迎えてくれて安堵。このお店は親切なことにホームページにメニューを掲載してくれているので、グーグル翻訳を使って事前に決めてきたパスタ2種と前菜盛り合わせをオーダー。何はともあれビール。
前菜盛りが来る。美味い、特に真ん中の白身とチーズのフリットはビールにバッチリ合う。し、しかし噂には聞いていたけど、イタリアの料理は量が多い。気を張って行動していたこともあって、座ってビールを飲むと疲れがどっときて、思うように食事が喉を通らない。同伴者は既に死に体だった。
なんとか食べ終わるとパスタが来る。伝わりづらいけどやっぱ多いよ!!しかもぶっちゃけそんな美味しくないし!!ワインで流し込みながら気合いで一皿食べ切るも、シーフードの方は少し残してしまう。
会計をお願いすると、残ったパスタを見てお姉さんが「Don't you like this?」と言ってくれたので
「No no no!!(今思えば英語の場合好きならばここではYesと答えるべきだった)I'm ...!!!(腹が一杯でお腹が出ているという迫真のジェスチャー).I'm very sorry!!!(全力で手で拝むジェスチャー。イタリア人に伝わったのか。)」
とやったらお姉さんと隣のおばちゃんにめっちゃ笑われた。
ホテルに戻って寝た。
フィレンツェ↓編へ続く。
新作映画068: 『劇場版ウルトラマンオーブ 絆の力、おかりします!』
監督:田口清隆
出演:石黒英雄、松浦雅、高橋直人、ねりお弘晃、青柳尊哉、柳沢慎吾、高橋健介、椿鬼奴、森次晃嗣 他
声の出演:山寺宏一、根岸拓哉、宇治清高、宮野真守、中村悠一 他
哭声もお嬢さんもアシュラもバンコクナイツもナイスガイズも3月のライオンもトリプルXも観れてない。
だけど、僕には、「周りがどうでも自分は観なければならない」という面倒な義務感に駆られるジャンル映画がある。
それは、特撮映画ー。
何故こんな言い訳のようなことを述べるかというと、今回の068〜070まで特撮映画のエントリーが続くからです。特撮映画に携わってる皆さん本当にありがとうございます。
まずテレビ版のおさらい。
ウルトラマンオーブは2016年の夏から年末にかけて全25話のエピソードが放送されたウルトラマンシリーズの最新作です。「二人の先輩ウルトラマンの力をお借りし、その戦士たちの能力や見た目がハイブリッドした姿になる」という設定が最大の特徴です。オーブ誕生直後の物語である「THE ORIGIN SAGA」がAmazonプライムビデオで世界に向けて配信されたのも話題になりました。
主人公(ウルトラマンオーブ)のクレナイ・ガイが風来坊で、「たまたま着いた町で怪奇現象追跡サイト(通称SSP)を運営する若者たちと出会い行動を共にする」というのも、「主人公は地球防衛隊(或いはそれに関連する機関)の所属」という従来シリーズのお約束を破る新鮮な設定でした。
そしてこの作品で最も強烈なキャラクターと言えばガイの宿敵、ジャグラス・ジャグラー。どこからともなく表れネチネチした喋り方でガイに絡み、邪魔をしてくる、キモかっこいいバイキンマンみたいな奴です。
ちなみに彼はガイの同胞だったのですが、ウルトラマンオーブに選ばれたガイのサポート役に回ることになり、選ばれなかったことに忸怩たる思いを抱え、ある事をきっかけにガイとは別の道を歩むことになるというのが、前述のオリジンサーガで描かれています。
ここから映画の話。
今作はテレビ版最終回で再び旅に出たクレナイ・ガイとSSPの面々が(少し早めの)再会を果たす後日談です。軽めのノリは本当にテレビ版のそのままなので安心して観られました。各キャラとも早めとは言えカムバックなんだから少しは登場の演出にタメがあってもいいようなものですが、あまりにあっさり出てくるので「あ、もう普段の感じで見ていいんだな」とちょっと安心なような肩透かしなような笑。割とテレビ版中盤と終盤はシリアスめなところも多かったのでこれぐらいでよかったかもしれません。
とは言え劇場で見るとちょっと気になってしまうのが「スベり問題」。テレビの前で一人で見ている分には「はいはい」で済むのだけど、劇場の多数でやられると「ぬわ~スベってる~きっつ~」と謎の気まずさを抱くのは僕だけでしょうか。特に今回はSSPの3人と主人公に加えて山寺宏一が声を当てた敵キャラとかジャグラーとかゼロとかXとか笑わせにくる手数が多い割に全然打率が低いので、正直ここは素直に辛かったです。あと敵役を椿鬼奴が演じてるんですけど、芸人枠の割に真面目に演技してて、でもあんまり上手くはないので、笑っていいのか何なのか困惑した。ゼアスのとんねるずぐらいふざけてればいいのに。
反面、劇場で多数の人と一緒に観ることを意識した演出があったのはよかった。具体的に言うと、SSPがライブ配信に使う手持ちカメラを自分たちと背景で戦ってるオーブに向けて、見ている人(=映画館にいる観客)に応援を請うシーン。あの、ヒーローショーでお姉さんが子供たちにやるあれね。子供むけの作品で手持ちカメラを使う上でこれ以上ない演出じゃん感心しました。まあ僕の回は子どもほぼいなかったのでレスポンスがなかったのは寂しかったですけど。
内容は去年のウルトラマンXから続投の田口清隆監督なので流石の安定感。
まあ敢えて言うならこの磐石感は逆に「どうせいいんだろうな」と微妙にワクワク感は損なわれてしまう感じ?いや、本当贅沢な悩みというか、悩みですらないんだけど。てか僕個人としては映画館に行くのはギャンブル的な楽しさもあるので、そこがちょっとなという。だからそういう意味でも当たり外れの激しい仮面ライダーの方が好きっていうのがあります。我ながら東映に毒されすぎていると思う。
あともう一つ結構大きい不満点を挙げるなら、それはシンプルに「テレビ版の特撮のすごさを超えられていない」ところ。特に最終回の特撮の出来はテレビでできる限界を突破しているのではと本当に感動しまくってしまったので、せめてそこに比肩するぐらいの驚きはあって欲しかった。↑の田口監督の前作で言う長回しとか、そういう目立った見せ場もなかったので物足りさなさはちょっとある。とは言えXとオーブの同時着地は超シビれた!あそこだけでもすごく良かった!
新作映画067: 『ドラゴン×マッハ!』
監督:ソイ・チェン
出演:トニー・ジャー、ウー・ジン、サイモン・ヤム、ルイス・クー、マックス・チャン 他
前回ラ・ラ・ランドを大阪で観た流れで、その足で名古屋のシネマスコーレで鑑賞してきやした。名古屋に行くと伝えたところ無人島キネマのウシダトモユキさんが誘ってくれたのです。新宿でやってた時行けなくて悔しかったんですよねー。あと強く推してくれたペキンパーさんもありがとうございました!
トニー・ジャーの出演作だと『トム・ヤム・クン!』が110分アドレナリン出っ放し状態であへあへ言いながら観ていた記憶がありますが、あれは「誘拐された象を取り戻す」というマリオ並の単純なあらすじでした。アクションを見る映画だから全く不満はないしむしろこれで良いぐらいに思っていた。
驚いたのは物語が実に複雑だったこと。加えてメッセージ性が高く、こっちに問いかけてくるような社会的な問題を孕んでさえいるので、観てるこっちまで力の篭るアクションで振り回されたのも相まってカラッと楽しめる感じでもなかった。
とは言え要所要所でそういう(ぶっちゃけ)だるさをアクションの見せ場で吹っ飛ばしてくれるのは流石のアジアンアクションムービー力。特にマックス・チャンが演じたラスボスはただでさえ生身の人間とは思えないトニー・ジャーやウー・ジンすら圧倒する演出が見事だった。彼のとあるアクションで隣のおじさんが「うおっ」と声を出していたのが印象的。シネマスコーレの猛者達ですら声を漏らしてしまうレベルだったのだ。確かにあのムーブには舌を巻いた。
さっきカラッと楽しめる感じではないと書いたけど、ラスボスが圧倒的に強くて悪くてかっこいいことと、守るべき愛娘が圧倒的に可愛くて幼くてたまらんことだけで単純な二項対立が保証されていて、後の細いところはプラスアルファの部分ということで今は納得(?)している。長回しのアクションシーンのカメラワークなど見るべきなところがめちゃ多い。とても良かった。
新作映画066: 『ラ・ラ・ランド』
監督:デイミアン・チャゼル
出演:エマ・ストーン、ライアン・ゴズリング、キャリー・ヘルナンデス、ジェシカ・ローゼンバーグ、ソノヤ・ミズノ、ローズマリー・デウィット、J・K・シモンズ、フィン・ウィットロック、ジョシュ・ペンス、ジョン・レジェンド 他
※若干内容に触れます
大阪は万博記念公園の側にある109シネマズ大阪エキスポシティでIMAXwithレーザーというIMAXのすごいやつで観た。幸運にも元々計画していた大阪旅行の初日が公開日だったので。
期待が高かったのは否めない。やっぱりTOHOシネマズ新宿の営業初日に観た『セッション』には、始終半開きの口から涎がたれかける程度に度肝を抜かれたから。ただミュージカル映画は本当にほぼ観たことがなかったし、フォーマットにあんまり合わなそうというぼんやりした不安もあった。
とりあえずアバンタイトルで懸念が吹き飛ばされた。無人島キネマ(イントロダクション - 無人島キネマ)のウシダトモユキさんも言っていたけど、音楽に乗せて楽しそうに歌ったり踊ったりする映像を見ると泣いてしまうタチなのかもしれない。『ジャージー・ボーイズ』のエンディングでもそうだった。開始1分で号泣したし、これでタイトルがロサンゼルスの空に出て終わりでも良いぐらいだった。「お、オレは凄いものを今見ているッ……」という実感が心の底から湧いてきて、そんな光景が司会を覆い尽くしている。純然たる多幸感だった。映画館で映画観るのって最高だなと思えた。
予告では「夢を追う二人のサクセスラブストーリー!二人で頑張ってハッピー!」みたいな感じだと思っていた。アバンの勢いでガーッとやってワーッと終わればいいなとナメた鑑賞態度でいたけど、今振り返れば紛れもなく『セッション』のデミアン・チャゼルの映画だったんだと居住まいを正される。
なぜかと言うと「夢を追うことで失うもの」から目を逸らさない姿勢が共通していると感じたから。『セッション』は失いまくって突き抜けた結果おかしなことになっていたところが魅力的だった。そういう因果地平を振り切った二人の神々の戦いを眺めているような気分になった。
対する今回の二人は間違いなく自分を取り巻く現実と向き合い通していた。結果別々の道を行った二人が再会した時「もしもあの時こうしていなかったら」という儚い夢を見る。間違いなく夢を追うことで二人一緒の時間は失われてしまった。でも、特にゴズリン力が大爆発していた二人の別れ際の表情で全て報われる感じがした。夢を叶えた人(或いは叶えられなかった人、持たない人)が夢の代わりに見る過去の美しい記憶になっていくのかもしれない。
ただ自分の人生を参照して語ったり、夢に対する持論を展開したりしたくなるような熱が上がる作品ではなかったことは否めない。とても素晴らしい作品なのは間違いないけど俺のではないかな、という。この監督、次作は本作のライアン・ゴズリングと宇宙飛行士の話をやるらしい。どんなことになるのか。マストで追いかけたい人であるのは間違いない。
新作映画065: 『たかが世界の終わり』
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥー、マリオン・コティヤール、バンサン・カッセル、ナタリー・バイ
「たかが世界の終わり」とか言うので無数にある並行世界を管理するギャスパー・ウリエルが一つの世界の終わりを家族とやるせなく見届ける話かと思ったらそうでもなかった。何らかの理由でもうすぐ死ぬギャスパー・ウリエルが家族にそのことを告げるために12年ぶりに実家に帰る話。
原作であるジャン・リュック=ラガルスの舞台版は「まさに世界の終わり」という題が添えられている。「たかが〜」と「まさに〜」では受ける印象がかなり違う。前者は「うん、まあ、終わりだな」ぐらいの感じに思える。後者だと「おしまいだ!!世界の終わりだ!!」とか、何となく絶望感のあるニュアンスがあるような気がする。
今作に関しては「たかが世界の終わり」という邦題が合っていたと思う。なぜかと問われたら「諦念」が感じられるからだと答えたい。人が死ねば恐らくその人の世界は終わる。「たかが」という言葉は物事を小さく見たい時に使う。「たかが世界の終わり」という作品には主人公にとっての全ての終わりすら些細なものだと思わせる諦念が漂っていた。
何が彼をそのような境地に導いたのか、僕らはスクリーンを凝視して考えるしかない。もっと言えばこの映画は基本スクリーンで現在進行形で起こっていることしか映さない。その中で台詞の端々や、印象的に挿入される思い出の曲をバックにした短いフラッシュバックがある。これが「なぜこんなことになってしまっているのか」という想像力を掻き立てる。ルイや家族が今に至る明確な正解がある映画ではないと思う。そういうところに観客それぞれの生い立ちや家族観が介入してきて味わいが増す。とても映画っぽい映画だと思った。例えば兄貴がルイに強く当たるのは、地元で工具を作ってる自分に対し外の世界に出て活躍する弟へのコンプレックスなのかもとか。
僕個人はラストまで見てルイくんをとても応援したい気持ちになった。動物だって家族のいないところでのたうち回って死ぬかもしれないんだから、同じ人間だってそうでいいと思う。家族に何でも言えて、家庭がこれ以上ない安息地というのは良いと思う。そうでなければ別の場所にそういうのを求めればいい。別の港に船を寄せればよい。僕にはそういう風に見えた。作中では説明されないけど、ルイくんは12年そういうのを気持ちで外の世界に接してきたから名うての劇作家になれたのかもしれない。
余談。僕の周りに3兄弟の真ん中の人がいるが、結構中立の立場というか、上と下の兄弟、両親の雰囲気を読んで立ち回る立場になりがちらしい。集団の場での自己主張は強くなく、人に合わせることが多い。彼は(妹はまだ小さかったとは言え)そういうのに嫌気が指したのかもしれない。
別にとても面白く見たとか特別好きって訳じゃない。でも考える上で自分の人生や境遇を参照し確認する必要がある映画。小津安二郎作品の後味にちょっと近いかもしれない。こうして振り返ると味わいが増す。27でこういうのが撮れちゃって見せ方も印象的なところがある。『マザー』はいまいちピンとこなかったけど、ようやくグザヴィエ・ドランの凄みに気付けたかも。あとギャスパー・ウリエルはかっこよすぎて嫉妬。