静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画105: 『ジャスティス・リーグ』

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監督:ザック・スナイダー

脚本:クリス・テリオ、ジョス・ウェドン

出演:ベン・アフレック、ヘンリー・カビル、ガル・ガドットエズラ・ミラージェイソン・モモアレイ・フィッシャーエイミー・アダムスジェレミー・アイアンズダイアン・レインコニー・ニールセンJ・K・シモンズキアラン・ハインズアンバー・ハードジョーモートン

 

 

2017年は映画を観るようになってから所謂エンターテイメント大作、とりわけアメコミ映画(ヒーロー映画)を一番よく観た年だった。そんな今年を締めくくるのはマーベルと並ぶアメコミ二大巨塔・DCコミックスが満を持して送るヒーローチーム映画『ジャスティス・リーグ』。

 

前作の『バットマンvsスーパーマン』はそこそこ楽しく観たものの直後に観たマーベル『シビルウォー キャプテン・アメリカ』に全てを吹っ飛ばされ二人の母親の名前がマーサということしか覚えてない。 あとスーパーマンは死んだんだった。

 

いつものバットマン活動中宇宙からの尖兵一匹をやっとの思いで確保した社長。普段はゴッサムシティを守る街のヒーローだが、なんせ世界の希望を殺した前科持ちなので自分が責任を取らねばなるまいと、持ち前の財力と有能執事アルフレッドを駆使し地球を守るヒーローチーム結成に奔走する。

 

しかし出向く先々問題児だらけ。優等生なのに過去のトラウマで一歩先に進めない、友達欲しいけど戦いとか無理、使命だけどやだな、自分のことが分からなくて怖い。なによりウェイン自身が後悔に囚われまくっている。あと元から群れるタイプじゃないから幹事も苦手。

 

ただこの単独主義者の腐ったミカンたちがなんやかんやでチームとして結束していく様がなんとも微笑ましく元気付けられる。一人でできなかったことが5人ならできるようになる。You can’t save the world alone.あるキャラの「それがチームですよ」というセリフにはかなりグッときた。

 

もうね、このエモさは監督が誰とかどこの会社の原作だとか前作がどうとか一切関係ないと思う。個人主義者のヒーローたちが「世界や命を守る」という使命の下結束し、互いの弱さを分かち合って最後に笑い合う。もうこれだけで最高だ。加えて新キャラ3人の紹介や銘々の見せ場を過不足なく2時間でやり抜いたことに拍手を送りたい。

 

こっから本当野暮を承知で言うなら、これは僕が(個人的に今年ワースト級にがっかりした)パワーレンジャーに求めていたものでもある。そしてマーベル社のアベンジャーズ では最早見られないであろう作風でもあった。

 

惜しむらくはあの男まわりね…。やっぱあいつの扱いの難しさだよね……。スローでこっち見んなとかダイナミック引越しとかは大好きだけど。

 

新作映画104: 『ブレードランナー2049』

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監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

出演:ライアン・ゴズリングハリソン・フォード、アナ・デ・アルマス、シルビア・フークスロビン・ライト、マッケンジー・デイビス、デイブ・バウティスタ、ジャレッド・レト

 

※内容、展開に触れております※

 

恥ずかしながら前作『ブレードランナー』を未見だったので、丸の内ピカデリー爆音映画祭で観てきた(ちなみにその前家で観ようと試みたら冒頭の机を挟んで向かい合って話すシーンで寝た)。

 

話としては見たことあるような感じの集積で別に面白くはなかった(後年に影響を与えた往年の名作始めて観たときあるある)。ただ美術、衣装、照明などの視覚に訴えてくる力が抜群で、それだけで最後まで観れてしまった。特に暗い2019年のロサンゼルスをありえそうで退廃的、でもかっこよくて魅力的に描いた美術はそれだけで劇場に足を運んだ価値があったと思える。ジャンルとしてSFがそれほど好きな訳じゃないんだけど、やはりより世界に没入できる映画館で観ると楽しい。

 

2049の話。主人公のKはレプリカントであり、刷り込まれた他者の記憶をもってる。レプリカントと人間の間の子の捜査を通してその記憶の場所に辿り着くと、自分が探している選ばれし子なのではないかと思い始める。しかし実際Kはダミーで、本物は別にいた。ここで終わってもいい話だけどKはデッカードを守り、実子の元に送り届け物語が終わる。

 

ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画は『メッセージ』しか観たことないんだけど、メッセージの監督っぽい話だなあと感じた。共通してるのは両作とも「記憶」を通して自らのやるべきことややりたいことに辿り着く話ってところなんだろう。そのプロセスが物語と人物の行動で丁寧に紡がれていくイメージ。やっぱり極めて優等生的な映画作りをする人だと思う。悪く言えば角が全くないというか。この映画も含め僕はそこに物足りなさや退屈さを覚えるけどそれは好みの問題だと思う。その丸さは今回ビジュアルにも現れてるかなあ。尺の長さも相まってとにかく興味を引っ張ってくれる燃料不足感が否めない。

 

ビジュアルの話については現実ので目にしてるそれの問題もあると思う。監督も言ってたらしいけどappleの製品が世に与えたインパクトはでかくて、(おそらく多分)『ブレードランナー』以前のフィクションが思い描いていた単色でフラットなデザインの未来が一部叶ってしまったんだと思う。それに慣れた僕のような観客にはこの映画の未来観は少し弱いというか。まあ大前提として直前に観た前作のビジュアルインパクトがどうしてもね。うん。

 

総じて続編として正当性は満たしつつもうちょっと尖った一発は欲しかったなあという印象です。

 

 

新作映画103: 『わたしたち』

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監督:ユン・ガウン

出演:チェ・スイン、ソン・ヘイン、イ・ソヨン、カン・ミンジュン

 

ノーマークだったけど僕モテメルマガで知って、初めてMOVIX昭島に行った。ロビーの無重力マッサージチェアが気になった。

 

クラスの人付き合いが上手くいってないソンちゃんは夏休み前最後の放課後に秋からクラスに転校してくるジアちゃんに出会う。夏休みを通して二人は仲良くなるが、新学期が始まるとジアちゃんの様子があれ、なんかおかしい…。

 

 なんかツイッターでまわってきた漫画でさ、人類が狩猟採集生活をしてた時、男は外に狩りにや採集に出かけるから話し合って協力しなきゃいけなくて、かたや女性は洞穴の中で作業しながらお喋りするから話を通して周りに同調するようになった、みたいのが流れてきたんですよ。本当かどうかわからないけど納得度は高いよなと思って。

 

小学生の時、女子は派閥や一匹狼に分かれてケンカばかりしていたイメージ。小6の時なんかの時間に男子は廊下に放り出されて女子は教室の中でケンカの話し合いを先生を議長にしてやってたのははっきり覚えてる。

 

性差の話をしたいわけじゃないんだけど、まあ女の子はそういうのあるよなって子供ながら思ってた。今でも職場のパートのおばちゃん見てて思うしな。

 

この映画の上手くて残酷なところは二人を夏休み直前に出会わせて仲良くさせてからクラスという箱の中に放り込むところですよ。

 

もうちょっと大きくなってそこそこ人付き合いがうまくなれば、この映画は元友映画になってたかもしれないのよね。別にジアちゃんじゃなくてもいいし、疎遠になっても別のコミュニティでやればいいやって。でも小学生だからクラスは世界のほぼ全部なんだよ。(ちなみに英題は「The world of us」)。一人の友達でも分母が少ないから諦めるには重すぎる関係なんだよな。

 

ただそんな打算的な理由は大人の僕が考えたクソなアレな訳で 、経験値が少なくて不器用なソンちゃんにはジアちゃんとのそれまで人生で経験したことないようなキラッキラの思い出があるからその繋がりを保とうとする。まずそれが「あぁ…」ってなるわけです。

 

さらに、この映画のいいとこはここで終わんないこと。並のフィクションならソンちゃんの思いにジアちゃんが振り向いたとこで終わると思う。ただ、ここにボラちゃんというクラスのカースト上位の女の子が介入してくる。ソンちゃんも人間だから揺らぐ。この子がある種キーマンで、単なるクラスの人間関係の話を見たことない地平に導いてる。またこの子にも色々あるんだわ。一筋縄でいかないという形容がぴったりハマる。

 

そしてそして、どん詰まりの状況で思いがけない人物がMVP級の名言をぶちかましてくる。複雑に見えた人間関係の問題を、パラっと解きほぐす。本当にシンプルなことだったんだと。ここは本当にグッとくる。本人に一切そういう心づもりがないのもすごい。そうだよ、そうしなきゃいつまでもできないもんな。

 

そして映画は最高のラストを迎える。それは是非観て確かめて欲しい。今年のベストラストシーンだろうな。以下は観た人向け!おススメ!

 

 

 

※ここから冒頭とラストシーンのネタバレします※

 

  

 

僕はあのドッジボールの枠の中が彼女らが今まで見ていた世界(=クラス)だと思ってます。冒頭、一人で早々とそこから弾かれていたソンちゃん。「あぁ、この子はクラスから浮いてるんだな」とわからせるための状況説明のシーン(長回しの1カット)のように思えた。

 

紆余曲折を経たラスト、冒頭と同じシチュエーションなのに横を見れば、あの子がいる。

 

(冒頭とラストで同じことをやって意味合いが違うのは個人的なツボと繰り返し言っておきたい。おススメ教えてください。いや、事前に知ってたらダメか。)

 

映画的に言えば二人が同じカットに収まっている。冒頭で窮屈にソンの顔だけ捉えていたカットが、二人の顔を捉えることで何倍にも広がっている。映画のカットはその世界を切り取ったもの。それが一人でなく、二人の顔を同時に映すことで確かに広がっている。「The world of us」が広がっている。なんと映画的、感動的なラストだろう。唸った。

 

この二人がこの後どうなるかはわからない。仲良しのまま死ぬまで親友かもしれないし、2年後には別々の中学に進学して疎遠になるかもしれない。別になんでもいいと思う。お互いの存在が記憶に刻まれているだろうから。敢えていうなら、願わくば二人一緒にボラちゃんとも仲良くやってくれよというところかな。

 

全然どうでもいいけどこの二人がこのまま小中高と付き合い続けた結果『スウィート17モンスター』の親友コンビみたいなことになったらめっちゃ面白いよね。『わたしたち』のアフターストーリーとして観たらもっと笑える(台無し)かもね。

新作映画101&102:『あゝ、荒野 前篇・後篇』

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監督:岸善幸

出演:菅田将暉、ヤン・イクチュン、ユースケ・サンタマリア、木下あかり、山田裕貴高橋和也木村多江今野杏南、河井青葉、モロ師岡、でんでん 他

 

あゝ、荒野です。前後篇まとめて。元々劇場公開前からU-NEXTで配信してた関係なのか前篇の公開から1ヶ月経たずに早くもソフト化及びレンタル開始してるので是非観て欲しい。主演の菅田将暉、ヤン・イクチュンを始め上に挙げた役者たちがとにかく皆素晴らしい。ファイトシーンは圧巻。まあ通しで5時間近くあるので家で観るのはしんどいかもですがオススメです。

 

※展開のネタバレなどはしませんが、多少内容に触れます※

 

2021年。上下スウェットに近い格好をした新次(菅田将暉)がラーメン屋に入ってきてラーメンを注文する。傍らのサラリーマンの前にはトッピング全部乗せのそれが出され、手をつけようとする。虚ろな目でそれを凝視する新次。すると、爆発音。サラリーマンを始め店内の人々は外の様子を見に行く。新次も一応ダラダラそれに続く。隣、その隣の軒先で爆発が続く。新次は興味なさげに店内に戻ると、サラリーマンの頼んだ全部乗せラーメンに食らいつく。あゝ、荒野 前篇。

 

なんだこのアバンタイトルは。俺はボクシング映画を観に来たはずだろう。ん、2021年。そうか、これは近未来映画なんだ。日本国内でも爆発事件、もしくはテロが起きるような時勢になってしまってるってことなのか。しかしこの菅田将暉は気にも留めない素振りを見せている。そんなことは関係なく、目の前の欲求(ラーメン)に忠実な男だ。このアバンタイトルはなんだろう。何を意味しているんだろう。そんな興味で頭がいっぱいになった。

 

この映画が描いてる2021年は、(少なくとも僕が見るに)ディストピア奨学金を抱えた学生は老人介護か自衛隊の海外支援(とゆー名目の何か)に駆り出される。国内でテロが起こっている。東日本大震災で被災した子どもが大人になって荒んだ日々を送っている。自殺者が増加している。

 

そんな時代に生きる二人の男が運命的にボクシングに出会う。きっかけは方や復讐のため、方や住む家のため。基本的にこの二人は今の目の前と過去しか見てない。未来を見ようとしない。できない。とにかく過去を清算するために今を生きる。ボクシングという手段を用いて。閉塞的な時代設定が効いている。

 

前篇で目立ったのが新次と健二(ヤン・イクチュン)のボクシングパートとは別に進むもう一つのストーリー、自殺研究会のパート。街行く人に自殺したと思ったことがあるかどうかを聞いてその理由を尋ねたりするアレな集団。

 

ここは言ってしまえばこの映画の世界に蔓延する問題を説明するようなパートになっちゃってると思う。一応こっちにも前篇でクライマックスのようなものがあるんだけど、うん。前篇の時点ではこれが後篇にどう活かされるのか判断保留的な感じだったけど、後篇まで観ても有意義なパートだとは思えなかったしなんならこれで尺削れただろとすら思った。

 

ただ自殺志願者やそれを追う人たちを描写する意味が全くないとは思わない。なぜなら社会のビョーキに相対的にやられていく有象無象に対して、ただ戦いたいから戦う新宿新次(新次のリングネーム。前後篇通して一番笑ったのはユースケがこれを命名するシーンかも)の絶対性が際立ってくるから。

 

僕はこのことを端的に示しているのが前述のオープニングのシーンだと思ってる。最上級の社会問題と言って良いテロが起こす爆発より目の前の欲を優先する新次の絶対性のこと。命の危機から逃れることより生きるため(=戦うため)の食事を優先する獣のような男。中と外、相対と絶対、有象無象と唯一無二、逃げることと戦うこと、様々な二律背反がせめぎあう素晴らしい掴みだったと今では思う。

 

(ちなみに食べ物を使った演出だと前篇である人物がお弁当を一人で食べながらツーッと涙を流すシーンもとてもよかった。食べ方もいいんだよね。)

 

あとさ、この映画はボクサーの試合前のストイックな禁欲もちゃんと描写するのね。食事制限及び減量は勿論、足にくるからセックスも禁止。新次は普段は欲に突き動かされて生きてるようなヤツで、それは冒頭シーンとか、行きすがりの女とそれこそ獣のようにヤリまくるシーンでわかる。それを試合で全部解放するって理由から来るギラギラした感じにも説得力がある。

 

そして、ヤン・イクチュン演じるバリカン健二はそんな新次に憧れた有象無象の一人。虐待のトラウマから拳闘にも及び腰だったけど、ある理由から新次と戦うことを望み始め、力をつけていく。

 

この二人が戦う事になるのはまあわかっていたとしてもアガるし固唾を飲んで見守らざるを得ない。んだけど、惜しいのは二人が戦うその理由がなんとも弱いこと。ただやっぱりあまりに圧巻のファイトすぎてそんなことすらどうでもよくなってくる。なんならそれまで悲喜交々あったこの戦いを見守る二人の周囲の人物もどーでもよくなってくる。正直この対決は『クリード チャンプを継ぐ男』と比べても比肩するレベルだと思った。

 

後から考えれば言いたいこともある映画なんだけど、とにかく観た直後は座席からちょっと立ち上がれないぐらい食らった。それこそクリードぶりぐらいかもしれない。

 

渋谷シネパレスで後篇観て、すぐにiTunesBRAHMANの歌う主題歌を買って、渋谷から引き寄せられるように歌舞伎町の方に向かって歩いた。歩きたくなった。

 

新宿新次とバリカン健二のことは忘れられない。暗い近未来を生き、戦った二人の男を。

新作映画100:『アウトレイジ 最終章』

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監督:北野武

出演:北野武大森南朋西田敏行ピエール瀧塩見三省原田泰造松重豊大杉漣、白竜、名高達男光石研池内博之津田寛治、金田時男、中村育二、岸部一徳

 

※内容に触れてるからこれから観るやつは読むなバカヤロー※

 

お陰様で新作レビュー100本目でございます。目指せ1000回。

 

まず無印の楽しい殺人描写とか前作『ビヨンド』のバカヤローコノヤロー口撃の応酬とか、そういう意味での集大成を期待していったのはダメだったなと。なんかモードが違うというか、それらはもうやったからって感じ。いやどっちもなくはなかったんだけど。悪く言えば半端な感じもした。

 

大友がほぼ一線から退いてて、最後に全部攫う役どころだったってのもカラーを決めた要因だったのかも。ほぼ最初と最後しか出てないぐらいの印象。きっかけのいざこざと世話になった会長への忠義で汚れ役を引き受け全部攫ってっちゃうぐらいで。そういう意味ではストレートに任侠に生きる大友の新しい面も見れたというか。

 

今回の大友はほぼデウス・エクス・マキナですよね。しかもそれを監督がやっちゃうっていうのが尚更その感じを増してるというか。全部なくなって自分も死んで、「しかもこれでシリーズも終わりなのか」という観た後の虚無感が印象的。往年の北野バイオレンス映画の後味にやっぱり近い。

 

いやただそういうのと同じぐらい悪い意味での虚無感もあったよ。キャストの魅力は明確に落ちてると思った。ピエール瀧は新しいとこ何も見られず関東圏の人間から見ても下手じゃね思うレベルの関西弁しか記憶にないし、原田泰造ロクなセリフが無い単なる鉄砲玉だし、衣装が絶妙にダサくて最高な大杉漣涙袋が爆発しそうな岸部一徳、スクリーンに映った瞬間笑ってしまった韓国マフィアの側近役津田寛治とかもいいんだけどファンサービスの域は超えてない感じもしちゃった。池内博之とか白竜はもっとこう…あっただろう!松重豊塩見三省、そして金田時男が敢闘賞!

 

懐かし北野映画味がほんのり感じられるという意味ではまあよかったのかな。でもアウトレイジの最終章としてうーんというノイズがねえ。

 

新作映画099: 『新感染 ファイナル・エクスプレス』

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監督:ヨン・サンホ

出演:コン・ユ、キム・スアン、チョン・ユミ、マ・ドンソク、チェ・ウシク、アン・ソヒ、キム・ウィソン 他

 

しつこいぐらい言うけど韓国映画の最高なところは登場人物をいじめていじめていじめ抜くところにある。少なくとも韓国ドS映画史みたいなラインはあると思っている。物語も演出もとにかくサド。悲惨。『オールド・ボーイ』『最後まで行く』『息もできない』『シークレット・サンシャイン』『オアシス』などなど。この並びに新たな傑作が加わった。

 

その名は『新感染 ファイナル・エクスプレス』。うーん、ダジャレ。しかもKTXって新幹線?とかそれはいいとしてもなんか第一印象は「はあ」って感じだった。後評判を追って滑り込みで観て自分の見る目なさを恥じた。

 

とにかく118分中108分ぐらいはドSモード入りっぱなし。初っ端のゾンビ発生から「いやもうこんなん無理だよ」と思わざるを得ない。終始そんな感じ。物語と画面作りが常に絶望感を保っている。

 

かと言って単調な訳ではなく、「目視確認しないと襲ってこない」という今作のゾンビルールと「特急の中」というシチュエーションを組み合わせた緩急などもつけてくる。このワンアイデアの相乗効果がフレッシュな画も見せてくれたりするのが楽しい。新聞紙をそう使うかと。

 

 主人公のソグ(髪型も相まって大沢たかおにしか見えない)は嫁と離婚し祖母と娘の三人暮らし。その割にファンドマネージャーの仕事一辺倒で娘に既に持ってるゲーム機を誕生日プレゼントしたりするダメな父親。母親に会いに行く娘の付き添いで乗った釜山行きのKTXの車内でゾンビパニックに会う。

 

ソグは仕事のコネを使って自分ら親子だけ助かろうとしたり、ゾンビから辛うじて逃れた車両間のスペースで老人に席を譲った娘に「そんなことしなくていいから今は自分のことだけ考えろ」と注意したりする。客観的に見ると利己的な人に見える。観てる時はそう思った。ただやってること自体は娘の命を守るためにできることであって、多分同じ状況に放り込まれたら自分もそうすると思うんだよね。満員電車ですら周りの人間に配慮とかしたくなくなるもんね。

 

そんな主演のコン・ユさんがどうだったかと聞かれたら真っ先に挙げて褒めたいシーンがある。部下からの電話で自社が利益目的で違法に支援していた企業の事故で今回のゾンビ沙汰が起きてることを知ったソグが、鏡の前で顔についた血を洗い流すシーン。『第9地区』のヴィカス程じゃないけど、利己的な人間が立ち上がる瞬間はグッとくる。

 

敢えて文句を言うならその後のクライマックス、泣かせるシーンの泣かせるぞてめえ感が強すぎて若干冷めてしまった。どアップでピアノはやめよう。ただ状況が落ち着いたように見えたその後のラストまでサスペンスを維持するエンターテイメント精神に免じて全て許せた。あっぱれ。おススメです。

新作映画098: 『パターソン』

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監督:ジム・ジャームッシュ

出演:アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ、永瀬正敏、ネリー(犬) 他

 

 

なんせ最近このチラシの裏の更新が停滞気味で、もうこの映画を観たのが1ヶ月前という体たらくです。朧げな記憶を辿ってこの映画の内容を反芻してみました。

 

ニュージャージー州パターソン市に暮らすパターソン氏はバスの運転を生業とする詩人。愛する妻と愛犬と暮らし、平凡な日常の機微を詩という形にしてノートに書き留める日々。彼の一週間を描く。

 

ああ、思い出してたらパターソン氏みたいな暮らしをしたくなってきた。なんなら悲しくなってきた。

 

なぜかと言うと、今年から社会人になったからです。慣れない仕事に振り回され、一日あっという間です。与えられたタスクをこなすので精一杯で、その中に楽しみや喜びを見出す余裕もないような状態が続いております。帰ったら飯食って飲んでゲームやって寝ちゃうし。

 

詩というライフワークを持つところも憧れ。日々ほぼ決まり切ったルーティンに沿って活動してるにも関わらず、その中にある揺らぎや気づきに目をやり耳を傾ける。インプットした半径1メートルを頭の中で噛み締め味わい、詩の形にしてアウトプットする。ある種のルールに従って日常の一部を文字列に変換することで見えてくる美しさ。それで繋がる人と人。素敵ですなあ。まあ僕にとってはそれが映画だったりするんですけど。

 

膝を打ったのは嫁さんに「双子とかできたら素敵やん?」って言われたら街中に双子がいっぱいいるという演出。潜在意識がカットの中に現れるという。映画で人物が見てる世界をこういう風に表現できるんだなあと。

 

特に非の打ち所がない、しみじみ良い映画でした。