静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画レビュー006: 『サウルの息子』 &僕が映画を観る理由。

『サウルの息子』
監督:ネメシュ・ラースロー
出演:ルーリグ・ゲーザ、モルナール・レベンテ他

鑑賞直後である。ですます調を使いたくない気分。僕は映画を考えるときのなんとなくの基準として「観る前の自分からどれほど遠くに連れて行ってくれたか」というのを一つ考えることがある。例えば(宇多丸も『セブン』か何かのエピソードで同じような言ってたけど)とんでもなく胸糞な映画があって怒ったとする。それは鑑賞前の自分からはあり得ない感情を作品から引き起こされているということで、それはむしろ喜ばしいことだと思う。

この『サウルの息子』に対してはまあそういう前述の例えのような思いを抱いている。サウルの行いのノレたかノレないかと問われればノレない。全くノレない。死者に固執して生者がまだ生きようとするのを邪魔するなんてあり得ないと思う。その間柄がもし血縁関係にあったとしても。

これは僕が身近な人の死というものに今のところ縁がないというのもあるかもしれないが、ヤバい言い方をするなら人の死に関してリアリティが持てていない。物心ついてすぐの時ほとんど会ったこともなかった叔父が亡くなったが、火葬の前に泣き叫ぶ祖母を見て不思議に思ったことを思い出す。ニュースで事故や事件の遺族が会見とかやってるの見るとなんだかなあと思うこととかもある。別に関係ないかもしれないけど幽霊とかも一切信じない。

だからつまり何が言いたいかというと死んだ人はもういいじゃんってことなんですよ。そんな風に思ってるだけにサウルには割とイライラしていた。

ただここで考えなければいけないのが彼の置かれている状況なわけで。ただでさえアウシュビッツなのに更にゾンダーコマンド。死ぬまでの短い間、同胞の死体処理をやらされる立場。そんな中で自分という正気を保つためには何か一つ、他人から見れば狂気ともとれるこだわりを持ち続ける必要があったのかなと感じた。何でもいいから自分の中に一本芯を通すというか。

それが自分の感じに被った。すごく大袈裟な言い方になるけど、嫌なことやヘコむことばっかりの世界に対して自分を持ち続けるために何かを得たいと思っている自分に。ちなみにそれは僕が映画を観る理由の一つでもあるので尚更である。

つまり、鑑賞中は「なんだこいつありえねーだろ」と思っていたのが、鑑賞後に考えてみると「あ、あいつのことわかる」と見事に反転してしまったという訳である。勝手に思ってるだけなんだけど、でも個人的な映画ってそういうものでしょう。

もう映画を観る理由に言及するなら、違う時代や国、立場の人(あるいはモノやコトでもいい)に肩入れできる時に「映画って面白いなあ」って思うわけです。アウシュビッツのゾンダーコマンドなんて聞いたこともない役職(?)の人にこんなこと思えることってどう考えても滅多にない。まあこれは映画に限らずフィクション全般に言えるかもしれないですけど。

なんか好き嫌いとかじゃなく個人的な映画になってしまいました。『ブリッジ・オブ・スパイ』の時も言いましたけど、僕は歴史知識なんぞないのでその方向は危惧していたんですけど、まさかそういうの一切抜きに心動かされるとは全く思ってなかったので驚きです。

たまにこういうのがあるから映画館通いはやめらんねえ!