静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画レビュー012: 『ヘイトフル・エイト』というかタランティーノ映画の謎の目の離せなさ。

『ヘイトフル・エイト』

監督・脚本:クエンティン・タランティーノ

音楽:エンニオ・モリコーネ

美術監督:種田洋平

出演:サミュエル・L・ジャクソンカート・ラッセルジェニファー・ジェイソン・リーブルース・ダーン


タランティーノ出たー。去年の秋あたりに授業で隣だったサブカル女が「タランティーノの新作たのしみぃー」とか言ってて本当皆好きだななどと思っていた。なんで皆そんなにタランティーノ好きなんですかね?とりあえずタランティーノって言っとけばいいや感ないですか?

と思っていたんだけど、以前ペプシかなんかのCMでも使われていたThe HeavyのSame Ol'がバックに流れる予告がとても面白そうで観てみることにした。本作のために何本か予習もした。ただまあ、これは言ってもいいかと思うんだけど、本編でもエンドロールでもこの曲が流れなかったのは大いに不満だった。「また日本の宣伝がやらかしたのか」と海外版の本予告を見てみると同じ曲が流れててびっくり。なんで?


タランティーノの作品は文句垂れつつこれで5本目だったんだけど、今回はまあ良かったんだと思う。というのも本作はこの僕に168分寝させずに観せ切ったという時点で僕の中ではすごいということになっている一方、観終わったあとの感じはやっぱりもやっとするものが残ってるから「だと思う」などと訳分からない言い方をした。


ヘイトフル・エイトの話はほとんど終わりなので、ここからはタランティーノについて思うことを書きます。


もやっとするもいうのも悪い意味ではなく、本当にタランティーノの魅力については皆さんが言うほどよくわかってないので、僕に会ったタランティーノファンの人は僕に是非熱く語って頂くかここにコメントでも残して頂きたいです。

でも、一つ言えるのは「面白くないけどなんか観ちゃう」ということ。不思議な目が離せなさがある。恋か。


やっぱりそれってあの特徴的な「ムダ話」にあると思う。ムダなんて言うと身も蓋もないけど、豊かさのある遊びと言ってもいい。この目の離せなさの理由について、ここで僕はある仮説を立てた。

それは

タランティーノ映画」に内包された「ムダ話という豊かさのある遊び」という関係は、「人生」に内包された「映画という豊かさのある遊び」と言い換え可能なのではないかということ。

「タラ映画のキャラクターがくっちゃべるハンバーガーの話とかライクアバージンの解釈の話」と「それを聞いてる人」の関係は「映画」と「観客」の関係とイコールとも言える。


自分でも何を言ってるかわからなくなってきたが、タランティーノほど映画を観てる監督もそういないらしいのでもしかしたらそういう解釈も可能かもねぐらいで…。

別になくても困らない映画という媒体から目が離せない理由がタランティーノ映画にある…かもしれない。

僕は特にタランティーノが観て育ったような世代の映画に全く詳しくないので、そういうオマージュ元を拾ったりとかそういう楽しみ方はできないので、まあそんな感じでもやもや楽しんでます!