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静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画レビュー027: 『スポットライト 世紀のスクープ』と内田樹「街場のメディア論」

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『スポットライト 世紀のスクープ』

原題:Spotlight
監督:トム・マッカーシー
出演:マーク・ラファロマイケル・キートンレイチェル・マクアダムス、リーブ・シュレイバー、ジョン・スラッテリー、ブライアン・ダーシー・ジェームズ
 
 
あらすじ。米国の新聞、ボストングローブ紙にやってきた新たな編集長の指示により、「スポットライト」と呼ばれる特集記事のチームは、カトリック教が組織ぐるみで隠蔽してきた児童への性的虐待を明るみに出すため取材を開始するー
 
最初に実話ベースの作品であることを提示するも、巧みな脚本や演技に基づいた質の高い劇映画を見せて実話ベースであることを忘れさせる。しかし最後には人々の暮らしにその許されざる不正がゾッとするレベルで肉迫していた(あるいは未だにしている)ことを実感する瞬間。実際にあったスキャンダルを扱うのでなければあり得ない映画体験として非常に価値あるものだと思いますし、それでしか味わえない瞬間がありました。僕は生活の中でキリスト教に馴染みはありませんが、それでもあれを見せられたら背筋が凍るというものです。当初の見込んでいた数が氷山の一角でしかなかった段々わかっていって、からの…という前フリの段取りも丁寧で、インパクトを強める工夫が図にあたっているように思います。
 
メディアとしてのアメリカのこういう新聞の在り方は正義感に熱いお国柄(?)ならではのものなのでしょうか。日本においてはこういうスキャンダルを暴くのは特に最近は週刊文春あたりの生業で、新聞社はあったことや発表されたことを紙面で報道することが多いように思います。少なくとも「独自の極秘調査に基づく特集記事欄(公式サイトより)」というのはなさそうですが。
 
本作を観てメディアの在り方というところに興味を持ち、家に積んであった内田樹の「街場のメディア論」という本を読みました。その中に「正義の暴走」と銘打たれた章があります。長くなるので一部をざっくり説明します。
 
まず内田はメディアにおける「定型」というものの恐ろしさを指摘します。おじさん系の週刊誌の若い女性記者が「書くの大変でしょう」という作者の問に「記事の書き方に定型があるので覚えればおじさんのように書けるようになる」と答えた話を例に出して、記事を実際に書いているのは生身の人間でなく「定形的文体」だということになると主張します。加えて、週刊誌や新聞におけるトラブルで責任を取るのは個人ではなく会社、さらに言うと「たまたまそういう立場にいる人」であると。そこから「最終的にその責任を引き受ける人がいないような言葉はそもそも発せられる必要がない」と言い放ちます。「少しでも価値判断を含むものは、(略)そのコンテンツの重みや深みは、固有名を持った個人が担保する他ないと僕は思うのです。」と続けます。また、定型は先行した記者の記事を参考にしてそれをまた参照して…の無限参照の中でも形成されます。最終的な責任を引き受ける生身の個人がいないことが、メディアの暴走を引き起こすわけです。
 
「どうしても自分が言っておきたい言葉」は、共感や賛同してくれる人がいないから、それを集めるために情理を尽くすのに対し、自分が口を噤んでも同じことを言う人間がいくらでもいる言葉は、いくらいい加減な言い方をしても勝手に広まってしまう。「固有名詞を持たない人間(名無し)」が匿名掲示板で発する口汚い言葉がその典型であり、その発現に責任を取る人はいません。それは「私は存在しなくなっても困らない、代替者がいくらでもいる」と公言しているのと同義であると内田は言います。同じことがメディアにも言えて、「誰でも言いそうなこと」を選択的に語っている内に、それならなくなっても構わないと受け手の側が気付いてしまったことがその失墜の原因であると結論付けます。
 
僕の要約なのでこれだけ読むと矛盾や齟齬が生じているかもしれませんけど、それも含めて気になるところがあった方は是非読んでみて欲しいです。無責任な解決策を示すのではなく、メディアを考える上で忘れがちなところ、見落としがちなところを提示し考え、見直すきっかけを作っているところが誠実だなと思います。本当にわかりやすく伝えてくれてます。大学のメディア業界志望の学生向けのキャリア教育授業を文字起こしし加筆修正した本いうことで、1章はキャリア教育論を展開するのですが、それも目から鱗でした。これから就活を迎える人や今悩んでいる人にはここだけでも是非読んで欲しい。
 
話が逸れましたけど、つまり僕が言いたいのは上記の「責任を取る生身の人間が不在の定型メディア」とは真逆のモデルを本作が提示してくれているということなんです。スポットライトチームは当事者の下へその足を運び、眼で相手の顔を見て、手ではひたすらメモをとり長期間の取材を敢行していました。そして、記事を書き上げた後も尚、まさにその説明や対応の責任を果たすために日曜出勤して電話の番をチームでやるわけです。「どうしても自分たちが伝えなければならないこと」があり、賛同者を集めてムーブメントを起こしたいという願望を胸に秘めているから生身を削ってまでこういうことができるわけで、どの新聞社も取り上げるような記事ではどこかしら妥協が生じ得るでしょう。僕はメディアに関わるかどうかわかりませんけど、「俺がやらねえで誰がやるんだ」という思いはどこにいても大事にしていきたいと思いました。
 
あと子供の頃神父に性的虐待を受けた被害者の人たちの危うげな佇まいとかすごく絶妙だったなー。ラファロは毎回カメレオンみたいに環境に自然に溶け込んでる。すごい役者だと改めて思う。