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静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画レビュー036: 『FAKE』

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監督:森達也

出演:佐村河内守、佐村河内香、森達也、新垣隆、佐村河内家の猫

 

 

こんちは。あの佐村河内守に『A』『A2』の森達也が迫るドキュメンタリーをやると聞いて珍しく定期券区間外の渋谷のユーロスペースまで行ってきましたよ。平日(公開4日目)の18時半の回でしたけど、ほぼ満席。

 

 

公式サイトの推薦コメントにしれっと混じっててもバレなさそうだなと思うツイートだけど、観た直後に僕がしたものです。結構端的に観たあとの感じが表せていると思ってます。このツイートに肉付けしていく形で本作を振り返ってみたいと思います。

 

「佐村河内問題」

問題とはなんだったのでしょう。何が問題だったのでしょう。本来、冷静に考えたら僕らにとってこんなニュースはクソほどどうでもいいことです。21世紀のベートーベンが他人に曲を作らせていたから何なんでしょう?そもそも佐村河内守と新垣隆の名前をこのニュースで知ったのは僕だけではないはずです。そんな感じだったのにいつの間にか2014年の重大ニュース扱いされちゃって。メディアにとって目を引きやすい話題だったから繰り返し報道されていたにすぎません。それを「メディアが取り上げてるからこれは問題なんだな」と漠然と勘違いしてしまった僕ら受け手のリテラシーの欠如にも責任がある。本作を観た後だと、自分が如何にテレビや雑誌のメディアに踊らされていたのかわかります。本作を観ている時の良い意味での「俺何でこんなの観てるんだろう?」感は、多分このことに無意識に気付かされた結果なのだろうと思います。

 

「真実を暴く」

この映画を観たあとの僕に佐村河内問題(便宜上問題と呼びます)の真実を自信をもって主張するような胆力はありません。「その人が知らないもの」は「その人にとってないもの」と同じです。つまり「誰も知らないもの」は「この世にないもの」と同じということになりますが、この問題における真相は最早誰も知り得ない。佐村河内と新垣が二人で話し合ってもそこにはたどり着けないと思わされます。だとしたら僕らがすべきことは?メディアの見出しだけ見て真実を知った気になるのがすべきこととは思えません。

 

「ドキュメンタリー」

今までドキュメンタリー映画はそんなに観たことがなかったんですが、そのどれもが「事物や問題、人を観察しそれを僕らに伝えるもの」と感じていました。これに関してはドキュメンタリー映画監督の松江哲明とシンガーソングライターの岡村靖幸が対談でとっても面白いことを言ってたので引用します。

岡村 だから、ドキュメンタリーって、ジャーナリスティックな側面はもちろんあるんだけれど、なんだかよくわからない不思議なものを観てるぞっていう面白さ、それも大事だと思うんですよね。

松江 岡村さんの言ってることはまさにそう。僕もドキュメンタリーを撮る立場として、それはすごくそう思うんです。よく、「ドキュメンタリーなんだから、世の中の不正を暴いてくれ」と言われることがあるんですが、ドキュメンタリーと報道は違うんです。もちろん、報道の中にドキュメンタリーの要素はあるし、ドキュメンタリーの中にも報道の要素はある。でも、ドキュメンタリーがフォーカスすべきは、事件の経過や、真実か否かではない。人間なんです。そこに登場する人の人間味なんです。ドキュメンタリーは、人間の生々しさをいちばん撮りやすい手法だと僕は思っていて、ドキュメンタリーをやるのは、その人間味を観たいからなんです。僕が劇映画を撮らないのはそこなんです。

岡村靖幸×松江哲明 : 森達也監督15年ぶりのドキュメンタリー映画 佐村河内守“主演”の『FAKE』を語り尽くす 後編 | GINZA | CULTURE

 

僕なんかはドキュメンタリーも真実を第一に追求すべきものだと思っていましたが、第一線で活躍する作り手がこういう風に言っているので驚きました。真実か否かよりフォーカスすべきところが人間であり、その生々しさや味がもっとも撮りやすい形式なのだと。この価値判断に従うならこの『FAKE』は至高の作品だと思います。メディアがペテン師と揶揄し、非人扱いしてきた存在を良くも悪くも人間味に溢れた存在として記録し続ける。(こうやって書くと僕が最も好きなタイプの映画なんだよね。どんどん好きになってくる。)劇中で森達也が佐村河内夫妻に過剰な介入とも取られかねない要求をするシーンがあるんだけど、それもその人間味の発露を促していると考えれば有りなのかなと。

 

「深みにハマった」

まあこれはそのままというか。もう何が真実かはわからないという深みにハマったということです。今となってはどうでもいいのかもしれませんけど。

 

「カメラが回ってない他の部分に意識が支配されるジレンマ」

正確にはカメラが回ってないというか、映画に収録されていない部分といったほうがいいのか。僕らにとっては映画として見せられることがすべてなのだからそこで判断する他ないんだけど、どう見たってグレーなバランスで映像素材の取捨選択・編集がされている。白黒つけるつもりで作ってないのは明白。多分そういう風にも調整できたはずなのに。これは映画だから編集されて一本の作品になるけど、じゃあニュースや雑誌もそうでしょって話。上のリンクの対談によると本作の撮影期間は2014年9月~2016年1月の1年4か月間らしいけど、その中で都合の悪いことは使わなかったり、人をいなかったことにすらできちゃう。観てる僕らに知る術はない(=ないのと同じ)。恐ろしい。

 

僕の脳みそとメディアリテラシーが悲鳴をあげている」

まあ、そのままです。楽しい拷問を受けたような気分でした。

ここまでカタいことをつらつら書いてきましたけど、基本的に面白いのが偉いよ。面白くなくちゃ意味ないからね。猫とかね。オススメですよ。

 

余談なんですけど、この映画を観た後奇しくも上の対談の松江哲明監督がやってるドラマ『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』の主題歌を思い出したんですよね。松岡茉優伊藤沙莉が可愛い。でもこの歌詞、嘘(フェイク)に対する折り合いの付け方として、案外イイ線行ってるのかもしれませんね。

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