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静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画061: 『沈黙 -サイレンス-』 と無神論者の僕が考える宗教。

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監督:マーティン・スコセッシ

出演:アダム・ドライバー、アンドリュー・ガーフィールドリーアム・ニーソン、キアラン・ハライズ、浅野忠信窪塚洋介イッセー尾形塚本晋也小松菜奈加瀬亮

原作:遠藤周作

 

 

かなり遅めの2017年新作映画初めでした。改めて今年もよろしくお願いします。だらだらしてたらもう二月なっちゃいましたけど。

 

まず暗転〜1カット目までの流れに魅了された。流麗で美しい。アカデミー撮影賞にノミネートされた後に観たからかもしれないけど、巻き戻して見返したくなるようなカットがままあった。よく言われることだけど、ことこの映画に関しては「カメラの視点=神の視点」という意識を保持しながら観てた(何かわかったとは言ってない)。真上から登場人物を見下ろすカメラアングルが何度かあったからかもしれない。撮り方に注目してみるとまた面白そう。

 

特定の宗派を信奉していないどころか初詣にも行かないレベルの無神論者の僕がこの映画を観て信仰というものについて考えた時、僕の頭に思い浮かんだのは「溺れる者は藁をも掴む」という諺でした。

 

この世をすごく流れの速い川だとしましょうよ。気が付いたらそんな川に突き落とされてる状況。目に口に冷たい水が入って辛い、皮膚の感覚がなくなってきて向こう岸まで泳ぎ切る気力もない、そもそも泳ぎ渡ったところに何があるのかもよくわかんない。もうやめちまおうかと匙を投げそうになる人がいます。

 

そんな彼の閉じかけの目の前に上流から藁が流れてきました。激しい流れに乗って咄嗟に掴んだそれを眼にし、彼は上流にいてこの藁を流した存在がいるのかもしれないと思ってしまう。対岸に渡りきってその存在を一目拝んでみたいというモチベーションを得た彼は、再び泳ぐ気力を奮い立たせるのであった―。

 

この映画におけるキリスト教(あるいは宣教師)が藁です。ポイントなのは藁自体は川を渡ることにおいて何ら「役に立たない」ということです。藁が進ませてくれるのではなく、進むのはあくまで人間です。藁はモチベーションを上げるためのきっかけでしかない。もっと言うなら人間がたかが藁如きに勝手に意味を与え、それを信じ込むことで勝手に盛り上がっているだけです。

 

更に付け加えるなら、この下手くそな例え話が「彼は無事川を渡ることができました。めでたしめでたし。」で終わるかどうかもわかりません。藁に触発されて泳ぎ続けた結果、そこで諦めた方が楽なぐらいキツい目にあって結局溺死することも有り得るからです。ピラニアの群れに全身食いちぎられることだってあるかもしれません。今作中で弾圧され、中には命を散らした日本の隠れ切支丹たちはまさしくこのパターンに当てはまると言えるでしょう。

 

いつかにどこかでで「お坊さんが宗教とは人が幸せに生きるための『手段』であると言っていた」という文を読みました(多分僕モテメルマガ)。あくまで手段ですから良い結果を呼び込むとは限りません。ただ、自分が選択した手段を一心に信じ、その教えを実践することに価値が有ると思い込むことが、彼らにとっててはこの世を生きる糧になっているのかもれません。例えその手段のせいで死という悪い結果を呼び込むことになっても、宗教という手段を貫いた人生に悔いはないと思えるのかもしれません。僕は塚本晋也の身体を張った壮絶な演技を観ながらそんなことを考えていました。

 

そういう手段と結果を天秤にかけ、いつも生き抜くという結果が勝ってしまうのが窪塚洋介演じるキチジローなのでしょう。生き残る度にまたぬけぬけとやって来て許しを請う、そういう情けない存在を赦すロドリゴもまたその度救われていたのかもしれません。

 

僕、相田みつをの「幸せはいつも自分の心が決める」って言葉が好きというかこれはもう普遍の真理だと思っているんですけど、多分宗教はそういう意味で最強の手段なんでしょうね。信仰のせいでキツい目に遭っても「いや、でも俺は信仰できて幸せだから」と思えてしまう。思えてしまうというか、そこを絶対的に信じることから入るべきものなのだろうと思います。

 

貧しい暮らしを強いられていた人が多くいた時代、宗教という手段を取った人々の気持ちはこの映画を観てからこうして考えれば全くわからないものではありません。それは現代でもまた然りです。今までは宗教に浸る人の気持ちが一切わからなかったのですが、うーん、ほんのちょっとわかったかもしれません。体感として納得できたというか。そういう意味では観てよかったです。