静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画087: 『仮面ライダーエグゼイド トゥルー・エンディング』

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監督:中澤祥次郎
出演:飯島寛騎、瀬戸利樹、松本享恭、小野塚勇人、松田るか、岩永徹也、甲斐翔真、堂珍嘉邦ブラザートム藤本美貴
同時上映: 『宇宙戦隊キュウレンジャー ゲース・インダベーの逆襲』


このブログを読んでくれてる人は特撮を見てないだろうし、特撮を見てる人は恐らくこのブログを読まないだろうから、特撮映画の時は誰に向けて書いていいかわからなくなる。しかし困ったことに自分の熱が上がるジャンルだから自分のために書こう。

 

【「仮面ライダー」の「映画」として素晴らしい点】


エグゼイドは現在毎週日曜朝に放送中、書いてる時点で残すところ3話とクライマックス最中の仮面ライダーである。「医療とゲーム」をテーマに、人体に潜伏するバグスターウイルスから発生する怪人・バグスターから患者の命を守るため戦う(=オペを行う)ドクターライダーたちの戦いが描かれる。

 

今回の劇場版は「トゥルー・エンディング」と銘打たれた通り、パラレルワールドではなく本編と直結した真のエンディングが描かれる。しかし本編との関係性が公開前の段階で明言されている訳ではなく、この作品が「もう一つの最終回」なのか、「最終回の後の話」なのか、或いはまた違う何か、なのかは映画内の人物配置やディティール、或いは公開以後のテレビ版のエピソードを見て判断しなければならない(ちなみに僕は公開の翌日に放送されたテレビ版のエピソードを見てやっとわかった)。

 

そんな特殊な試みによってもたらされるのは「今、(もっと言えば公開直後)映画館で観る意味」であることは間違いない。並行して放送中のテレビ本編との交わり方を類推する楽しみは前述した通り、更に公開後に残されたエピソードにも本作という補助線が引かれ深みが増すという相乗効果もある。この試みが図に当たったのか(はたまたエグゼイド及びキュウレンジャー人気が元々高かったのか)週末興行ランキング初登場2位の大ヒット(ジョジョトランスフォーマーを抑えたのはびっくり)。結果的に僕は仮面ライダーがどうとか内容云々の前に一本の映画作品として、映画館で観る意味や価値を担保しているところにまず関心してしまった。

 

そして更に重要なのは、この仕掛けは仮面ライダーというテレビシリーズと映画でしかできないということ。

 

現在日本で年間毎週継続して放送されているテレビドラマはNHK大河ドラマスーパー戦隊シリーズ、そして仮面ライダーの3本のみ。NHKは営利目的の映画製作に携わらないので、映画はないし仮に大河ドラマの劇場版をやっても史実なんだから関係性に含みを持たせることはできない。

 

ではスーパー戦隊はと言うと、こっちは夏の映画公開時期の本編の進行具合がネックになる。現在放送中の宇宙戦隊キュウレンジャーが映画公開時点で第23話。半分もやってないのにエンディングも何もない。だから本編中の時系列とは関わりの(ほぼ)ない規模の大きな単発エピソードをやるしかない。

 

つまり、仮面ライダーにしかできない構成の工夫が「映画館でかかってる今観るべき」という映画の価値の一面を生み出しているということになる。ここがまず仮面ライダーも映画も映画館も好きな自分にはとても嬉しかった。この時点で満足。
(いや、まあ結果的に足運ばせてるのは元々の人気とか、それに伴って前売り券についてたおもちゃがバカみたいに品薄だったとかさ、そんなかもしんないけど。でも結果的に売れてて、理由は色々考えられる以上この理由も考えられるし、少なくともそれも一因にあるでしょって話です)

 

 

【内容について(内容触れます)】

 

 

テレビに登場しないであろう映画限定ゲストキャラの母娘、そしてCHEMISTRYの堂珍氏が演じる敵役の関係性でもって短い時間の間にエグゼイド本編の主張を内包しているのがまず素晴らしい。

 

つまり「コンティニューや設定変更が可能なゲーム(仮想世界)のライフ」と「コンティニューも設定も不可能な現実の命」の二項対立。テレビ版ではこの二項対立の垣根も破壊して倫理観を揺さぶってくるけど、今回はこのシンプルかつ根っこにある問題提起に立ち返ったのもよかった。そこに今トレンドの「VR(仮想現実)」を取り入れるあたりも上手い。

 

 今回の患者は「ライダーの力で仮想現実から意識を連れ戻し」「医療の力で現実世界での病気を治す」という二段階を経る必要があった。その上で「オペが成功しても後遺症が残る可能性のある難病」であるという設定を付加して、VRで不自由なく生きるか、現実で苦しみと戦いながら生きるかの二者択一をこちらにも問うてくる。少なくとも僕は少し迷ってしまう。

 

しかし宝生永夢は「現実で生きて笑顔でさえいれば、人は治る。そのために患者の笑顔を取り戻す、医療はそのための手段だ」と、主張する。「患者の笑顔を取り戻す」はテレビ本編あらの彼の決まり文句だけど、ここで映画独自の患者の設定が効いてきて、毎週のように聞いていたこのセリフの重みが増して聞こえる。更にこの信念こそが「究極の救済(EX-AID)」といつ彼の名(メタで言えばこの番組)を一言で表していたのだとも思う。

 

僕はエグゼイドを見ていて、よくある「命はなぜ大事なのか」みたいな問を考えることがある。そしてどうも最近自分の中で「やっぱり一個しかない、取り返しのつかないものだから」という答に達しつつあるような気がする。だからこそそれを失いつつある者の恐怖や、それを守り救おうする者の思いが光る。トゥルーエンディングをエグゼイドらしい形で締めてくれたことをまず喜びながら、続く本編でどのようにこの作品の見え方が違ってくるのか楽しみたい。