静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画095: 『三度目の殺人』

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監督:是枝裕和

出演:福山雅治役所広司広瀬すず満島真之介市川実日子橋爪功斉藤由貴吉田鋼太郎

 

 

「是枝監督が法廷劇をやるんだあ。三度目の殺人なんてやっちゃったら死刑でしょ。」なんて予告を観てぼんやり思っていた。福山雅治演じるクールな弁護人と死刑が決まるであろう被告人の触れ合いfeat広瀬すずぐらいの感じをイメージしていた。今思えば脳みそゆるふわすぎる。

 

僕は「三度目の殺人」イコール死刑制度のことだと作品を観て解釈した。まあ十中八九そうなのだろう。自身で原案監督脚本を務めた是枝裕和とこの作品に出資した人たちは中々スゴいなあと勝手に感心していた。

 

ネオ・ウルトラQというドラマで、民主主義に興味を持った宇宙人が地球人に総理大臣とテロリストの命を投票で決めさせるという話がある。主人公がそれを説得する際のやりとり。

「何故デモクラシーに固執するのかという問いに、それに変わるものを人間はまだ見つけ出していないからだと答える。欠陥があったとしても、今ある一番優れたものを使うことしか人間にはできないという。」

(拝借元:http://blog.goo.ne.jp/nexusseed/e/aebfa718acda7da7d2a47bc48412b6ed )

 

まあこの「デモクラシー」の部分を「法廷制度」にそのまま置き換えても通るよなって。そんな危うい土台の上に人の生死の天秤を乗っけることへの疑念、その結果としての死刑は殺人に等しいという主張が伝わってくる。

( ちなみに日本の法廷制度の理念関してはjunky-glamarousさんのブログに詳しいです。

https://ameblo.jp/wildewst-yellow-monkey/entry-12309290644.html )

 

まあでもこれだけだったらドキュメンタリー映画でもできる訳で、この映画のフィクションとしての価値はやっぱり役所広司の演技にもたらされてるんじゃないかなあと。裁判とか死刑とかに限らない、もっと普遍的な人間の渇望というか思念というか。殆ど拘置所の接見シーンだけでこれだけ表せる人もいないでしょうね。ガラスの板を挟んで対する福山雅治に像が被るような撮影も見事だった。