静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画096: 『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1』

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総監督:京田知己

監督:清水久敏

出演(声):三瓶由布子名塚佳織小杉十郎太久川綾根谷美智子森川智之辻谷耕史古谷徹

 

 ※内容に触れてます※

 

 【序文:概要〜テレビ版との出会い】

今回取り上げるのは、2005年に1年間テレビシリーズが放送されたテレビアニメ「交響詩篇エウレカセブン」を再編集し新規パートを追加した作品。一部設定の改変も行われており、三部作の一本目にあたる。ちなみに「神話」をキーワードに2009年に完全新規作画で雰囲気をガラッと変えてセルフリメイクした前作『〜 ポケットが虹でいっぱい』が爆発四散していたのも良い思い出(ここでニルヴァーシュに壁パンされる)。

 

 筆者がこの作品に出会ったのは多分主人公のレントン少年と同じぐらいの歳の頃。アナザーセンチュリーズエピソード3というゲームで始めて知って、空中をサーフボードに乗って舞うロボット(LFO)のビジュアルが気に入りアニメに手を出した。

 

ただ世界観や用語などはゲームという補助線があったから辛うじて分かったレベルで、とりあえず14歳がボーイミーツガールでなんやかんや世界を救うぐらいにしか見てなかった。ただやっぱり独特の(オシャレな)雰囲気が思春期の自分刺さったらしく、主人公をTwitterのアイコンにしたりしてた(今もしてるけど)。

 

全くの余談だけど、テレビ版の最終回でかかる電気グループの「虹」って曲にどハマりしてニコニコ動画を漁ったりしていた。その時アンダーワールドボーン・スリッピーとリミックスした動画を見て今度はアンダーワールドにハマった(去年武道館の単独いった)。

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そこからダンスミュージックに手を出すようになって今の音楽の趣味が固まったような気がする。そういう意味で結構影響を受けた作品ではある。更にちなみに言うとテレビ版の続編の『エウレカセブンAO』の第1話のサブタイトルが「ボーン・スリッピー」で凄い感慨深かったんだよな。まあ1話でなんとなく見るのやめたんだけど。

 

そうやって過去のものになりつつあったエウレカセブンをまたやり直すってことで、僕が期待していたのは「全50話と(無駄に)長いテレビ版を映画3本分にまとめて手軽に振り返れるぐらいにしてくれたら嬉しい」ぐらいのものだった。正直作品としての期待値は低かった。

 

しかし先に書くと今回、僕には本当に良かった。

 

 

【冒頭:ネクロシス作戦(サマー・オブ・ラブ)】

僕はテレビ版も見てるし事前情報も多少入れてたので「あ、これが本編開始前、主人公の父が世界を救った英雄と称えられるまでの出来事ね」とわかったし「何のために、何と戦っている」のかも知ってたから(シン・ゴジラとは違うある種の雑多さも好ましい字幕の情報量に若干当惑しながら)映像や音響の迫力に酔いしれていた。この掴みだけで劇場で観る価値があると思えたのでよかった。

 

ただ初見の人に優しいとは全く言えず、知らない人には多分「地球がヤバくてロボットで守ってる」ということぐらいしかわからないはず。デカい花が咲いて音楽が流れて来たあたりで劇場を後にされても仕方ないよ京田くん。

 

ただ良く言えば説明的でないということでもあるし、それより僕には「このハイエボリューション1を楽しむにあたっては抗体コーラリアンとかスカブコーラルとかそういう細かいとこはどうでもいいですから」と割り切ってるようにも感じられた。というか本当にどうでもいいと僕も思う。

 

つまり、僕が今作に感動したという結果から逆算してみると、この冒頭から得たエッセンスとして活かされたのは「父親が息子に見せたかったすんげーこの世界、そして息子が後に恋するあの子を守って死んだ」ということのみ。それだけわかればよし!!めんどくさい考察はめんどくさいオタクが勝手にやればよし!!

 

あとは副産物?として映像的な快楽や、ファンとしてはたまらないテレビ版のキャラの昔の姿を見てニコニコ楽しんでいた。デューイとホランドの仲良かった頃の掛け合いが可愛い。タルホはこんなに若々しくて可愛かったのにあんなにやさぐれた姉ちゃんになったのかと若干悲しかった。ホランドのせいだろうな。そしてなんと言ってもテレビ版では描かれなかった主人公の父親、アドロックに声を当てた古谷徹さん(ガンダムアムロの人)の熱演が素晴らしかった。

 

 

 【中盤:父と子 】

世界を巻き込むシリアスな戦いから一転、ドタバタした音楽とともに少年のモノローグが入る。「この世界は最悪、キミもそう思うだろ?」まずここで『トレインスポッティング 』を彷彿させるんだけど、パンフで監督が「影響を受けたのかもしれない」と言ってた。意識してないけど結果としてそうなっちゃったんだろう。

 

その少年は荒野の真ん中で数匹の野犬に襲われている。「俺は逃げてるんじゃーない」と虚勢を張りながら酷い顔で号泣している。なぜ今こんなことになっているのか、プレイバックが始まる。

 

このプレイバックが本作の最大の賛否両論点で。犬に追われる現在を基準にして22日前〜2時間前までをシャッフルして描いているところが冒頭シーンからくるとっつきにくさに拍車をかけていることは間違いない。加えてテレビ版から設定が改変されているところ(レントンの出生とビームス夫妻との関係)や、個人的に忘れたところも多々あったため、ファンの僕でも初見時はかなり混乱した。

 

 ただ好意的に解釈するなら、最初に振り返ったあの出来事を最後にもう一度見ることで生まれる悲しさや、構成そのものがレントンの心情に沿ってる(思い出したくない、キミには話したくないとモノローグで言いつつ月光号にいた頃のことを若干思い出してしまうという人間らしさ)ところなど、この構成にしかない良さもあった。

  

内容としては。

5歳で父を亡くした(母親は前からいなかった)レントンビームス夫妻に養子として迎えられるも、空から落ちて来た女の子に一目惚れし、彼女が所属する(名目は)軍属組織に加入するもリーダーのハゲにいじめられたり怖い思い(アクペリエンス)してまた家出、たまたま再開した養父母の元へ再び戻り、安らぎを感じていく。という。

 

テレビ版ファンとしては当然主題だったボーイミーツガールを見に来てるわけで、ここも賛否分かれるポイントだろうなあ。だってエウレカ出てこねえんだもん。

 

ただ僕が(初見はちょっと困惑したけど)そこを不満としなかったのは、今作は父と子の話として好ましいから。実父(アドロック)の下で働いてた義父(チャールズ)が持ち前の男らしさで年頃のレントンの隙間を埋め、彼が最悪だと思ってた、そして亡き実父が見せたかった世界のデカさや素晴らしさを教える。この大まかな流れはテレビ版から変わってないんだけど、改めてタイトにキッチリ見せられるとこんないい話だったのかあ、なんて思ったりした。

 

 

【ラスト:そしてあの子のところへ】

ただ、彼が見た広く素晴らしい世界は時に残酷。再会できた育ての親から離れさせ、あまつさえ戦うべき敵として立ちはだからせる。それでも少年は荒野を一人行く。

 

ここで面白いというか、アニメならではだなあと思った演出がある。時制としては野犬に襲われて泣きベソかいてた数分後のはずなのに、プレイバックを経た彼の顔は心なしか凛々しくなり、なんなら髪の毛も伸びてる(テレビ版終盤の髪型になってる。サムネ参照)。そして一瞬野犬の死骸がカットに映される。パンフレットの藤津亮太さんの解説が良かったんだけど、この野犬が過去を象徴してて、それを振り切って(殺して)未来に進むというね。

 

そして、彼が見る未来にはあの子がいる。始まりはいつも月曜日。次の月曜日をキミと迎えるため。もう彼が過去を振り返ることはないだろう。そして彼が横を見ればあの子がいるだろう。再会まであと8時間。未来への希望をマックスに高めた状態でエンディングを迎える。1回目でもかなり感じ入ったけど、2回目はぶっちゃけ泣いた。まさかあのレントンに泣かされるとは思ってなかった。

(ちなみにエンドロールへの入り方までトレインスポッティング風でそこも個人的に超ツボだった)

 

もう三部作の一本目としてこれ以上ない終わり方だと僕は思う。ハイエボリューション2では皆が見たかったエウレカセブンが観られるんじゃないか。その導入として期待を高めてくれる。彼の未来を見届けたい思いでいっぱいだ。