静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画117: 『スリー・ビルボード』

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監督:マーティン・マクドナー

出演:フランシス・マクドーナンド、ウッディ・ハレルソン、サム・ロックウェルアビー・コーニッシュジョン・ホークスピーター・ディンクレイジルーカス・ヘッジズ

 

※ネタバレしてません!!※

 

僕らのモテるための映画聖典メルマガ読者のろんぺさんが激推ししていたのと、アカデミー賞で騒がれているので観た。ろんぺさんは「何も知らずに観るのがおススメ」と言ってたので「3枚の看板が立ってる」ということ以外一切何も知らずに観に行った。出演者も監督もジャンルも知らずに観る映画というのは新鮮で、「今年はこンな感じで流されていこうかな」とすら思った。いきなり飛び込んだり。なかなか難しいかもだけど。

 

「さんまいのかんばん」って書くと寓話みたいだけど、内容にも結構寓話っぽさを感じた。なんとなくそんな感じがした。

 

悲しみと怒りと後悔が人をあらぬ行動へ導くことがある。これはもしかしたらこの作中でついに描かれなかったある存在にも言えることかもしれない。描かれるところで言えば、フランシス・マクドーナンド演じる彼女は過激である種のモラルを欠いた行動で人々の目を引こうとする。感情的な動機で行われる衝動的な行動(多分計算済みではなくたまたま目に入ったからやった)が憎しみの連鎖を生み出す。しかし感情というのものに一概な悪と断じ切れるものもなく、それは恩人の遺志を自分なりに咀嚼した結果のものであり得る。もしかしたらこれは人の歴史にも当てはまることなのかもしれない。そういうことが連綿と続いてきたのかもしれない。

 

ではそのループを抜け出すためのきっかけは何か。この映画ではそれを「許し」として描いている。ありふれていて道徳的な教え。ここに寓話っぽさを感じたのかもしれない。そのメッセージが明確に打ち出される病院のシーンにはかなりグッとくるものがあった。彼には最初からそうする優しさがあった。しかし相手の素性を知って一度その優しさを引っ込めてしまう。一呼吸(か何日後かわからないけど)おいてその手を差し伸べる。その勇気が人の歴史も変えるかもしれない。

 

この映画を観た直後「いろんな顔を見た」という印象を感じた。この映画に出てくる人の多面性、不安定な面も垣間見た。人はお互い憎しみあって許し合う。許し合えれば、立ちはだかる問題を綺麗に解決できるかどうかはわからないけど、でも少なくともそれ以前よりはマシな方向に向かうだろうという希望をもって物語が終わる。

 

マーティン・マクドナー監督が観客の僕らにパスしてきた。次に繋げるべき優しさのバトンを。