静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画118: 『羊の木』

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監督:吉田大八

出演:錦戸亮松田龍平、水澤紳吾、優香、市川実日子北村一輝田中泯木村文乃松尾諭

 

 

※内容に触れております※

 

 

スリー・ビルボード』に続いて、吉田大八というだけで一切何も知らずに観た。というのがあって明らかに様子がおかしい人たちばかりが街にやってくる最序盤は楽しんだ。銘々掴みとして個性的。

 

その中でも松田龍平演じる彼の導入はそれまで主人公が行ってきたルーティンをぶった切るという方法で異質さを表現していて良かったと思う。まあこれ観てる時は忘れてたんだけど、観終わってみるとあの飯屋の前でのやりとりで最初っから他の5人の中から更に浮き出た存在ということを表してたんだなという納得をした。

 

ただ6人がそれぞれの場所に収まった〜中盤にかけて、上司と二人きりの部屋でプロジェクトの説明を受けるとことか、倉庫で幼馴染3人がバンド練習するとことか、観ていてシンプルに退屈さを覚えることが多くなってきた。一応上司が「6人が結託したらとんでもないことになるよ」ということを匂わせることでサスペンスが発生したから、じゃあ北村一輝演じる男は台風の目になって面白いことになるだろうという期待で観ていた。多分ここで前述の冒頭の松田龍平の導入のことを忘れたんだと思う。

 

結果的にいろんな意味でその期待は裏切られたと言っていい。一つはジョーカーが北村一輝でなく松田龍平だったこと。さすがにあんなわかりやすいキャラ付けの北村一輝が悪さするだけとは思ってなかったけど、松田龍平が息をするように彼を殺すシーンはさすがに驚いた。

 

導入の飯屋の前でのやりとりは、会話として見れば「主人公がいつも言ってることを初対面の彼が先んじて言う」という意気投合の予感を示すものだけど、映画的に見ればそれまでのシーンとしてのルーティンを壊す異質の存在という意味でもあったということなんだろう。

 

そう考えれば最終的に彼に話が集約されていくのは納得できなくもない。映画化にあたって単純化されたレイヤーとして考えれば「一般市民→殺人の前科持ちの人たち→松田龍平」と受け入れ難さや嫌悪のハードルが上がることになるわけだから。

 

自分はこの映画に物足りなさを覚えるわけだけど、一つの理由は多分主人公の弱さにと思う。アクの強い前科者を受け入れる市役所職員だから強いキャラ付けをせず、彼にあまり自発的な行動もとらせず観客であるこちらに投げかけている意図も感じなくはない。でも、いかんせん6人の受け皿に徹しすぎている感じはした。明らかにヤバい雰囲気の中、夜中に崖を見にいくのに付き合ったりするのには話を回すために都合良く動かされてる感じすらしてしまった。

 

僕は「土着信仰が受け継がれる閉じた街にやってきた6人の異人」という設定から社会的なせめぎあいという真面目さをイメージしていた。それをあくまで個人レベルの話に留めたのは良いんだけど、そこの決着というか決断を人ではなく神という人知の及ばないスケールの存在に委ねたのにモヤモヤする。これは上述の主人公の薄さにも繋がるところ。そこを面白さとして取ることも可能だとは思うけど自分にはいまいちピンとこなかった。

 

監督の前作『美しい星』に似た後味のようにも思うけど、あの突き放され方に感じる謎の快感みたいなものはないかな。でも前作と同じく感想書くのは楽しかった。吉田大八監督は最近は映画を持ち帰る楽しさに長けた作品作りをしているように思う。次も楽しみです。