静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画121: 『15時17分、パリ行き』を直近の2作を踏まえて。

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15時17分、パリ行き

監督:クリント・イーストウッド

 

ガキ使が好きな人はタイトルを聞いて和田アキ子の「15歳、公園」を思い出したのではないだろうか(?)

 

自分は観た時ホモソーシャル(男同士のワチャワチャ)と各地の美人を楽しめる一挙両得な映画だなあ、という以上の感想が特に浮かばなかった。俺がイタリアに行った時はあんなエロエロで愛想の良いホテルのフロントはいなかったしお楽しみナイトみたいのもなかったよ。

 

これで終わりでもいいんだけど、問題はこれがクリント・イーストウッドというすごい人が撮った映画ということだ。

 

3人の主人公の内2人が祖国アメリカのために磨いてきた身体能力や格闘技術がフランスの名も知らぬ人たちを守るためにたまたま役立ったという奇跡を、物足りなさを覚えかねないレベルで至極フラットに描いたことは、イーストウッドの直近の2作を踏まえると面白い。

 

‘15年の『アメリカン・スナイパー』はイラク戦争愛国心から敵兵を殺しまくってPTSDになった男の話だった。昨年の『ハドソン川の奇跡』はプロフェッショナルが事故から市民の命を守ったが、その判断は正しかったのかどうか検証する映画だった。設定だけ見たらこれらのハイブリッドみたいだ。全部実話なのに。

 

『アメリカン〜』は原作である手記からの設定を変更したり、演出もかなりフィクション寄りだった。敵国の子供を射殺したり、実際に存在しなかったライバルのスナイパーを登場させたり、映画用に手が加えられていた。ここは事実に基づいてるかどうか知らないけど、PTSDの影響から自分の子供に銃を向けるシーンなんてのもあって、イーストウッドは少なくともイラクへの派兵に懐疑的で、その傷を負ったクリス・カイルの悲劇性を強調したいように見えた。

 

ハドソン川〜』はパリ行きに近いテイストの作風で、実際の事件をありのままに近い感じにやっている風だった。面白いのはその判断の是非を問う調査委員会のやり取りに重点を置いているとこで、単なる英雄譚にはしないという姿勢。単なる賛辞にしたければそれまでの彼の一生でも描くことができたはず。

 

じゃあ今回のパリ行きはどうだったかと言うと、表面上の淡白な作風でもってあえて一定の着地に誘導せずこちらに考える余白を与える感じは『ハドソン川〜』のそれを引き継ぎつつ、裏には『アメリカン〜』で描き込んだ戦争や愛国心への皮肉の血が流れているように感じた。「本当は故郷のために敵国の兵士を殺すために培った力が、旅行で訪れた他国の人間を守るためにたまたま発揮された」という事実をわざわざ映画化したのには、そういう意図があるように思える。

 

まあ観てる時は1ナノも思わなかったけど、改めて考えれば味わい深い映画だなあと。勝手にイーストウッド10年代アメリカ3部作って呼ぼうかな(ネーミングセンス)。次は『ジャージー・ボーイズ』みたいのでも全然ウェルカムっすね。