静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画088: 『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』

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監督:三池崇史

出演:山崎賢人神木隆之介小松菜奈岡田将生新田真剣佑山田孝之伊勢谷友介観月ありさ國村隼

 

 

この映画の企画を聞いた途端血の気が引き、座組みを見て失神した人は日本に数知れないと思う。僕は当時大々的に行われた発表記者会見の様子をLINEライブで見ながら真顔になっていた。なぜなら「絶対ダメだ」という悪魔と「いや、でも三池崇史山崎賢人も作品をロクに見たことないし決めつけるのは早い…」という天使が脳内でスタンドバトルを繰り広げていたからだ。ちなみにジョジョは高校生の時バーっと7部まで一気読みしたぐらいで、面白かったけど取り立ててファンという訳ではないし内容の記憶も歯抜けである。

 

結論から言うと割と杞憂だった。実写化云々的な問題というより、明確に映画としてどうなのよと思うところがあったぐらい。それぞれ挙げてみる。

 

【映画としてアレなところ】

一言で言えばテンポが悪い。

カット単位で言えば仗助と朋子(母)がリビングで話すシーンとか無駄に1カットな割に謎の間があったりして「何この間」と思ったら終わってスカされた気分になったり。

 

構成もこの問題を助長しているように思う。特に虹村形兆戦の時は並行して走ってる話が他にない上に決着までは割と同じことの繰り返しだったりするのでとても冗長に感じた。康一のスタンドが覚醒するという楔が打ち込まれたりするけどいまいちフックが弱い。バッド・カンパニー(虹村形兆のスタンド)のCGも良いだけにもうちょっと見せ方で「おっ」となるようなところがあれば感じ方が変わったと思う。構成は原作通りなのかもしれないけど、映画にするとなればそこは工夫が欲しかった。

 

あと山岸由花子が映るシーンに関しては、いちいち本筋の話の間に挟まってくるので著しく話がつっかえる割に、第一章では彼女自身の味が何も出てなかった。結果としてわざわざ原作から改変して第一章の頭から登場させている意味が何もなかったのが痛すぎる。無駄にもったりした話し方で康一くんに付きまとうメンヘラという感じしかしない。小松奈々がハマりまくってるだけに本当に勿体無い。踏まれたい。

 

ジョジョの実写映画としてイイところ】

まず原作にも覚えた単純に「コイツらの活躍をまた見たい!」という感じが蘇ってきて嬉しかった。まあもっと言えば仗助と億泰のコンビが見たいんだよね。いや更に言うと真剣佑が演じる億泰が見たいんだよね。お世辞なしで役者は皆良かったけど、彼は「実写映画のジョジョ」に対するチューニングが頭一つ抜けてたように思う。僕が最悪だと思うのは実写化で原作(やそのアニメ化)のモノマネ演技をすることなんですけど(某巨人映画の石なんとかさんとか)、彼は元のキャラっぽいのに実在感も兼ね備えるという理想的なバランスを保っていたように感じた。

 

伊勢谷友介演じる承太郎の帽子と一体化した後ろ髪などそのままやるんかいとツッコミたくなるところもあったけど、衣装や美術もそれっぽさとありそう感の塩梅が上手で違和感もなかったなあ。スペインロケが効いてる上に登校風景は日本人の生徒がいっぱい映ってたり看板も日本語のものになってたり、苦労の甲斐があったねえと労いたくなる。美術の人大変だったろうなあ。

 

あとCG。スタッフロールにジョジョのゲーム出してるバンダイナムコのロゴが入ってたから、スタンドのモデリングに協力してると思われる。だけあってここも違和感なかったなあ。ゲームだと割と実体っぽい感じなんだけど、透明感があって実写の俳優と画面でマッチングしてた。アンジェロが水のスタンド使いって聞いた時「CG大丈夫かよおい〜」なんて思ったりしたけど、結構な分量真っ正面からちゃんとやってて驚いた。アンジェロ戦はほんとに「映画でジョジョやってる!!」ってちょっと感動したもんなあ。

 

さっき脚本の構成を偉そうに指摘したけど、原作で扱いが小さかった(らしい)仗助の祖父の良平のエピソードを膨らませたのは展開に納得度を持たせていたと思う。『武曲』の時も書いたけど國村隼はなんかもう存在自体に説得力がありすぎて、この人がこうなったら仗助はああなるよなって思えちゃうんだよね。

 

まあそんな訳で僕は続編熱烈希望です。なんか客入り厳しいみたいだけどマジで頼むよワーナーさん〜。

 

新作映画087: 『仮面ライダーエグゼイド トゥルー・エンディング』

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監督:中澤祥次郎
出演:飯島寛騎、瀬戸利樹、松本享恭、小野塚勇人、松田るか、岩永徹也、甲斐翔真、堂珍嘉邦ブラザートム藤本美貴
同時上映: 『宇宙戦隊キュウレンジャー ゲース・インダベーの逆襲』


このブログを読んでくれてる人は特撮を見てないだろうし、特撮を見てる人は恐らくこのブログを読まないだろうから、特撮映画の時は誰に向けて書いていいかわからなくなる。しかし困ったことに自分の熱が上がるジャンルだから自分のために書こう。

 

【「仮面ライダー」の「映画」として素晴らしい点】


エグゼイドは現在毎週日曜朝に放送中、書いてる時点で残すところ3話とクライマックス最中の仮面ライダーである。「医療とゲーム」をテーマに、人体に潜伏するバグスターウイルスから発生する怪人・バグスターから患者の命を守るため戦う(=オペを行う)ドクターライダーたちの戦いが描かれる。

 

今回の劇場版は「トゥルー・エンディング」と銘打たれた通り、パラレルワールドではなく本編と直結した真のエンディングが描かれる。しかし本編との関係性が公開前の段階で明言されている訳ではなく、この作品が「もう一つの最終回」なのか、「最終回の後の話」なのか、或いはまた違う何か、なのかは映画内の人物配置やディティール、或いは公開以後のテレビ版のエピソードを見て判断しなければならない(ちなみに僕は公開の翌日に放送されたテレビ版のエピソードを見てやっとわかった)。

 

そんな特殊な試みによってもたらされるのは「今、(もっと言えば公開直後)映画館で観る意味」であることは間違いない。並行して放送中のテレビ本編との交わり方を類推する楽しみは前述した通り、更に公開後に残されたエピソードにも本作という補助線が引かれ深みが増すという相乗効果もある。この試みが図に当たったのか(はたまたエグゼイド及びキュウレンジャー人気が元々高かったのか)週末興行ランキング初登場2位の大ヒット(ジョジョトランスフォーマーを抑えたのはびっくり)。結果的に僕は仮面ライダーがどうとか内容云々の前に一本の映画作品として、映画館で観る意味や価値を担保しているところにまず関心してしまった。

 

そして更に重要なのは、この仕掛けは仮面ライダーというテレビシリーズと映画でしかできないということ。

 

現在日本で年間毎週継続して放送されているテレビドラマはNHK大河ドラマスーパー戦隊シリーズ、そして仮面ライダーの3本のみ。NHKは営利目的の映画製作に携わらないので、映画はないし仮に大河ドラマの劇場版をやっても史実なんだから関係性に含みを持たせることはできない。

 

ではスーパー戦隊はと言うと、こっちは夏の映画公開時期の本編の進行具合がネックになる。現在放送中の宇宙戦隊キュウレンジャーが映画公開時点で第23話。半分もやってないのにエンディングも何もない。だから本編中の時系列とは関わりの(ほぼ)ない規模の大きな単発エピソードをやるしかない。

 

つまり、仮面ライダーにしかできない構成の工夫が「映画館でかかってる今観るべき」という映画の価値の一面を生み出しているということになる。ここがまず仮面ライダーも映画も映画館も好きな自分にはとても嬉しかった。この時点で満足。
(いや、まあ結果的に足運ばせてるのは元々の人気とか、それに伴って前売り券についてたおもちゃがバカみたいに品薄だったとかさ、そんなかもしんないけど。でも結果的に売れてて、理由は色々考えられる以上この理由も考えられるし、少なくともそれも一因にあるでしょって話です)

 

 

【内容について(内容触れます)】

 

 

テレビに登場しないであろう映画限定ゲストキャラの母娘、そしてCHEMISTRYの堂珍氏が演じる敵役の関係性でもって短い時間の間にエグゼイド本編の主張を内包しているのがまず素晴らしい。

 

つまり「コンティニューや設定変更が可能なゲーム(仮想世界)のライフ」と「コンティニューも設定も不可能な現実の命」の二項対立。テレビ版ではこの二項対立の垣根も破壊して倫理観を揺さぶってくるけど、今回はこのシンプルかつ根っこにある問題提起に立ち返ったのもよかった。そこに今トレンドの「VR(仮想現実)」を取り入れるあたりも上手い。

 

 今回の患者は「ライダーの力で仮想現実から意識を連れ戻し」「医療の力で現実世界での病気を治す」という二段階を経る必要があった。その上で「オペが成功しても後遺症が残る可能性のある難病」であるという設定を付加して、VRで不自由なく生きるか、現実で苦しみと戦いながら生きるかの二者択一をこちらにも問うてくる。少なくとも僕は少し迷ってしまう。

 

しかし宝生永夢は「現実で生きて笑顔でさえいれば、人は治る。そのために患者の笑顔を取り戻す、医療はそのための手段だ」と、主張する。「患者の笑顔を取り戻す」はテレビ本編あらの彼の決まり文句だけど、ここで映画独自の患者の設定が効いてきて、毎週のように聞いていたこのセリフの重みが増して聞こえる。更にこの信念こそが「究極の救済(EX-AID)」といつ彼の名(メタで言えばこの番組)を一言で表していたのだとも思う。

 

僕はエグゼイドを見ていて、よくある「命はなぜ大事なのか」みたいな問を考えることがある。そしてどうも最近自分の中で「やっぱり一個しかない、取り返しのつかないものだから」という答に達しつつあるような気がする。だからこそそれを失いつつある者の恐怖や、それを守り救おうする者の思いが光る。トゥルーエンディングをエグゼイドらしい形で締めてくれたことをまず喜びながら、続く本編でどのようにこの作品の見え方が違ってくるのか楽しみたい。

新作映画086: 『パワーレンジャー』

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監督:ディーン・イズラライト

出演:デイカー・モンゴメリー、ナオミ・スコット、RJ・サイラー、ベッキー・G、ルディ・リン、エリザベス・バンクスブライアン・クランストン

 

 

仮面ライダー大好き人間としてはスーパー戦隊ばっかりアメリカ人気が高くて羨ましい。仮面ライダーもアメリカでリメイクされたりしている(極一部で有名な仮面ライダードラゴンナイト)のだがいまいちぱっとしない。

 

ただ、今アメリカで作る意味がある映画だとは思った。雑多な人種構成の5人の若者が、銘々悩みや問題を抱えつつ自分たちの住む街のために「変身」して立ち上がる。パワーレンジャーならではのストーリーだし、今の彼の国の状況を考えるとグッとくる。

 

反面日本のスーパー戦隊を下敷きにする以上守らざるを得ない「お約束」が窮屈に感じて、最終的にはもうパワーレンジャーじゃなくてそのスピリットを受け継いだ自分たちの作品をクリエイトして欲しかったかなあなんてぼんやり思った。『パシフィック・リム』や直近で『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』を観たからというのは勿論多いにある。 

 

そしてそれ以上に120分の尺で5人の若者の紹介、出会いを描き悩みを描き修行を描き変身を描きバトルを描きロボット戦やって…をカツカツでやられて、「ツボを押さえてる」というより「ノルマの消化」のような気分になってしまったというのが否めない。だったら3人にするなり巨大ロボをやめるなりすりゃいいじゃんという本末転倒な結論に達する。これが戦隊フォーマットを下敷きにすることの窮屈さを感じた理由。

 

なんでこんな結論に達したか更に遡るならば、あの5人がどんなやつだったかいまいち思い出せないからということに尽きる。それぞれの問題と変身して街を守ることが内面的にいまいち結びついてないように感じた。だから初変身のカタルシスもほぼ感じられなくて、頭の隅で「やっぱり日本特撮の外連味が欲しいなあ」などと無い物ねだりしてしまった。ちょっと残念だなあ。

 

 

新作映画085: 『ハクソー・リッジ』

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監督:メル・ギブソン

出演:アンドリュー・ガーフィールドサム・ワーシントン、ルーク・ブレイシー、テリーサ・パーマーヒューゴ・ウィービング

 

 

僕は普段好んで戦争映画を観ない。重苦しいイメージがあるしテンションが上がる訳でもないから。そんな自分の中で印象的な「戦地」の描写があった作品が漫画『キングダム』。中国の春秋戦国時代の話。確か主人公たちの初陣のシーンだったと思うんだけど、荒野の中に仲間と最前列にずらっと並ばされて、正面の土煙の向こうに敵もまた同じように整列している。すると将軍の号令と共に訳も分からないまま突撃させられる。これがラグビーやアメフトならいざ知らず、刃物を持った男同士が正面から全速力でぶつかり合うなんて恐ろしすぎる、絶対やりたくねえ。そんなことを思った。

 

『ハクソーリッジ』の戦地描写にも同じような感覚をもたらされた。だけど更に怖かったのは戦争が確実に「近付いてくる」感じがあったことだった。「敵国で起こっている戦争」が海を渡れば「目の前の崖の上で起こっている戦闘」に変わり、その中に一歩足を踏み入れれば「土と血肉が飛び散る混沌」に様変わりする。戦争という遠くの現実が、文字通り身を以て実感される。「近付いてくる」という形容がぴったりくる。シンプルに怖かった。

 

そこはまさしく問答無用の世界で、とにかくそこに放り込まれたのだから殺しあうしかない。互いが互いの主張を繰り広げる余地など一切ない(というかそういう段階が終わったから戦争などということになってるんだろうけど)。最早主義主張に意味などないような状況。

 

そんな中自分の信念を主張でなく行動で貫き通そうとする男一人。結果として彼は英雄として讃えられる。これはあくまで結果。もっと言えば彼の信念さえ「エゴ」と一蹴されてもおかしくない(そう判断しかけていたのに裁判まで開いてくれる米軍、自由の国を謳うだけあるなと思った。当時の我が国だったらワンパンで終わりでしょう)。

 

僕にあまり馴染みのないキリスト教的な価値観がノイズになるところはあったけど、極限状況下でも信念を貫く困難さ、尊さは強く感じた。それ以上ではないけどよかった。「声」が聞こえてしまうシーンが熱い。テリーサ・パーマーかわいい。

 

 

新作映画084: 『パトリオット・デイ』

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監督:ピーター・バーグ

出演:マーク・ウォールバーグケビン・ベーコンジョン・グッドマンJ・K・シモンズミシェル・モナハン

 

 

ピーター・バーグと言えば今は亡き新宿ミラノ座のバカでかいスクリーンで『ローン・サバイバー』を観たことが思い出される。本作の直前に公開された『バーニング・オーシャン』は上半期見逃して最も後悔している映画。

(あと『バトルシップ』最高)

 

本作とその2本はピーター・バーグの作品の中でも実録三部作と位置付けられてるらしい。いずれも2005年(レッド・ウイング作戦)、2010年(2010年メキシコ湾原油流出事故)、2013年(ボストンマラソン爆弾テロ事件)とアメリカ人に起こった事件を題材にしている。ちなみにどれも発生から10年以内に大きな規模映画化していて、バーグ監督とアメリカ映画界のフットワークの軽さにまず恐れ入る(日本は小規模映画が率先してやってるイメージ)。

 

パトリオット」が「愛国者」の意味であるというのはメタルギアソリッド3(ゲーム)で知った。愛国心と言えば真っ先に『フォックスキャッチャー』と『アメリカン・スナイパー』が思い出される。2014年の2月に立て続けに観たこの2本に共通しているテーマだなあとぼんやり考えていたからだ(ちなみにその年の7月早稲田松竹で「愛国心、栄光の影に」というタイトルでこの2本立てをやってた)。この2作における愛国心は、私生活で満たされない自分の心を埋めるために利用されるものであったり、それを発端としてとった行動が自らを滅ぼす結果になったりと、様々な形に歪んだものだった。

 

そんでこないだウサイン・ボルト桐生祥秀(日本陸上の若きホープ)に贈った言葉をネットで見た。以下引用。

「最後に1つ、いいかい。日本の陸上界にいいたい。

桐生にあまりプレッシャーをかけないでほしい。

いいか、桐生。自分のために走れ。それが国のためになればいい。

まずは『自分のために走る』。そして『楽しむ』。

それが日本のためになるんだ。決して国のためだけに走ってはだめだ。」

 

これを見て逆説的にこの2作に共通していることがわかった。それは「最初から『国のため』を念頭に置いて行動する人が悲劇的な結末を迎える」ということだった。

(全くの余談だけど戦争はその最中、最初から国のために何かをすることを国から強制させられる状態が続くということなので反対。)

 

パトリオット・デイ』の中には元ネタとなった実際の事件に関わった人たちのインタビュー映像が用いられている。彼らは口々に「愛」という言葉を用いて事件を語る。それは単に家族や恋人に対する愛だったり、隣人愛だったり様々なんだろうけど。とにかく目の前の危機に対して勝手に動いてしまう身体のエネルギーになるようなもの、なのかもしれない。

 

彼らは結果としてその「愛」がこのテロ事件を早期解決に向かわせたと語る。ピーター・バーグは彼らの発言をリスペクトしてこの劇映画を作った。そしてその劇映画の力でこの恥ずかしさすら感じるようなテーマを爆発させ僕らに伝えてくれる。目の前の人々を愛することが結果的に国を守ることになる、なぜなら国とは人の集まりだから。ピーター・バーグのこの姿勢が好き。

 

「最初から『国のため』を念頭に置いて行動する人が悲劇的な結末を迎える」というのは、犯人のテロリスト二人組にも言えることなのは言うまでもない。

 

不謹慎かもだけど銃撃戦が普通にすごすぎて、あとGTAやってる時の俺みたいで笑っちゃった。よかったです。

新作映画083:『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』

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監督:ガブリエーレ・マイネッティ

出演:クラウディオ・サンタマリア、ルカ・マリネッリ、イレニア・パストレッリ、ステファノ・アンブロジ 他

 

 

以前書いた『LOGAN ローガン』は「現実の世界に絶望した歴戦の主人公と、その戦いを戯画化したコミックに希望を見出した下の世代(≒僕ら観客)」の話だった。続けて観たこの映画も、少女がヒロインに変わってるけど、奇しくも似た構図を持っていた。ちなみに3週間間を空けて2回目も行ってしまった。

 

主人公のエンツォはイタリアはローマの郊外でくすぶるチンピラで、あるきっかけで鋼鉄の身体を手に入れる。この覚醒の仕方やそれに気付くシチュエーションのキマらなさがこの映画の土着感というか、垢抜けなさを象徴している。その力の使い方もめっちゃ頭悪い。一般ピープルがスゴい力を手に入れてまずはしょーもないことに使う映画といえば『クロニクル』だけど、あれのスカートめくりに比肩するレベル。手に入れた金もヨーグルト食べながらAV見る趣味に費やすのみ。酷い。

 

そんな彼が世話になっていたオジキ(?)がトラブって死んだ挙句、鋼鉄ジーグ(1975年の日本のスーパーロボットアニメ)の世界に没頭して頭しっちゃかめっちゃかなその娘の面倒も見ることになる。一人暮らしの男ところにおっぱい放り出した若い娘が転がり込んできてもー大変。

 

彼女が心に傷を負っていることを知ったエンツォ、初めて他人のためにスーパーパワーを使うささやか(?)なシーンにまずグッときた。なんと優しいことか。

 

と思ったら彼女に対してあり得ないレベルのSOSOU、粗相をブチかますエンツォおじさん。きっかけが与えられたにしてもヒドすぎるし、その後の賢者タイムぶりもヤバい。わかるけど我慢して手は繋いで会話しろ。

 

直後、自分の愚かさ(と賢者タイムの終わり)に気付いた彼の豪快な力の使い方も、愛着の湧かないキャラクターだったら「バカかよ」と一蹴するところだけど、どうにも憎めない。愛すべきダメぶりがこの時点でマックスに。

 

そんな彼、実は旧知の仲間を失い、さびれた街中で犯罪行為に堕ちているというバックボーンが語られる。そんな男がスーパーパワーを手に入れて、最初は卑小な私利私欲に用いていたけど、一人の女の心の傷に触れ、他人のために自分の力を使うことを知る。そのことが赤の他人の命の危機に手を伸ばすヒーローの誕生を呼び起こす。それらの過程が一つ一つ熱と優しさをもって描かれている。登場人物も少なくシンプルでベタなヒーロー誕生誕だけど、 ヒーローモノへのリスペクトと王道を貫く情熱にやられた。もうラストシーンが激熱すぎて。あんなのアガるに決まってる。

 

この作品のヴィラン(悪役)であるジンガロについて。彼もまた個人的な願望を叶えるために力を使っていた。そのあまりに人間的な欲求(これも『クロニクル』に通じるところがある)を他者を傷つけることで実現させようとしてしまった。歪んだ形で過去の栄光を取り戻そうとする彼の姿が悲しい。彼も周りの人の導き次第でジーグになれたかもしれないと思うと尚更切ない。あと、この人もまた曲がった形でフィクションの影響を受けてるのが面白い。

 

あと個人的に丁度こないだイタリアに行ったので、軽く懐かしさを覚えた。冒頭のあの川、サン・ピエトロ大聖堂からスペイン広場に歩いてったときに通った(写真とっとけばよかった)。イタリアって実際郊外はめちゃ汚いし壁があれば落書きって感じだったし、華やかなイメージを持たれがちなあの国のそういうところが切り取られてるのも何か嬉しかった。

 

丁度アップした日が東京での上映最終日ということでタイミングがアレだけど、これから地方でやるとこもあるので是非。非常にオススメです。

新作映画80.5:『22年目の告白 私が殺人犯です』 2回目/ネタバレ有編

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監督: 入江悠

出演:藤原竜也伊藤英明仲村トオル夏帆竜星涼早乙女太一野村周平石橋杏奈岩松了平田満宇野祥平黒田大輔、川瀬陽太、板橋駿谷、岩城滉一

 

 

※26日目のネタバレ 私がブログサボリ魔です ※

(ネタバレするので観てない人は今すぐ観にいって!)

ネタバレなしの感想はこち

http://qml.hatenablog.com/entry/2017/06/12/130018

 

 

 

結局計3回映画館で観てしまった。わかっちゃいたけど2回目は冒頭から全てが違って見えた。

 

特に藤原竜也演じる曽根崎と伊藤英明演じる牧村の表情。

僕がエキストラで参加した出版記念サイン会のイベント、僕は最前列の向かって一番左で記者の役をやっていた。その時から曽根崎が登壇し群衆に向かって手を挙げた時の若干戸惑いがまじったような表情が気になっていたのだけど、あれはもしかしたら「多少カリスマ性を持った殺人犯に踊らされる世間のうかつさを初めて生で目の当たりにした時の困惑や残念さが滲んだ表情」だったのかもしれないとか。牧村刑事が本屋のバックヤードで夏帆と話すシーン、父のことについて3ページしか触れてないことに激怒する夏帆を見るときの表情は、自分が書いたからこその申し訳なさに由来するものだったのかとか。加えるなら3ページしか書かなかったのは辛くて書けなかったのかもしれないとか。

 

元になったチョン・ビョンギル監督の『殺人の告白』も観てみた。TSUTAYA行ってサスペンス/ミステリーの棚になくて、諦めてアクションの棚流し見してたらあってびっくり。いざ観てみると本当に(結構荒唐無稽な)アクション映画だった。恋人を殺された若者が顔を変えて捜査情報を知る刑事と組み暴露本を出版、連続殺人の真犯人をおびき出すという骨子は全く同じ。だが被害者遺族が5人程で組んで全力で曽根崎(日本名)の命を狙いに来たり拉致したりするところが違う。夏帆がボウガンで曽根崎の肩をブチ抜いたりする。

 

恐らく日本でやったらギャグだろう。だからリメイク元ではアクションに費やしていた尺をこの日本版では「犯人の動機」を描くことに充てていた(リメイク元ではほぼ描かれてない)。

 

仙堂がフリーの戦場ジャーナリストだった頃に目の前で見たトラウマを他の人間で再現することで、自分以外に同じ境遇の人がこの世にいるという事実を作り出して精神の安定を図っていたというのがそれ。まずプロデューサーからキャスターが真犯人というアイデアが出たそうだけど、そんな立場の人が連続殺人を犯す動機が納得できる(前も書いたけどパンフの犯罪心理監修の人の文章がいい)。「なぜやったのか」というのは「俺はこうこうこういうことがあってこういう思いだったんだ〜ッ」とお涙頂戴的に利用されがちだけど、そこはあくまでドライに徹している。尚且つ最後にキッチリ罰は与えるところが好き。それにしても仲村トオルの独白はゾッとする。「闇が深い」という形容がピッタリくる。

 

余談だけどたまたま映画秘宝のオールタイムベスト10をパラパラ読んでいたら入江監督がベストに『フォックスキャッチャー』を入れていた。アメリカの御曹司がレスリングの金メダリストを殺害した実話をベースにした映画。脚本段階で影響を受けたのか、作ってる時ににたまたまタイムリーなタイミングで出会ったのかわからないけど、恐らく何かしら関係あると思う。僕個人も生涯ベスト級に好きな作品なので、22年目の告白の犯人像に惹かれた人には是非オススメしたい。

 

とにかくリメイク元の一番面白い部分を抜き出した上での日本独自の肉付けと補強が上手くいっているんじゃないかなあと思う。正直そこまで期待してたわけじゃなかったので驚くぐらい面白かった。リメイク元観ないで行ったってのもあるけど。大ヒットもしてめでたい。監督の次回作『ビジランテ』(12月公開)にも期待(ただこっちはエンタメ!って感じじゃなさそうだけど)。