静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

シン・ウルトラマン:観る前〜感想

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シン・ウルトラマンの1回目の感想

良くも悪くも言いたいことが大量にある。しばらくネタバレ無で書いてますが、途中からネタバレ有のパートに入ります。

 

■私とウルトラマン - バックボーン

前提として、自分は恥ずかしながら初代ウルトラマンは見たことがない。ウルトラマンはティガ〜ガイアが直撃世代なので親しみはある。そこから十数年を経て自分が特オタになった後、ギンガからTVシリーズ新作が久しぶりに復活して、そこからは作品毎に熱量の差はあれど一通り観ている。

 

シン・ゴジラ〜公開前

樋口真嗣庵野秀明コンビの前作『シン・ゴジラ』はその年の2位に置くぐらい好きな作品になった。画面や展開のインパクトと絶望感、洪水のような情報量のテンポや供給の仕方の中毒性にハマった。

 

その2人がウルトラマンをやるとなり、最初に出てきたこのビジュアルが割と衝撃的だった。

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ウルトラマンといえば背中を丸めたファイティングポーズや拳を突き上げた登場ポーズじゃないのか。何で棒立ちでこっち見てるの。怖。

 

ただ段々この不気味さこそが今ウルトラマンをやるにあたって見てみたいところの1つでもあると思うようになった。単なるヒロイックな存在ではなく、人類が初めて出会う1人の宇宙人としてのウルトラマン。着ぐるみでなくCGだからこそ未知の生き物として描いてくれたら面白いだろうと想像を膨らませていた。

(その期待は6年前にネットで公開されたウルトラマンn/aの中で、キックの直前に足首の腱が浮き出る細かい描写にもたらされた部分が大いにある)

https://youtu.be/x139kIbYeV8

 

 

そこから2年半経ち公開1週間前。ここまで楽しみさで脳内が支配されたエンタメはアベンジャーズIW以来ぐらいだったかも(最近じゃんとセルフツッコミしたくなったけど4年前らしいので最近ではない)。

 

とはいえ期待と不安のバランスは半々ぐらいだったと思う。半々と言うのも、特撮のクオリティに関しては全く心配はなく、間違いなく良いものが見られると安心していた反面、平場はどうだろうという懸念があった。

 

 

自然災害よろしく突然やってくるゴジラへの対処という事象を異常な情報量とスピード感で叩きつけ暇を感じるスキも与えないシン・ゴジラに対して、普段人間として行動しピンチで変身するウルトラマンでは勿論描き方は違ってくる。

 

何を大事にしてほしいと思っていたかって、変身に向けた平場の積み重ね。ジェットコースターが楽しいのはゆっくり上へ上へと運んでいるあの時間があるからであるように、変身ヒーローもそのカーブが大事だと思う。変身ヒーローモノはアガるエンタメであってほしいし、個人的には戦闘よりも変身それ自体が1番アガるシーンであってほしい。なのでここをキメてくれるかどうかは若干不安だった。不安というかちゃんとやってくれよという期待の裏返しと言った方が近い。

 

■ネタバレ無感想

ここまでいいところとダメなところがはっきりわかる映画は初めてかもというレベル。減点法だとかなり微妙だし、かと言って加点法でも実はそこまでいかないというのが偽らざる感想。

 

割とフラットなテンションでいったつもりだったけど、シンゴジに無意識に上げられた期待値がかなり高かったっぽい。全く別物と頭でわかっているとはいえ、メインの作り手が同じなので違うベクトルで同じぐらいのものが見られると思ってしまっていた自分に気付かされた。いやまあそりゃ期待はするよね。

 

まず良いと思ったのはウルトラマンも含めた外星人周りの脚本だった。セリフの端々から地球人とは違う尺度や価値観で行動していることがちゃんとわかるし、それがちゃんと各々のキャラクターになっている。メフィラスに関しては山本耕史のどこか胡散臭い表情や声のトーン、細やかな動作も合わさってこいつのスピンオフが見たいと思える。ツブイマ限定で本当にやりそう。

 

ちなみに今までで言う宇宙人を外星人という呼称に変えたのは、人間も宇宙人なのだから…というツッコミに合わせた感じが今風で嫌いじゃない。

 

明確にいかんでしょと思ったのはやっぱ禍特対の描写の薄さ。タスクの多い内容だったので編集で切られたところも多々ある感じはするけど、さすがに神永(斎藤工)と浅見(長澤まさみ)の関係性は端折りすぎ。かと言ってぶっちゃけ平場があれ以上あって良くなったとも思えない。本当に添え物でしかないと感じる人物もいた。

 

特撮シーンの画面の話をすると個人的には良し悪しが3:7ぐらいだった気がする。フル(?)CGでウルトラマンの映画をやってる上に昼間の戦闘が多いので贅沢言い過ぎなのは承知だけど、ハッとするような、観たことがないような画があまりなかったのは結構残念だった。

 

ゴジラと比べて原典遵守っぷりがかなり高くシンゴジのようなサプライズに溢れたギミックを敢えて盛り込まないのはわかるけど、例えばゴジラの巨大な尻尾がゆっくり住宅街の上をスイングする短いカットや、並走する車の中から手持ちで撮ったみたいなカットとか、演出面の変化はもっとあってもよかった気はする。

 

総じてアクションや撮影に緩急やバリエーションが少なく間伸びした印象がある。結果としてウルトラマンの活躍にどこかのめりこめない部分があったのはここが理由な気がしている。

 

とはいえ、今再解釈したからこそできたこの画!!これだよ!!こういうの!!みたいなところも勿論あったのでそれはネタバレ有で挙げていく。

 

ところで主題歌の M八七は歌詞の理解度が高すぎる上に、この短いセンテンスの連なりでここまで詩的にこの映画のテーマを表現できるのかと感心する。これを聴いているとめちゃくちゃ良い映画を観た気になってくる。かつTwitterでも観た人の解釈、特にウルトラマンと人間の関係性に関するところにグッとくる感想が多い。

 

実際内容はめちゃくちゃいい話なんだけど、観ている間そういう気持ちにならなかったのは事実。理由の続きは以下ネタバレ有感想でも。

 

■ネタバレ有感想

 

 

 

 

ここからは具体的にどこがよかったあれだったという話。

 

【アガったシーンベスト3】

ガボラに開幕高速回転蹴りを喰らわせるレピアさん(ネピアさんだっけ)

実質の初陣だったガボラ戦には意外な画が散りばめられていたけど、開始早々にあり得ない動きで蹴りを喰らわせるという掴みが強かった。宇宙人の、予想の範囲外からくる感じが出ていて良い。

ガボラを持ち上げた時に触手みたいのが大きく広がっていたりするのもCGでしかできない演出で嬉しい。

(余計なことを言うとその後のビームを胸部に喰らいながら前進する画とかは無駄に長くて面白くなさが際立つ。作中で何度かそう言うのを感じる瞬間があった。)

 

ウルトラマンの肩越しに遠くの背後に浮かぶゾーフィ

ここ良かったー。原典だと最終回でしか登場しないゾフィーという刷り込み(ネット知識ですいません)があるだけに、急に登場することに驚くと同時に、話の展開が読めなくなる作用もある。なおかつ単純にカットそのものに不穏さや不気味さが満ちている。最早見てはいけないものを見てしまった感じがした。実際彼は地球に災厄をもたらす存在だった訳で、演出的にもバチっとハマっていた。

その後メフィラスに原典の最終回のサブタイ(さらばウルトラマン)を言わせるのもニクいよねー。ニヤけた。

 

①ベータカプセルを点火した神永が下から出現したウルトラマンの拳に包まれて持ち上げられていくのを煽りで撮るカット

これだよ!!!こういうのなんだよ!!ウルトラマンお馴染みの右腕の拳を突き上げ左腕は耳の横で曲げるあのポーズ、を再解釈した結果のこれなんだよ!!!今やるならこういうのが見たかったんだよ!!ちゃんと1カットで変身シーンやってくれてありがとう!!この映画のハイライトはここ!!

 

(また言わせてもらうとその前の神永と浅見のやりとりまでの積み重ねのなさが勿体なさすぎる。ここがよければブチ上がってたと思う。)

 

【話の構成】

この企画のテーマは56年前に放送されたウルトラマンTVシリーズを現代で映画というフォーマットに落とし込むことだったらしい。

 

そのために『ULTRAMAN』のように原典のテーマを新しい1つの話にするのではなく、全39話からいくつかの怪獣やエピソードを抽出したダイジェストのような形をとったんだと思う。

 

この構成自体はウルトラマンの毎週新しい怪獣が登場すること自体のワクワク感とそれにウルトラマンがどう対処するのかのそれを今観客に味合わせるための必然性はある。

(初代マンと現行のウルトラマンTVシリーズも骨子は同じなものの、今のTVシリーズは全26話が主流な上に過去の怪獣の再登場もままあり、毎週新規造形の怪獣が出てくるというのは今考えてもリッチだなあと思う)

 

シンの話に戻す。エピソードのそれぞれを繋ぐ脚本も、上述のメフィラス〜ゼットンのオリジナル展開を交える工夫等で連続性と自然さがあって、ぶつ切り感が最低限に抑えられているのも上手だった。

 

ただやっぱりこの構成のせいで描くものが増えた結果割を喰ったのは禍特対だよなあと思うわけです。これは一緒に観に行った友人の受け売りだけど、TVシリーズでは39話積み重ねがあったから最終的に人類の兵器でゼットンを倒した時の感慨があったのだと。僕は原典は見れてないけど、112分では無理があったというのは同じく思う。それらが次に書くゼットン編の駆け足っぷりとカタルシスのなさにモロに出てしまっている。

 

ゼットン編】

先に書いたようにクライマックスであるゼットン編への入り方はゾーフィのショットのキマり方に加え展開に意外性があって素晴らしかった。んだけど満を持してのグングンカット、からのゼットン撃破は全然アガらなかったし、ラストシーンは本当に「は?」と声が出そうになるレベルの尻切れトンボっぷりだった。やる気あんのかってレベルでこのパートがはっきり不満。

 

全体的に滝の葛藤(職場にチューハイを持ち込んで腐るとかいう演出のダサさはない)からの克服があまりに性急だし、ウルトラマンからもたらされたデータをなんか解析できてこうやってってウルトラマンに伝えたらやってくれましたではカタルシスの起こりようがない。

(解析の過程でVRで会議するとこの英語の下手さとやっすい画にこっちがげんなりしているところにセルフツッコミでさらに追い打ちをかけるのがマジでキツい)

 

ウルトラマンがいれば人間は必要ないんじゃないか」という滝の葛藤(=ウルトラマンという物語のテーマの一つ)をメフィラスのところから表情一つで挿入していたのはよかったのだけど、回収の仕方が雑で感じ入りようがない。

 

ゼットンに一度ウルトラマンがやられるシーンも絶望感の弱さも一因と思っていて、引きの画で光線や光輪を何度もやるという気が抜けた感じとかもう少し色々どうにかならんかったんか。

 

神永(=ウルトラマン)は内面を表に出すキャラクターではなく、それは人類を見守り守護するスタンスと同義だから納得はできる。例えばここでウルトラマンレオみたいに死ぬ程修行したり、ウルトラマンゼロみたいに仲間との絆で協力してゼットンを倒すのならカタルシスもあったかもしれないけどそれは初代マンのリメイクではあり得ない。だからこそその周りの禍特対の描写が大事だったんちゃうんか。

 

単発エピソードのダイジェストに近い構成も手伝ってカタルシスは生まれにくいのかもしれないが、個人的に一本の映画としてラストシーン後の感慨があまりになさすぎるのは致命的だった。

 

 

以上で1回目で思った良し悪しは全部挙げた。明日2回目行くけど踏まえてれば悪いところは気にせずいいところにもっと目がいくはず。楽しみ。

 

この映画に関してはめちゃくちゃ言いたいことがあるけど、公開されたばかりの映画をあまりTwitter上で悪く言いたくないのでブログにまとめて書いた次第です。どの映画にも言えるけど、特にこの映画は売れて次につながって欲しいのよ。賛否はまあまあ別れてるイメージだけど人は入ってるみたいでよかったです。あわよくば自分が夢中になったティガ〜ガイアの新作まで繋がってくれ。世界中の老若男女を巻き込んで大きくなってくれウルトラマンよ。

 

さくらももこみたいなエッセイが書きたかった

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「あんたは季節の変わり目にしょっちゅう風邪をひいていた」と度々母親に言われていたことを思い出す。最近急にがーんと暑くなってきた反動がきたのか、やっぱり今とても疲れている。そんなに仕事が忙しい訳でもなし。身体って歳とってもあんま変わんないのかも。

 

自分の場合疲れていると気分が落ちて色々考えてしまう。そして考えたくなる時は一人で歩きたくなる時でもある。今は退勤してその足で家まで歩けるだけ歩く。疲れに任せて色々考えながら歩ければまだマシなんだけど、休みの前なんでアルコールで思考のスイッチを切り始めてしまった。我ながらでも側からみてもダサい。赤玉バンチがお供。

 

新宿西口の飯屋や居酒屋が人で溢れている。数日前まで新型コロナで皆はどこだって感じだったらしいけど嘘のように密。嬉しいけど素直に喜ぶにはまだちょっと早い感じ。

 

2本目レモンサワー。麒麟の謹製ってやつ。まあまあ好き。

 

まだ職場を出て20分余りに色んな人がいた。ペッパーランチから出てきた瞬間(多分店内でも)一人で喋りだす奴。リストバンド型のケースにスマホつけて自転車漕ぐウーバーイーツの兄ちゃん(SFガジェット感があってかっこいい)、首筋から袖まで何かの力で持ってかれたみたいな服着てるお姉さん、蒙古タンメン中本に並ぶ人、30キロぐらいのスピードで走りながらタクシーのドア閉めてる運転手。皆同じ飛行機が飛ぶ空の下に生きているようだ。昼間職場の上も通ってたみたい。見たかったな。

 

人と言えば今日は(多分)今生の別れがあった。自分の職場で半年勤めた派遣社員のおっさん。年齢は多分50ぐらい。背は高いが顔は穏やかなオランウータンみたいで、仕事中は丸眼鏡をかけていた。

 

とにかく仕事があまりできない人だった。派遣社員なので正当で決定的な理由があれば契約は打ち切ることができるんだけど、そういうのはなく絶妙なダメさ加減でラインのギリギリ上を飛び続けていた。返事と挨拶も不得手なのに加えて言われたことを素直にはいと言って受け入れることもしないので当然周囲からの目も冷たかった。

 

当の自分も他の人と同じくその仕事ぶりにとてもイライラしながらも仕事なんで最低限の態度を保って最低限のことを伝えるのが精一杯だったんだけど。指導や注意という形で関わることが多くて手がかかる人だった。

 

ただ、ただ。1年ぐらいで去った派遣の若い女の子には全く湧かなかった寂寥感が今は間違いなくある。なんでしょうねこれは。疲れてるからなのかな。いい映画を観たあとみたいな忘れ難さがあるというか。恋ですかね?あの人今何してるんだろうと、まだ思い出してしまいそうな。

 

もう退勤から1時間半経った。ファミマに入ったら「たらお」という名札を貼ったカラフルな落武者みたいな髪型の店員の人がいた。3本目緑茶割り。一緒に買ったスパイシーチキンを酔っ払いながら食べると大学生の時の2次会で食べるやっすい唐揚げみたいな味で懐かしくなった。とか言って生活水準は殆ど変わってない。

 

でも一人暮らしができたのはよかった。一人っ子の僕は実家で何一つ生きる力を持たなかったので、自立した人に憧れている節があった。自分は(今も)両親に上手く向き合えておらず、同じく実家暮らしの彼女と会うのにも都合が良いので、職場から実家と然程変わらない距離にわざわざ自腹で収入の3分の1弱払いながら一人暮らしすることにしたのだった。

 

全部過去形なのは来月から同棲することになったから(初期費用知って死んでます⭐︎)。一年の一人暮らしの間に向こうが泊まりに来てくれたりで多少練習はできたとは言え、一人暮らし以上に不安が多い。毎日同じ屋根の下で寝食を共にするというのはコミュニケーションが肝だと思う。コミュニケーションを取らなくても上手く回る仕組みを作れればそれはそれでいいと思うけど、今はまだそんなのは思いつかない(月次週次毎に家事をルーチン表にしてどっちがやったかわかりやすくしたいなとか思ったりはする)。

 

良くも悪くも一人っ子。幼少期から親に何も伝えなくても汲み取って付きっきりで世話してくれたのが今の自分の悪いところに直結していると仕事でも私生活でも思う。共通の親の事とかを話せる人もいないので余計内側に溜め込む癖がついてしまっている。一人っ子と言うと羨ましがられることが多かったけど、後々得なのは絶対兄弟持ちだよ。親の介護も金なきゃ全部持つんだぞ。

 

4本目。マイフェイバリットのフォーナイン(99.99)の次に好きな本搾りのグレープフルーツ。選んでる横で女性2人組が「LINEの返信の仕方がウザい…」みたいな話しててこえ〜。買ったけど尿意がやばくて飲めないので駅中で用足して電車乗った。

 

そんなんだから(前から思ってたけど)自分の子も一人っ子にはあんまりしたくない。職場でよくある「兄弟姉妹いそういなそうクイズ」してた時、職場の我儘で無責任で適当な人が一人っ子と判明した場で「○○(俺)は一人っ子っぽい」って言われて(マジでお前と一緒にすんなって思いながら)尚更そう決心した。

 

キョロ充とチョロQは踏める。壁に当たるとそれに沿って曲がるところとかも似てる。仕事中に考えてた。MCバトルでキョロ充っぽいやつに当たったら使ってくれ。

 

6月1日から映画館が再開するらしい。家で映画観るのが無理(マジで2ヶ月でアマプラで『ジョン・ウィック1,2』と『聖者たちの食卓』(←インドのバカでかい寺院の無料食堂のドキュメンタリー。良かった。)と金ローで初見の『魔女の宅急便』とぐらいしか観てない)なので観ても「スクリーンが大きかった」ぐらいしか感想がない可能性が高い。

 

コロナで飲みにも行けなかったので溜まってた膿が出てしまった。まあ俺のブログだしオールオッケー。世の中割とあれだけど僕の周りの人とフォロワーと動物には幸あれ。

 

さくらももこのエッセイを中学の図書室でめちゃくちゃ読んでたことを思い出した。天国の出来事も書いて出版してほしい。

 

自分と父の話。『家族を想うとき』。

父との関係に悩む男が『家族を想うとき』という映画を観てあまりに刺さりすぎて、そのまま映画館のロビーで書く文章。ほとんど自分の話だよ。

 

 

父親は昔っから仕事で家にいなかった。朝起きたらもういないし、自分が寝た後に帰ってくるような感じ。僕は幼少の頃、仕事に行く父に「また来てね」と言い放ったことがあるらしい。

 

父は僕が中2になるまで皆知ってる大手の運送会社にいた。その後脱サラして自営で運送業を始めた傍ら、コンビニでバイトしてた。今はフランチャイズでコンビニのオーナーをやってる。

 

 

そんな父とあまり仲がよくない。

 

正確に言うと僕が一方的に距離を置いている。小学生の時はキャッチボールしたり銭湯行ったりしてたのに、いつの間にか同じ空間にいることに嫌悪感すら感じるようになっていた。僕に対して手を上げるようなことは勿論、怒られたことすらないのに。

 

父と母は些細なことでケンカしていた。特に3人で買い物や外食に行くと必ずと言っていいぐらい。父は短気で、母は負けん気が強い。僕は一人っ子というのもあり、仲介してくれる人もいない。間にいて居心地が悪かった。

 

加えて父はサラリーマン時代、家にいるといつも仕事の電話に追われていて、その都度部下にキレていた。今でも怒っていたり不機嫌な人に敏感だし、いれば鼓動が早くなるのがわかる。社会人になってちょっとはマシになったけど。

 

あと言動やファッションが奇抜で人に紹介するのも昔から恥ずかしかった。周りから見たらとても面白くて良い人だから親戚や友達にはめちゃくちゃ人気あるのも自分的にはモヤモヤしてた。いい人なんだけどね。

 

多分そんなことの集積が段々自分を父から遠のかせていった。お互いあまり話しかけないし、話しかけられても良くて二言三言で終わり。

 

僕は去年家を出た。わざわざ実家から職場と同じぐらいの距離の家を借りて、一人暮らしを始めた。家のことは頼り切りで生活力をつけるというのもあるんだけど両親、とりわけ父に会うのすら面倒だったからというのも同じぐらいある。

 

そんな両親と嫌でもやりとりをしなければならないイベントに今直面している。結婚。

 

話は逸れるけど年明けてすぐ、彼女のご両親に挨拶に行った。もう何度も会っているし、彼女は家族仲がとても良く、普段から僕の良いところばかり両親に話してくれていた。彼女のおかげで結婚はすんなり承諾してもらえた(彼女は彼女で家族に悩みがある中、兄弟とも両親とも全く問題なく関係を保っていて本当に尊敬する)。

 

彼女のお父さんはザ・普通のサラリーマンって感じの人で、自分は昔っからこういう父親に憧れていたことを会う度思い出させられる。

 

2月の頭、うちの実家に2人で行った。母が出迎えてくれた。父の出席可否は店次第だとは聞いていたけど、2週間以上前に日時は決めていたのでさすがに…ぐらいには思ってた。

 

いなくてほっとしてる自分もちょっと感じつつ、そのまま残ってる自分の部屋に荷物を置きにいってみたら父が寝ていた。は?と思いつつそっとドアを閉めてリビングに戻った。夜勤がいないから、この後店に行くために寝てると母が言っていた。母から結婚の了承を得て、その場はつつがなくおひらき。

 

それから4日後(これ書いてる昨日)、朝仕事に行く前に携帯を見ると父から「話したいことがあるんで泊まりにきませんか」というLINEが入っていた。理由つけて断ろうと思えば秒で断れるし、そうしようと思った。けど、結婚に差し支えが出る可能性と天秤にかけて、残業まみれで疲れた身体で実家に向かった。道中で父から「氷買ってきて」というLINEが入ってきて舌打ちした。氷は買っていってあげた。

 

帰ったら両親と実家猫が2匹いた。いつも通り無言で飯食う自分。最初はテレビに目をやっていた父が、彼女について質問のジャブを打ってくる。兄弟とか両親のこと。いつも通り二言三言返すことしかできない俺。

 

一通り食べ終えた。既に風呂に入っていたので今までなら速攻で部屋に入るところだけど、肝心の要件が聞けていない。これじゃ家帰ってフリースタイルダンジョン観ながら酒飲みたい欲抑えて実家に来た意味がない。母は皿洗ったり、僕のベッドメイクしてくれたりせかせかしている。

 

父が口を開いた。1時間ぐらい同席していたと思うけど、一言でまとめると「お金は貯められるうちに貯めた方がいいから、2人でこの家に住むことを検討してほしい」というもの。秒でNO。断固拒否。そもそもそれができるなら俺はまだ実家にいるわ。なんで実家から1時間のとこに月10万も使ってわざわざ1人で生きてると思ってる。

 

と、そんなことも言えずただただ薄い相槌を打ちながら聞いていた。少なくとも持ち帰って彼女と話し合うというポーズだけでもとってやろうと思ったから。気味悪いので彼女に話したくもないと思ったけど、話すかどうかこの時点では決めかねていた。

 

一夜明けて今日。父にさらっと別れを告げて、映画(『ナイブズ・アウト』)を観た。劇場を出るとLINE。「昨日はありがとう。彼女とまともに話せてないので今度外で食事しませんか」という内容。そんなこと今更言うなら寝る時間30分削ってリビングに降りてくる事はできなかったのか?読んで3秒で頭が沸騰しそうになった。その勢いで返せたそのLINEはまだ返してない。そんなこともできずこんなとこに愚痴吐いてる。

 

何も切り替えられないまま次の映画館に向かう。観るのは『家族を想うとき』。映画友達に勧められていて、たまたま予定が合うので予約していた。内容はほぼ知らなかった。以下あらすじ。

 

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イギリス、ニューカッスルに暮らすターナー家。フランチャイズの宅配ドライバーとして独立した父のリッキーは、過酷な現場で時間に追われながらも念願であるマイホーム購入の夢をかなえるため懸命に働いている。そんな夫をサポートする妻のアビーもまた、パートタイムの介護福祉士として時間外まで1日中働いていた。家族の幸せのためを思っての仕事が、いつしか家族が一緒に顔を合わせる時間を奪い、高校生のセブと小学生のライザ・ジェーンは寂しさを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう。

 

いや、このタイミングでなんちゅー映画やんねん。どんだけ俺にクリティカル?映画友達に勧めてもらったのも、今この瞬間に観れたことも、父親と未だにこんな感じなのも全てが運命なのか?って思いで今映画館のロビーでこんな文章書いてるぐらいにはぶっ刺さったということ。

 

この息子は半グレでグラフィティ描いたり万引きしたりするような奴なんだけど、根っこでは父親や家族に優しい。一方で自分は父親に優しくしたことなど一回もないゴミ野郎で。そんな自分も長年嫌だったし。もうそんなことばっかり考えて映画というかずーっと自分と父を観せられてる気分だった。ついでに涙でスクリーンすら見えないし。映画館にいるのに何やってるんだろうと思う。ちなみにラストカットの直後におばちゃんが「嘘でしょ…」って言ってた。

 

全然頭は整理できていない。けどこの映画を観て父親に優しくしたいと思ってる自分がいる。どうしよう。まだ3人で飲みに行くかどうかは悩んでる。まずは彼女に話そうかな。この文読んでもらうか。どうしよう。

 

新作映画127:『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』

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監督:ボー・バーナム

出演:エルシー・フィッシャー、ジョシュ・ハミルトン 他

 

 

アルフォンソ・キュアロンが「ここ最近で一番、泣いた映画」とかいう女子大生みたいな感想を寄せてることで話題の映画です。

 

今までも映画について書いてると自分の話になってることはままあったけど、ここまで映画と自分の近似値が高い映画は初めてかもしれない。こちとら中3から10年ぐらいTwitterに入り浸ってるんだよ。ナメるな。

 

主人公は現代のアメリカに生きるエイス・グレード(中学2年生)の女の子。物心ついた時にはスマホTwitterもあった人類初の世代。

自分のことを「私は喋れないんじゃなくて喋らないだけ。クラスはアホばっかり」と信じてるタイプの中学生でもある。自撮って人生を語るYouTubeの再生回数は軒並み1桁。JCなのに1桁。

 

とはいえこのままじゃいかんってのはわかってるから変わろうと勇気を出してカースト上位女子のプールパーティーに行ったり学校で話しかけたりする。結果はお察し。

 

もう俺はこの子の"リア充(死語)だらけのプールという名の戦地に向かう時の水着に乗った肉と猫背とだらしないケツの後ろ姿"で笑いながら悶えた。イケてないティーンエイジャーものの大傑作『スウィート17モンスター』でも、ここまでフィジカルで訴えかけてくるカットはなかったと思う。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のブラピの上裸に匹敵する身体的説得力。このクソダサい水着を着させてオーディションをやったのかと勘繰りたくなるレベル。自信のなさや恐怖心が伝わってくるのに申し訳ないけど笑えてしまう素晴らしい一瞬だった。

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静止画でも十分おわかり頂けるだろう

 

彼女は頭が良いので大事なことは全部わかってるし、言葉にすることもできる。でもそれが実行できない自分の現実とのギャップに苦しんでる。そこに向かって一歩踏み出した時に感じる自分の何でもなさとかその場での存在価値の低さとかが分かっていく。身の丈を思い知る。それは立派に大人になるっていうことだと思う。その積み重ねが自分を作って、得てきた実感が本当の自分の言葉になっていって、お父さんみたいに身近な人にそれを伝えられる大人になれたらサイコーだね。

 

昔の自分となりたい自分をその狭間の今観れたような気がした。

 

オススメしてくれたけんす。さんとなんすけさんに感謝します。

 

新作映画126: 『アメリカン・アニマルズ』

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監督:バート・レイトン

出演:エバン・ピーターズ、バリー・コーガン、ブレイク・ジェナー、ジャレッド・アブラハムソン 他

 

何不自由ない生活をしていてせざるを得ないような何かはないし、何かをやりたい衝動もないけど、何者かである他人を見て自分もそうなりたくて仕方ないという欲求は特に昨今の若い人には珍しくないらしい。敢えて言うなら男子に多いのかもしれない。

 

例えば『クリード チャンプを継ぐ男』で富裕層の主人公はYouTubeを通して見る父親の背中を追いかけてボクシングをやるし、『スパイダーマン ホームカミング』のピーター・パーカーはヒーローとしての使命感よりも既に活躍している他のヒーローのようになりたいという欲求が先にあったのが特徴的だった。現代的なテーマなのかもしれない。

 

ついでを言えば自分もそうだった。大それた事や目に見える成果があることはしていなかった大学生の頃に映画を観始めたのも、他の人より夢中になってるものが欲しいというのが先にあったし。思えば物心ついた時から本当に小さいところで他の人と違うことをしたい、こいつがやらないなら俺がやろうという理由で物事を選択するフシがあった。

 

この映画の主人公はケンタッキー州に住む普通の大学生。普通の大学生ということはつまり一定の生活水準を享受しているんだけど、ぼんやり、あくまでぼんやり今ここに自分がいる意味とかを自問してる。結果今の生活はつまらない、チンケな生活を維持するためにちまちま働く未来なんて嫌だと騒ぐ友人にほだされて大学の図書室から1200万ドルの本を盗む計画を立て始める。

 

もし仮にこの映画を批判する人の中に「動機が弱くてノレない」という人がいたらそりゃそうだよとしか言いようがない。繰り返すと、彼らは何かひっ迫した衝動は持っていないけど何かをして何者かにはなりたいってふわーっとした欲望は持ってる。でも強盗をするモチベーションも覚悟は微塵もない。だから驚くぐらい何のきっかけもなくのぺーっと行動を始める。たまたま大学に高価な本が所蔵されているのを知ったからというだけで。

 

物事は実際にやる前の方が楽しいというのはよく聞く話だ。旅行、引越し、好きなゲームや映画の新作。計画を立てる彼らの物語の主人公は紛れもなく彼らだった。自分の机上の有能さや仲間が増える喜びに酔う無邪気さが今思えばマジ哀れ。

今サントラで「First Plans」という曲が流れてるんだけど、オーシャンズとかで流れてそうな洒落たジャズ調なのがマジで性格悪いなって思う。このスコアは図書館の図面を描き上げて二人で喜ぶところで流れてた笑

 

この課程でとても面白いと思ったのは、実行した実在のメンバーの間で記憶に齟齬があること。例えば同じ場所にいた2人が見た男の外見の証言が異なっていたりする。人が自分の過去を脚色し、物語として補完しようとする部分が露わになる瞬間を暴くような作りがとてもスリリングだった。現在の4人のインタビュー映像が間に差し込まれる構成がめちゃくちゃ効いてると思う。それを映画的にサラッと描くのもスマート。ちなみに監督は昨今の「ベースドオントゥルーストーリーもの」へのアンチテーゼのつもりでやったらしい。

 

そんでいよいよ決行ということになるんだけど、ここまではほんの序の口に過ぎない。これから決行なんだから当たり前だろとかそういうことじゃない。ここまでは上にも連想する作品を挙げたけど、ここからがこの映画の唯一無二のところであり、僕が心底震えたところだ。ややネタバレというか核心に触れるので是非観てから読んで欲しい。

(予告ではここまでしか匂わせてないのはグッジョブだった。まあその方が人呼べるだろうけど。)

 

 

 

この映画の肝は時間の不可逆性にある。シーンで言うなら、映画みたいにスタンガンで気絶せず、痛さで泣き喚く司書を半泣きで縛り上げて半狂乱で鍵を探すシーン。もう絶対に後戻りできない、やってしまったという実感がビンビンに伝わってきてこっちまで青褪めた。彼らと同じくケイパーものの映画を観たことがある僕らの予想を悉く下回る用意周到でなさに目眩がする。スマートに計画を実行するイメージ映像が出た時にある程度予想はしていたけど、あれ程無茶苦茶だと本当に笑えない。もう本置いて逃げろとか客観的に突っ込むこともできないぐらいのめり込んで「マジでやべえ。終わった。」としか思えない地獄のようなシーンだった。

(エンドロール入ってようやく解放されたと思ったらラストに犯行のときの劇伴をぶち込んできて思い出せるのが本当に嫌。褒めてる。)

 

最悪は続く。辛うじてカバンに詰めた本を売り捌くくだりのケンカと言うにはあまりにおぞましい口論、精神的に追い詰められた彼らの行動、そしてあっけない逮捕。

 

なんと言ってもキツいのは犯行を語る現在の本人達の顔、顔、顔、顔。何であんなことしたんだろう、心底思い出したくねえと言わんばかりの伏し目。それまで軽口叩いてたウォーレンですら。それは司書という明確な被害者を出したからなんだけど、彼らは悪人じゃないから他人を傷つけたことにヘコむんだよね。と言うより他人を傷つけてまで何かをする覚悟はない人っていうか。

 

この監督はドキュメンタリーで名を挙げた人らしいんだけど、だからこそ事実に対する冷徹な視線が作品全体に行き渡っている。まあ明確な被害者がいるからってのもあるだろうけど、作品全体から若気の至りとして甘やかすような視点を徹底的に排除した作りにシビれた。本人にインタビューして、その映像を散りばめてこれをやるのは凄い。

 

僕は自分が理解できない思想を持った人でも、確固たる信念を持ってそれを実行する様を描く映画が好きだ(直近だとアベンジャーズのサノスとか)。でもこの映画は逆に信念や理想を何も持たずにぼんやりした欲求だけで一線を越えた、まさしくアニマルズを描いてた訳で。

 

自分はもうそういう「何者かになりたい」期は過ぎた(ウォーレンのなりたくなかった「労働者」になった)けど、根っこの気持ちは今でも全然わかる。叶える方法は最悪手だったけど。悪いことすんのって多分手っ取り早いんだよね。何かを成し遂げる近道みたいに見えるんだと思う。それが若さ故の想像力と実力のなさが引き起こした悲劇のきっかけだったという。愚かで悲惨だけど絶対他人事で切り捨てられない。僕はいつでも加害者になり得る。

 

まさかこんな方向から心を抉られるとは思ってなかったのでかなり嬉しい。サントラもめちゃめちゃ良い。今年ベスト級。

雑記:インフィニティ・ウォーだけ観てエンドゲームに挑むあなたへ

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こんにちは〜

 

この記事はMCU(ざっくり言うとマーベルのアメコミ映画のことを指す)を『ブラックパンサー』と『インフィニティ・ウォー』しか観ていない人向けに、エンドゲームを観るにあたって最低限ノイズが生じない程度の知識をもってもらうために極個人的に書いた文を公開するものです。

 

MCU作品を観てもらうためとか、その魅力を十分に伝えるためのものではありませんので悪しからず。また情報過多にしないために敢えてスカスカに書いているところが多々ございますのでご了承を。

(これでも知らん人からしたら「は?」って感じだと思う)

 

 

◾️前回(インフィニティ・ウォー)までのあらすじ

MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)映画10年間19作品の中に登場してきた6つのインフィニティストーンを一つに集めたものは万物を作り変える力を得る。

 

「全宇宙の生物を半分に減らし、宇宙を生き長らえさせる」という宿願を果たすため、遂にサノス自らが動き出す(それまでも先鋒使って地球にちょっかい出したりはしてた)。

 

サノスは各地に散っていたアベンジャーズを次々襲撃。元からの強さとストーンの力を用い、ガントレットに全ての石を収めた。

 

指パッチンで全宇宙の生物は半減され、残された初期メンバー(後述)を始めとするアベンジャーズは大敗を喫した。

 

 

◾️エンドゲームの導入

インフィニティ・ウォー(以下IW)とエンドゲーム(以下EG)の間には2本の新作が公開された。

1本目は『アントマン&ワスプ(=アントマン2)』、2本目は『キャプテン・マーベル』。

 

それらの面々含めIWに不参加だった人が主に3人ほどいて、初めて見る顔だと思うけど以下で紹介するので安心して欲しい。

 

EGのあらすじ:残ったメンバーで頑張ろう!

 

 

◾️キャラクター紹介

①トニー・スターク(アイアンマン)

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世界的企業の社長。

自社で作った兵器を奪ったテロリストに酷い目に合わされたので、いっそ自分で犯罪者やテロリストも根絶したれと思い立ち自分で作ったアイアンマンスーツで活動し始める。DIY精神の人。

 

秘書のペッパー・ポッツとはなんやかんやあって交際中。街の隣人として細々と活動していたスパイダーマン(ピーター・パーカー)を見出し、ヒーローとしての師匠(?)を務めた人物でもある。

 

IWラストでは惑星タイタンでの戦いでサノスに敗北、ネビュラと共に取り残される。今までの戦いで派手にやって散々地球に迷惑をかけたので、今度は相手の本拠地に乗り込もうという責任感から危険を冒したにも関わらず、結果的に初対面の寡黙な青ハゲと2人にされるという可哀想な人。

 

 

スティーブ・ロジャース(キャプテン・アメリカ)

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第二次世界大戦中に米軍に生み出された超人。

 

元々はひ弱で兵役の適性すらなかったが、崇高な正義感が見出されめでたく身体を魔改造された。特殊能力はないけど、人間にできることは全て人間最強クラスにできる。武器は硬い盾。

 

当時の上官のペギーとは恋仲に発展しかけダンスの約束をするという死亡フラグを立て、戦いの末皆を守るため南極で氷漬けになった。冬眠から起きたら2012年になってたのでダンスの約束はすっぽかした。ペギーは2016年に老衰で死去。

 

目覚めてからはアベンジャーズのリーダーとして活躍。各地で悪党と戦ったりテロを未然に防いだりしていたが、他国で派手に戦いすぎて国連の管理下に入れとお達しが来る。しかしそれまでの経験から拒否し、国連賛成派のアイアンマンと他のヒーローも巻き込んだ大喧嘩をしてそのまま解散。お尋ね者として密かにヒーロー活動をしていた。

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お尋ね者だった時。ヒゲも伸ばしてみたりした。

 

IWではワカンダの戦いで敗北。残された地球のアベンジャー達とサノスの情報を集める。

 

黒人の羽根生えてるやつと左腕がメタルな人が家臣。

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③ソー

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アスガルドという神の国の王子。

 

これまでの戦いで両親を亡くし、弟を亡くし、戦友を亡くし、故郷のアスガルドも滅亡、民の半分を率いて宇宙船で地球に移住しようとするもその半数もサノスによって殺されてしまう。(IWの冒頭のシーン。弟↓もそこで死。)

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守るべきものを殆ど失った彼はIWでサノスへの復讐を誓い、最強の武器を手にワカンダに降り立つも、サノスの頭を潰さないというミスを犯し敗北。

 

ちなみに元々はソーを始め高潔な精神を持つ者にしか使えないハンマー、ムジョルニアで戦ってたんだけどそれもIW以前に壊された。今現在とことん何も無い人。

 

①〜③は原作からBIG3と呼ばれ人気が高いらしく、MCUでも単独映画がそれぞれ3本作られた。なのでEGでも物語で特にフォーカスされる。

 

 

④ブルース・バナー(ハルク)

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キャプテン・アメリカを誕生させた実験を現代で再現しようとし失敗、結果自分の中にもう1人のどう猛な人格と強靭な肉体を宿した科学者。

 

自分でハルクの力を制御できず、市民やアベンジャーズを危険に晒すこともあった。自責の念から遠い星に隠居していたこともあったが、そこで偶然ソーに再会、立ち直って地球に帰ることを決めた、ということもあった。

 

IWでは冒頭では地球に帰還中サノスにボコられ、ハルクは引きこもり化。EGではハルクがどう復活するかが見所。

 

 

 

⑤ナターシャ・ロマノフ(ブラック・ウィドウ)

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元ロシアのスパイ。

 

主にキャプテン・アメリカと数々の戦いを共にしてきた。能力はなく、本当にただの(めちゃ強い)人間。

 

スパイの経歴を持つだけあって、組織から組織、人から人の間を飛び回るような立ち位置であることが多かった。が、アベンジャーズとして戦いそこに自分の居場所を見出した。くせ者揃いだったメンバーの面々を繋ぐ潤滑油的な存在でもある。

 

 

⑥クリント・バートン(ホークアイ)

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ただの人間その2。ただし弓矢が無茶苦茶上手い。EGでは刀を使ったりもする。

 

前述のアベンジャーズ分裂でキャプテン・アメリカ側についたせいで犯罪者として扱われ、IWの時は自宅に軟禁されていたため出番がなかった。嫁と、子供が3人いる。

 

ナターシャとはアベンジャーズ以前からの戦友でもある。

 

①〜⑥がアベンジャーズの初期メンバー。③〜⑥も①〜③程ではないけど中心人物になるぞ。

 

 

⑦スコット・ラング(アントマン)

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身体を小さくする能力を持つアントマンであるスコット・ラングもまた普通のおじさん。

 

バツイチ。親権をとられた娘の養育費とかで困窮した挙句泥棒やってたまたまアントマンスーツを手に入れた。主に9歳の愛娘のために戦う。IWの時はクリントと同じ理由で自宅に監禁されていたので不参加。

 

ある目的で原子レベルまで小さくなって量子世界にいたら、その最中にサノスの指パッチンが発動、周りにいた人が消滅して原子世界にただ1人取り残された(←これがEGに直結するアントマン2のラスト)。

 

 

⑧キャロル・ダンヴァース(キャプテン・マーベル)

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今年の頭に公開された単独主演作で初登場したニューカマー。

 

1980年代のアメリカにやって来て人知れず頑張っていた。ラストでとある事情で宇宙に旅立っていたのでIWには不参加だった。

 

IWのラストで眼帯の黒人がポケベルで呼んだのはこの人。

 

⑥〜⑧がEGで初対面の人。

 

 

いかがでしたでしょうか?

EGは上映時間が3時間あるので、大丈夫とは思いますが前日からの水分コントロールも忘れずに!

 

 

新作映画125: 『愛がなんだ』

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監督:今泉力哉

出演:岸井ゆきの成田凌深川麻衣若葉竜也江口のりこ 他

 

《一番言いたいこと》

この映画を観て、声を大にして言いたいことがある。

それは他人の関係性を否定するのはやめましょうということだ。

 

僕はこの主張を元々強く持っていた。

これは高校の時初めてできた彼女にフラれた経験から来ている。破局の引き金は当時の彼女が他人に僕らの関係性を相談したことによって引かれた。
相談すること自体は勿論良い。ただその相手とアンサーは僕の中に禍根を残した。
相談相手は僕と当時の彼女の共通の女友達だったんだけど、そいつはマジもんのアバズレだった。加えて顔もブスだったのが今でも腹立たしい。

 

相談内容は、僕が家に呼んだのに彼女に何もしなかったことで「自分に魅力がないのか」と不安だ、というもの(確か)。

確かに僕は付き合って2ヶ月ぐらいの時にデート帰りに彼女を家に上げて何もしなかった。
僕の言い分。当時高校1年生だった僕にはそういう発想が全くなかった。純粋に付き合って2ヶ月だしそんなのまだだろとか思ってた。純粋だったのよ。
今思えば流石に1アクションぐらい起こすべきだったと思わなくもないが、クソ童貞はそんなことに思い至るはずもなく。
アバズレはそれに対して、あいつはあなたに興味ないからさっさと別れるべき、とアドバイスをしたらしい。
その件以来、他人、特に恋人やその手前同士の関係性を否定することはしまいと固く誓った。苦目の経験がクソ童貞にもたらした些細な人生訓。

 

なので別荘のシーンのすみれさんには腹が立った。
確かに仲原くんの尽くし方は一般的ではないし、話だけだと葉子さんは悪い女に聞こえるかもしれない。
でもその裏にある複雑な想いを一蹴する想像力のなさは許し難いものがある。普通にデリカシーがない。

元々強く持ってたポリシーだったけど仲原くんへの同情がこの怒りをブーストさせていることは言うまでもない。

これを読んでる人は元々大丈夫だと思うけど、テアトル新宿を埋め尽くしていたキャピキャピ女たちにもこの願いが届くことを切に願う。女子大みたいになってたもん。

 

とても良いケーススタディだったのでこの場を借りて主張させてもらった。

今回はこの映画をダシにしてこれが言いたかっただけなんだ。

ついでにまとまらない感想も書きますね。

 

 

《山田さんの好きなところと理解不能なところ》
この映画は場所が変われば人は変わるということを描いていて、そこが好きだ。
意図的にやったことかどうかわからないけど、身に覚えがあってとてもリアルに感じた。
こないだ丁度映画友達と話したんだけど、どこにいてもよく言えばブレない、悪く言えば一本調子な人物描写に違和感を覚えることがある。
漫画とかアニメに多い。それはそれで良いんだけど、あんま人間っぽくは見えない。

 

山田さんは田中に対してそれこそ人間的でないレベルで敬虔で勤勉な反面、興味のない職場では他者など意に介さない怠惰っぷり。
初対面の人間が集まる場では壁の花な反面、田中と二人の時はニコニコで饒舌、仲原君との時は割と適当、葉子さんには甘え気味。
そういう意味で山田さんはとても人間的で好感がもてる。演じる岸井ゆきのさんは愛想の良いパグみたいで可愛い。

 

そんな山田さんの理解不能な点は田中への執着。
自分でも言っていたけど、最早愛とか恋とかそういう定型的な情念でない。尋常じゃない執着。
野暮を承知で敢えて言うなら信仰に近い。自分が信仰対象に近づこうとするという点では仏僧とかが近い気がする。

ファーストシーンは明らかに山田さんに肩入れさせる描き方をしていたし、田中が悪者に見える。
ただラストシーンはほのぼのした絵面のサイコホラーだったし、結果的には山田さんが登場人物で一番自分と距離のある人だと思った。

ただそこが嫌じゃないどころか、むしろとても興味深かった。

それはこの映画が単なるあの二人の恋愛物語でなく、もっと根っこの人と人との何かを描けているからなんだと思う。だから人物への共感は二の次三の次でいいというか。

(前にある「恋愛映画」を観たとき登場人物の誰一人として共感できなすぎてダメだったので余計そう思う。)

 

田中に惹かれる理由がほぼ描かれないのも面白い理由の一つだと思う。

ただそこを考える映画でもない気もする。そうだからそうでいいじゃんっていうか。
とにかく山田さんという巨大な謎がこの映画にすごい引力を発生させてる。

 

 

 

《20代後半の恋愛ー未知の世界 》
上述のクソ童貞は大学生の時ある子に出会った。すごく気も趣味も合う良い子だったので早めに告白したらたまたまOKだった。
そのまま今に至るけど、この映画を経た今ではシンプルだったんだなと感じる。良い悪い、合う合わないぐらいしか要素がなかった。
(ついでに言えばそんな時に出会えたのは超幸運だったんだと思う。)

 

だからこの映画で描かれる、そして実際にもあるらしい「20代後半の恋愛なんてなんとなく始まっていくもんだろう」という感じは今の自分によくわからない。てかまあ観ながら「こじれちゃってんなあ。」とすら思ってた。

でもやっぱりそれで切り捨てがたい魅力がある。

 

この映画は僕にとっては、人の人に対する執念とか依存とか憧れとか甘えとか寂しさとかそういうのが混然一体になってる力場が広がった未知の世界だった。
それは多分恋とか愛とかなんて一言で表せない、他人への想いのグラデーションなんだろう。

単純じゃないから美しい。複雑だから面白い。面倒くさいから愛おしい。

映画に描いてほしいのはこういうことだと改めて思う。

 

観終わった後そのままタピオカの列に並んでそうな女子にとっても、喉奥に残って取れない魚の骨みたいな映画であってほしい。

 

今泉監督の映画は初めて観たんだけど、こういうとところが持ち味だとしたらとても面白い監督だなと思う。

 

 最後に。

成田凌に「俺はどっちかって言うとかっこ悪い」と言わせるのはやめてくださいよ。
だったらせめてファッション誌の編集やっててオシャレって設定はなくすとかさ。自分が嫌になるだろ。お前は確かにかっこ悪いけど自分では言うなよ。

あと成田凌はファンサービスでも舞台挨拶で追いケチャップポーズをやるのはやめろ。やめろ。