シン・ウルトラマン:観る前〜感想
シン・ウルトラマンの1回目の感想
良くも悪くも言いたいことが大量にある。しばらくネタバレ無で書いてますが、途中からネタバレ有のパートに入ります。
■私とウルトラマン - バックボーン
前提として、自分は恥ずかしながら初代ウルトラマンは見たことがない。ウルトラマンはティガ〜ガイアが直撃世代なので親しみはある。そこから十数年を経て自分が特オタになった後、ギンガからTVシリーズ新作が久しぶりに復活して、そこからは作品毎に熱量の差はあれど一通り観ている。
■シン・ゴジラ〜公開前
樋口真嗣、庵野秀明コンビの前作『シン・ゴジラ』はその年の2位に置くぐらい好きな作品になった。画面や展開のインパクトと絶望感、洪水のような情報量のテンポや供給の仕方の中毒性にハマった。
その2人がウルトラマンをやるとなり、最初に出てきたこのビジュアルが割と衝撃的だった。
ウルトラマンといえば背中を丸めたファイティングポーズや拳を突き上げた登場ポーズじゃないのか。何で棒立ちでこっち見てるの。怖。
ただ段々この不気味さこそが今ウルトラマンをやるにあたって見てみたいところの1つでもあると思うようになった。単なるヒロイックな存在ではなく、人類が初めて出会う1人の宇宙人としてのウルトラマン。着ぐるみでなくCGだからこそ未知の生き物として描いてくれたら面白いだろうと想像を膨らませていた。
(その期待は6年前にネットで公開されたウルトラマンn/aの中で、キックの直前に足首の腱が浮き出る細かい描写にもたらされた部分が大いにある)
特撮に関しては一番最初に出されたこのビジュアルのある種の不気味さが印象的で、本編でもそういうのが感じられるシーンに期待してしまう。ヒロイックなだけじゃなくて、今のCGだからこそ描ける巨大な宇宙人というところを見せて欲しくもあるなあ。 pic.twitter.com/TSWZBFtG6C
— がど (@gadguard) 2022年5月12日
そこから2年半経ち公開1週間前。ここまで楽しみさで脳内が支配されたエンタメはアベンジャーズIW以来ぐらいだったかも(最近じゃんとセルフツッコミしたくなったけど4年前らしいので最近ではない)。
とはいえ期待と不安のバランスは半々ぐらいだったと思う。半々と言うのも、特撮のクオリティに関しては全く心配はなく、間違いなく良いものが見られると安心していた反面、平場はどうだろうという懸念があった。
シン・ウルトラマンって意志と知性がある宇宙人が人間に乗り移るって形だ(ろう)から、人間描写に比重が寄ると思っていて。シン・ゴジラは純粋な脅威への対処だけにフォーカスできたのが面白さだったけど多分そうではない。変身をアガるものにするには平場が大事になってくる。そこに期待と不安がある
— がど (@gadguard) 2022年5月12日
自然災害よろしく突然やってくるゴジラへの対処という事象を異常な情報量とスピード感で叩きつけ暇を感じるスキも与えないシン・ゴジラに対して、普段人間として行動しピンチで変身するウルトラマンでは勿論描き方は違ってくる。
何を大事にしてほしいと思っていたかって、変身に向けた平場の積み重ね。ジェットコースターが楽しいのはゆっくり上へ上へと運んでいるあの時間があるからであるように、変身ヒーローもそのカーブが大事だと思う。変身ヒーローモノはアガるエンタメであってほしいし、個人的には戦闘よりも変身それ自体が1番アガるシーンであってほしい。なのでここをキメてくれるかどうかは若干不安だった。不安というかちゃんとやってくれよという期待の裏返しと言った方が近い。
■ネタバレ無感想
ここまでいいところとダメなところがはっきりわかる映画は初めてかもというレベル。減点法だとかなり微妙だし、かと言って加点法でも実はそこまでいかないというのが偽らざる感想。
割とフラットなテンションでいったつもりだったけど、シンゴジに無意識に上げられた期待値がかなり高かったっぽい。全く別物と頭でわかっているとはいえ、メインの作り手が同じなので違うベクトルで同じぐらいのものが見られると思ってしまっていた自分に気付かされた。いやまあそりゃ期待はするよね。
まず良いと思ったのはウルトラマンも含めた外星人周りの脚本だった。セリフの端々から地球人とは違う尺度や価値観で行動していることがちゃんとわかるし、それがちゃんと各々のキャラクターになっている。メフィラスに関しては山本耕史のどこか胡散臭い表情や声のトーン、細やかな動作も合わさってこいつのスピンオフが見たいと思える。ツブイマ限定で本当にやりそう。
ちなみに今までで言う宇宙人を外星人という呼称に変えたのは、人間も宇宙人なのだから…というツッコミに合わせた感じが今風で嫌いじゃない。
明確にいかんでしょと思ったのはやっぱ禍特対の描写の薄さ。タスクの多い内容だったので編集で切られたところも多々ある感じはするけど、さすがに神永(斎藤工)と浅見(長澤まさみ)の関係性は端折りすぎ。かと言ってぶっちゃけ平場があれ以上あって良くなったとも思えない。本当に添え物でしかないと感じる人物もいた。
特撮シーンの画面の話をすると個人的には良し悪しが3:7ぐらいだった気がする。フル(?)CGでウルトラマンの映画をやってる上に昼間の戦闘が多いので贅沢言い過ぎなのは承知だけど、ハッとするような、観たことがないような画があまりなかったのは結構残念だった。
ゴジラと比べて原典遵守っぷりがかなり高くシンゴジのようなサプライズに溢れたギミックを敢えて盛り込まないのはわかるけど、例えばゴジラの巨大な尻尾がゆっくり住宅街の上をスイングする短いカットや、並走する車の中から手持ちで撮ったみたいなカットとか、演出面の変化はもっとあってもよかった気はする。
総じてアクションや撮影に緩急やバリエーションが少なく間伸びした印象がある。結果としてウルトラマンの活躍にどこかのめりこめない部分があったのはここが理由な気がしている。
とはいえ、今再解釈したからこそできたこの画!!これだよ!!こういうの!!みたいなところも勿論あったのでそれはネタバレ有で挙げていく。
ところで主題歌の M八七は歌詞の理解度が高すぎる上に、この短いセンテンスの連なりでここまで詩的にこの映画のテーマを表現できるのかと感心する。これを聴いているとめちゃくちゃ良い映画を観た気になってくる。かつTwitterでも観た人の解釈、特にウルトラマンと人間の関係性に関するところにグッとくる感想が多い。
実際内容はめちゃくちゃいい話なんだけど、観ている間そういう気持ちにならなかったのは事実。理由の続きは以下ネタバレ有感想でも。
■ネタバレ有感想
ここからは具体的にどこがよかったあれだったという話。
【アガったシーンベスト3】
③ガボラに開幕高速回転蹴りを喰らわせるレピアさん(ネピアさんだっけ)
実質の初陣だったガボラ戦には意外な画が散りばめられていたけど、開始早々にあり得ない動きで蹴りを喰らわせるという掴みが強かった。宇宙人の、予想の範囲外からくる感じが出ていて良い。
ガボラを持ち上げた時に触手みたいのが大きく広がっていたりするのもCGでしかできない演出で嬉しい。
(余計なことを言うとその後のビームを胸部に喰らいながら前進する画とかは無駄に長くて面白くなさが際立つ。作中で何度かそう言うのを感じる瞬間があった。)
②ウルトラマンの肩越しに遠くの背後に浮かぶゾーフィ
ここ良かったー。原典だと最終回でしか登場しないゾフィーという刷り込み(ネット知識ですいません)があるだけに、急に登場することに驚くと同時に、話の展開が読めなくなる作用もある。なおかつ単純にカットそのものに不穏さや不気味さが満ちている。最早見てはいけないものを見てしまった感じがした。実際彼は地球に災厄をもたらす存在だった訳で、演出的にもバチっとハマっていた。
その後メフィラスに原典の最終回のサブタイ(さらばウルトラマン)を言わせるのもニクいよねー。ニヤけた。
①ベータカプセルを点火した神永が下から出現したウルトラマンの拳に包まれて持ち上げられていくのを煽りで撮るカット
これだよ!!!こういうのなんだよ!!ウルトラマンお馴染みの右腕の拳を突き上げ左腕は耳の横で曲げるあのポーズ、を再解釈した結果のこれなんだよ!!!今やるならこういうのが見たかったんだよ!!ちゃんと1カットで変身シーンやってくれてありがとう!!この映画のハイライトはここ!!
(また言わせてもらうとその前の神永と浅見のやりとりまでの積み重ねのなさが勿体なさすぎる。ここがよければブチ上がってたと思う。)
【話の構成】
この企画のテーマは56年前に放送されたウルトラマンのTVシリーズを現代で映画というフォーマットに落とし込むことだったらしい。
そのために『ULTRAMAN』のように原典のテーマを新しい1つの話にするのではなく、全39話からいくつかの怪獣やエピソードを抽出したダイジェストのような形をとったんだと思う。
この構成自体はウルトラマンの毎週新しい怪獣が登場すること自体のワクワク感とそれにウルトラマンがどう対処するのかのそれを今観客に味合わせるための必然性はある。
(初代マンと現行のウルトラマンTVシリーズも骨子は同じなものの、今のTVシリーズは全26話が主流な上に過去の怪獣の再登場もままあり、毎週新規造形の怪獣が出てくるというのは今考えてもリッチだなあと思う)
シンの話に戻す。エピソードのそれぞれを繋ぐ脚本も、上述のメフィラス〜ゼットンのオリジナル展開を交える工夫等で連続性と自然さがあって、ぶつ切り感が最低限に抑えられているのも上手だった。
ただやっぱりこの構成のせいで描くものが増えた結果割を喰ったのは禍特対だよなあと思うわけです。これは一緒に観に行った友人の受け売りだけど、TVシリーズでは39話積み重ねがあったから最終的に人類の兵器でゼットンを倒した時の感慨があったのだと。僕は原典は見れてないけど、112分では無理があったというのは同じく思う。それらが次に書くゼットン編の駆け足っぷりとカタルシスのなさにモロに出てしまっている。
【ゼットン編】
先に書いたようにクライマックスであるゼットン編への入り方はゾーフィのショットのキマり方に加え展開に意外性があって素晴らしかった。んだけど満を持してのグングンカット、からのゼットン撃破は全然アガらなかったし、ラストシーンは本当に「は?」と声が出そうになるレベルの尻切れトンボっぷりだった。やる気あんのかってレベルでこのパートがはっきり不満。
全体的に滝の葛藤(職場にチューハイを持ち込んで腐るとかいう演出のダサさはない)からの克服があまりに性急だし、ウルトラマンからもたらされたデータをなんか解析できてこうやってってウルトラマンに伝えたらやってくれましたではカタルシスの起こりようがない。
(解析の過程でVRで会議するとこの英語の下手さとやっすい画にこっちがげんなりしているところにセルフツッコミでさらに追い打ちをかけるのがマジでキツい)
「ウルトラマンがいれば人間は必要ないんじゃないか」という滝の葛藤(=ウルトラマンという物語のテーマの一つ)をメフィラスのところから表情一つで挿入していたのはよかったのだけど、回収の仕方が雑で感じ入りようがない。
ゼットンに一度ウルトラマンがやられるシーンも絶望感の弱さも一因と思っていて、引きの画で光線や光輪を何度もやるという気が抜けた感じとかもう少し色々どうにかならんかったんか。
神永(=ウルトラマン)は内面を表に出すキャラクターではなく、それは人類を見守り守護するスタンスと同義だから納得はできる。例えばここでウルトラマンレオみたいに死ぬ程修行したり、ウルトラマンゼロみたいに仲間との絆で協力してゼットンを倒すのならカタルシスもあったかもしれないけどそれは初代マンのリメイクではあり得ない。だからこそその周りの禍特対の描写が大事だったんちゃうんか。
単発エピソードのダイジェストに近い構成も手伝ってカタルシスは生まれにくいのかもしれないが、個人的に一本の映画としてラストシーン後の感慨があまりになさすぎるのは致命的だった。
以上で1回目で思った良し悪しは全部挙げた。明日2回目行くけど踏まえてれば悪いところは気にせずいいところにもっと目がいくはず。楽しみ。
この映画に関してはめちゃくちゃ言いたいことがあるけど、公開されたばかりの映画をあまりTwitter上で悪く言いたくないのでブログにまとめて書いた次第です。どの映画にも言えるけど、特にこの映画は売れて次につながって欲しいのよ。賛否はまあまあ別れてるイメージだけど人は入ってるみたいでよかったです。あわよくば自分が夢中になったティガ〜ガイアの新作まで繋がってくれ。世界中の老若男女を巻き込んで大きくなってくれウルトラマンよ。