静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

旧作映画レビュー002:観た後の世界が違って見える、黒沢清『CURE』。

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監督:黒沢清

出演:役所広司萩原聖人うじきつよし中川安奈、でんでん、螢雪次朗大杉漣

 

 

かなり時間が経ってしまったけど。『クリーピー 偽りの隣人』は、他の人のレビューを読んで改めて、「色んな観方ができる映画って面白いなあ」と思った一本であった。そんな作品を作った黒沢清監督の代表作として名高い『CURE』を観てみた。四方田犬彦の「日本映画史110年」など所々で聞き及んではいたのだが、いいきっかけだと思ったので。

 

結果度肝を抜かれた。直後の僕のチンパンジー並の感想がこれ。

 

クリーピーを観た映画好きの友人にも勧めたところ、絶賛していた。久しぶりに旧作について書く。どこからどういけばいいのかわからない。

 

とりあえず、クリーピーの記事でこの映画について一言だけ触れた。「クリーピーが光と影の映画なら、CUREは音の映画だ」みたいなことを書いた。生活音をバックに淡々と狂気(と、僕らの日常レベルからは見えるモノ)が行われる本作を観た後だと、逆に生活音がその狂気を想起させる媒体として実生活の中で立ち上がってくる。洗濯機、ガス台、車、エレベーター、踏切の信号、水、蛍光灯、テープレコーダー、波、風、木々のざわめき、鳥のさえずり、なんか大きい機械の作動音、ミキサー、電車、遠くの工事音、ファックス(?)、蓄音機…。今電車の中で書いているけど、当時に比べたら静かな電車の走行音をバックに、目の前のおばちゃんが刃物を取り出して来ないとは限らないなという。僕は普段街中ではイヤホンをしている時が多いけどますます手放せなくなりそう。

 

間宮は人々の心の中にほんの少しある恐怖心や嫉妬心を増幅させアウトプットさせる術を手に入れたのだとと僕は思った。女医との診察のシーンは、その結果自分の心を失ってしまったことを示唆する会話の場面だったのかもしれない。

 

この映画は間宮(萩原聖人)そのものだ。この映画が増幅させるのは、僕らの日常に潜む小さい歪み。編集、演技、音楽、ライティングなどを駆使して僕らを世界の裏側の目撃者に仕立て上げる。ありふれたものをデフォルメして改めて見せてくれるのは映画の面白いところだと思う。それどころか現実がフィクションに侵食される感覚がある。それが上記のような錯覚に繋がっている。

 

その映画を観て良かったかどうか考えるときに「観る前とどこまで違う自分になっているか」という基準を僕は持っている。例えば最悪な登場人物がいる映画を観た後滅多にないぐらい憤ってたりとか。普段は考えもしないようなことを考えたりとか。間宮がこの映画だとしたら僕らは高部(役所広司)である。感じたことのない感覚を持った自分になっているというか。高部にとってその変化こそ他ならぬCURE(治療)だったのかもしれない。

 

今年観た旧作の中のみならず、今まで観てきた映画の中でも上位の見て欲しさ。積極的に誰にでもオススメできる作品ではないけど、ある程度以上の映画好きなら必見。特に邦画ダサい病にかかっちゃってる奴には観ておいて欲しいよ〜。