静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画120: 『ブラックパンサー』

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監督:ライアン・クーグラー

出演:チャドウィック・ボーズマンマイケル・B・ジョーダンルピタ・ニョンゴダナイ・グリラマーティン・フリーマンダニエル・カルーヤレティーシャ・ライト、ウィンストン・デューク、アンジェラ・バセットフォレスト・ウィテカーアンディ・サーキス、ジョン・カニスターリング・K・ブラウン 他

 

※おおすじネタバレしてます※

 

ご無沙汰でした。2ヶ月弱放置するとなにから書いていいかわからない

 

クリード』のライアン・クーグラーの続編がMCUの最新作って!!って!!とラン・ザ・ジュエルズの曲が使われたティーザー予告をリピートし続けていた。実際観てみると予想以上に単体の映画として完成度が高くて、何よりライアン・クーグラーの映画になっていて素晴らしかった。敢えて言うならアクションシーンの決め手に欠ける(1番の見せ場が2つある予告の両方で使われていたのも痛かった)かなあというぐらい。

 

父が子に故郷の歴史について語る冒頭のシーンは、1回目の鑑賞と2回目のそれでは趣きや響きの重さが全く異なることは観た人ならわかるだろうけど、それには2つ理由がある。1つは会話をしているのが今作のヴィランのエリック・キルモンガーとウンジョブであることがわかるから。ちなみに僕は初見時二人がマンションの部屋で再会するとこで気づきました。

 

そしてもう1つが、そのやりとりのシーンの最後が幼子のある一言によって締めくくられることにある。それはワカンダが自らの国の秘密や利益、平和を維持するために国外の問題に対して無干渉を決め込んできたことに対する「どうして?」という言葉。このあまりに純粋な疑問がこの作品を貫くテーマであり、その後の悲劇をきっかけに疑問は疑念に変わり、男は復讐に挑む。

 

バックボーンといい、監督の盟友であるマイケル・B・ジョーダン(実は同じMCUのファルコン役のオーディションに落ちた過去がある)というキャスティングといいドラマの主演だったし、MCU最高のヴィランの一人なのは間違いないと思う。貧民街で育った黒人が自分の出自に疑問を持ち行動するっていうのはクーグラー監督の過去作『フルートベール駅で』と『クリード』のハイブリッドみたいな設定だし、それが一国や地球規模にスケールアップしていくのがMCUならではだなあと不思議な感慨があった。

 

それに対して一応の主人公であるティ・チャラ陛下はいまいち弱い。実質の世襲制である王座もブラックパンサーとしての資格にも、「そういうもんだから」以上の動機が見えてこない。しかし尊敬する先代の王である父が犯した過ちを知り、再び対面した時彼は初めて感情を剥き出しにして怒る。そして父の過ちが生んだ悲しき怪物を退け、彼の意思をも継いだ若き王は、先代王が降りたつことのなかった、アメリカの貧民街の地面を踏む。終わる頃にはワカンダフォーエバーと叫びたくなっていた。

 

国連の前で自国の技術を提供することを宣言したことに突っ込まれてニヤニヤする陛下は観客と同じ気持ちを共有していて最高だし、「この宣言をした直後に宇宙を脅かすヤバいゴリラと地球を守るためワカンダで決戦を繰り広げるんだな…」というMCUならではの感慨に浸れるのも良い。

 

いや素晴らしかったです。2もクーグラー監督に続投して欲しいけど果たして…?