静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画078: 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

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監督:ケネス・ロナーガン

出演:ケイシー・アフレックミシェル・ウィリアムズカイル・チャンドラー、ルーカス・ヘッジズ、カーラ・ヘイワード、C・J・ウィルソン 他

 

 

僕にもその土地に結びついた記憶というのは存在します。先日浅草から上野まで歩いていたのですが、道中カッパ橋の入口の交差点に立った時、高校の時3ヶ月弱でフラれた彼女との唯の2回のデートの内の1回で来たことを思い出していたからです。上野のついでとは言えなんでカッパ橋なんか行ったんだ。ていうかそんなだからフラれたんじゃないか。

 

主人公のリーくんは生まれ故郷であるマンチェスターバイザシーから車で45分ほどのボストンでアパートの便利屋をやっています。兄の死をきっかけに里帰りし、甥っ子の面倒を見ることになりますが、ある理由から彼の後見人として故郷に定住することを躊躇います。

 

その理由こそが故郷の地に根付いたトラウマメモリー。暖炉の不手際から家は全焼、3つの小さな命も失ってしまう。あまりに悲しい。 その地の近くにいればいるほど頭から離れない悲劇の記憶。でも持病持ちの兄とまだ若い甥のことを考えるとそう遠くに行けないから、車で45分といういつでも駆けつけられるなるべく遠目の距離を保っている。

 

リーくんが過去のトラウマから逃れられない中、周囲の人たちは未来に向けて進んでいます。若い甥は勿論、不幸にしてしまった元嫁ですら。でも、例え彼女に許されても、最終的に折り合いをつけるのは自分自身です。そして、それを可能にしてくれるのは長い時間です。周りはどうあれ、場所がどこであれ、「今はまだ」後ろ髪引かれながら前に進むことすらできない。

 

だから物語内で吹っ切るような展開にはしなかったのだと思います。それは作り手がリーくんに「まあゆっくりやればいいよ」と言っているかのようで、話の中で無理に乗り越えさせないあたりに優しさを感じました。話のキャラクターというより一人の人間として扱っているというか。

 

全編にわたってそこはかとなく散りばめられているユーモアもそれを後押ししているように見えました。自分が小学生のとき、泣いている友達がいると周りがそれとなくおどけて笑いを取ろうとするような感じがあったんですけど、それを思い出すというか。救急車に元嫁乗せる時の台車の足が中々折れなくて上手く乗せらんないとか全然笑うシーンじゃないのに笑っちゃったし。笑ってはいけないマンチェスターバイザシー。

 

なんかの見出しで「小津安二郎に最も近いアメリカ映画」みたいのを見て割と納得しました。過去に色々ありつつも劇中の「今」起こっていることを客観的に見つめて切り取っている感じというか。ただこの作品は記憶のフラッシュバックを編集で挿入してるとこが小津と決定的に違うところであり、同時にこの作品の味わいをググッと増している要因であると思います。

 

ラストシーンのアングルがさ、お兄さんの目線になってるのがいいよね……。