静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画082: 『LOGAN ローガン』

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監督:ジェームズ・マンゴールド

出演:ヒュー・ジャックマンパトリック・スチュワート、ボイド・フルブルック、スティーブン・マーチャント、ダフネ・キーン、リチャード・E・グラント 他

 

※内容に触れてるので観てない方はあれしてください※

 

X-MENはなぜか『フューチャー&パスト』の公開前に「X-MEN世界内の時系列順に見て予習したろ!」って『ファーストジェネレーション』から意気揚々と身始めて『ウルヴァリン』で脚を挫かれて無印で無事リタイアしたレベルの弱者です。F&Pは面白かったです。

 

グラン・トリノ』みたいとよく言われてるのはとってもわかるし僕も思ったけど、それ以上に直近の『クリード チャンプを継ぐ男』に構図がそっくりだと感じた。言わずと知れたシリーズの主人公が老いて周りの人もいなくなった後、新しい世代の主人公に託す立場になっていくっていう。新世代が「過ち」と言われてるところや「共闘」するとこもなんかダブる。

 

そんなのもあって徹頭徹尾新鮮さはおろか面白さ、気持ち良さも感じない。歴戦のヒーローの衰えや世界、人心の荒廃だけが重苦しくのしかかってくる。ローガンから見えている世界の感じもこんな風かもしれない。

 

約200年の生涯で数えきれない仲間の死に立ち会ってきた重みを肩に背負ったくたびれ感がたまらない。車泥棒する若者に四苦八苦したりリムジンパーティーするビッチに苦笑いしたりするその人の佇まいから希望とかそういう類のものは感じられない。自分もかつての師も老い、残すは死あるのみ。ミュータントがいなければ戦う相手もいない。そんな折新たに実験で生み出されたミュータントの少女ローラが現れる。

 

彼女はコミックに希望を見出し、映画に影響を受けて成長していく。そのコミックとはウルヴァリンもその一員だったX-MENをモチーフにしたも。言ってみれば彼女はウルヴァリンを応援してきた現実の世界の僕らと同じ立場。でもウルヴァリンは「現実では人が死ぬしこんなに甘くないしエデンなんか実際ないよ」とバッサリ切り捨てる。

 

だからこそローラがゴネることをきっかけにして二人三脚でエデンに向かった先で、ウルヴァリンがローラに「こういう感覚なのか」と彼女たちを守って果てるということに感動があったのかもしれない。

 

ラスト付近のやりとり、そしてラストカットからはヒュー・ジャックマンが演じたウルヴァリンに対するリスペクトを感じる一方で、彼からファンへのお礼を言ってくれているように感じた。お疲れ様でした。

 

新作映画081: 『武曲 MUKOKU』

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監督:熊切和嘉

出演:綾野剛村上虹郎片岡礼子、神野三鈴、康すおん、前田敦子風吹ジュン小林薫柄本明

 

 

話としては「男二人が戦う」のみなので、とにかく画と役者の身体性でガンガン引っ張っていくようなところが新鮮だった。その二点においては文句無い。

 

まず画面の話。

ビジュアルと予告編の時点でキマっててかなり期待していた。監督熊切和嘉×撮影近藤龍人であればなおさら。

 

その二人がタッグを組んだ作品は、その場の空気感が劇場(或いは観てる場所)にまで侵食してくるような生々しさを帯びているイメージが強い。そこは期待通りの手腕が遺憾無く発揮されていた。あと村上虹郎が海辺で素振りしてるカットとか、時々ハッとするような画が入ってくる編集のメリハリというのかな。そういうのも良かった。

 

役者の話。

映画の話する時にもっともらしい言葉を使ってわかった感じになるのが嫌で、「身体性」とかいうのもその一つなんだけど、今回はそう言わざるを得ない程綾野剛村上虹郎が躍動しまくっていた。

 

村上虹郎演じる融が初めて竹刀を握るシーン、ワンアクションで剣道部員を倒すのがすんげーかっこいい。村上虹郎は全体的に圧倒的な主人公オーラがあって素晴らしかった。最早漫画のよう。遠く見ちゃってる感じの目とかもピッタリハマっていた。

 

綾野剛演じる研吾もほぼトゥーマッチなキャラと言っていいレベルだったけど、村上虹郎の圧倒的主人公力(言いたいだけ)と釣り合わせるにはあれぐらいでよかった…のかもしれない。そんな演技はともかくとしても、アクションと肉体はメチャクチャ仕上がっている。剣道部員多数に対して大立ち回りするアクションからは彼の役が抱え込んでる罪悪感とか投げやりな感じがバチバチ感じられて素晴らしかった。

 

柄本明村上虹郎を剣道の道にリクルートしたり、その観念的なところや綾野剛の境遇を説明する役割に収まっていてキャラとしては物足りない。でもやっぱり佇まいや表情に抜群の説得力があってて流石だなと感じる。

 

僕は武道というものにてんで縁がないし何も知らないのだけど、この作品から「試合相手に自分の弱さを切ってもらう」という考え方を学んだ。勝負の勝ち負けも大事だけど、その過程で切られた箇所に自分の弱さを見出し、その後の精進に活かすという考え方。

 

それが綾野剛演じる研吾の過去のトラウマを払拭し、過去にしか向けられなかった目線を未来に向けさせるというのは良いなと思う。ちゃんと剣道を題材にしてる意義がある。

 

例えば実際に剣道場に行って剣道を見て、その場でその考えを教わっても「ふーん。そうなのか。」としか思えないんだろうけど、こうやって物語の形で見せられるとスッと腑に落ちる感じがする。

 

まあただその払拭の過程の回想がちょっと甘々に見えてしまってノリきれなかったりもしたんだけど。ちょっと惜しさも目立つ感じではあった。画面とアクションを堪能しよう。

新作映画080: 『22年目の告白 私が殺人犯です』 1回目/ネタバレ無編

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監督: 入江悠

出演:藤原竜也伊藤英明仲村トオル夏帆竜星涼早乙女太一野村周平石橋杏奈岩松了平田満宇野祥平黒田大輔、川瀬陽太、板橋駿谷、岩城滉一

 

 

普段本作の入江悠監督主宰のメルマガ(僕らのモテるための映画聖典メルマガ)を購読している故あって、ネタバレなしの感想を先に書きたい。いや、それ以上にいち早くオススメしたい気持ちが強い作品なのも間違いない。

リメイク元の『殺人の告白』含め、何も知らずに観た方が絶妙面白いので行く気がある人はこれすら読まない方がいいかも。

 

現時点で上半期ベスト級によかった。どうよかったかと言えば、とにかく真っ当に面白かったというところに尽きる。特に中盤以降の加速の仕方が気持ちいい。

 

 「22年前に起き、現在では時効を迎えた連続殺人事件の犯人が世に姿を現わす」というあらすじを初めて聞いた時は「え、そんなんする必要ないっしょ……」と思ったものだけど、蓋を開けてみると、そこに限らず人物の行動の納得度が非常に高い。加えて1度観てからもう一度観れば、行動の裏にあるその人の心理も浮き彫りになってくる。監督本人も自信があると言ってるところだけど、まず脚本がすごくイイんだと思う。

 

撮影、音楽、編集もハッとするような使われ方をしていたりして、作品を高いレベルに押し上げているように感じた。特に音楽はそれ自体も使い方もかなり独特で、この意図や作用についてはネタバレ記事で考えてみたい。とても印象的な部分。

 

演技の質が高いのはまあこのメンツならねという感じだけど、その抑制の仕方が絶妙だと感じた。この手の題材だったらまだまだ湿っぽい感じ、涙腺に訴える感じにもできたと思うけど、あくまでドライに作劇を追求する姿勢がカッコいい。特に藤原竜也はこの手の役をやる時のパブリックイメージが大方固定されてるのを出し抜くような演技をしていて僕も驚いた。そこも作劇に寄与しているあたり計算されているんだなと感心する。キャスティングもハマっている。夏帆よかった。

 

取り急ぎのレコメン記事。入江監督は日本のメジャー映画界に蔓延する閉塞感のようなものを打破してくれそうな監督の一人だと確信できた。

 

P.S 僕は小さく出てました。

 

 

 

新作映画079: 『美しい星』

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監督:吉田大八

出演:リリー・フランキー亀梨和也橋本愛中嶋朋子佐々木蔵之介若葉竜也、藤原季節、板橋駿谷、樋井明日香

 

 

 ※内容に触れているので覚醒してから読んでください※

 

 

「わからないとつまらないは違う」というのは映画監督入江悠の言である。

(6/10から氏の新作『22年目の告白』公開!筆者も出演。多分。)

思えば映画を「意味わかんなかった」で切り捨てるには惜しいメディアであると思うようになったのも、この言葉を聞いてからかもしれない。このブログを始めたのもそういう気持ちが高まったからだった。

 

この映画を観ている時程この言葉を思い出した時はないんじゃないかとすら思う。物語で起こることに徹頭徹尾説明がないのはいい。問題は「何を伝えようとしてこの映画を作っているのか」がわからないということだ。普段からどの作品を観てもわかっていないつもりだったけど、この映画に比べたら数段マシなんじゃないかと思える。

 

だからこそなのか、スポットで「めっちゃわかる」と思える箇所があった。リリー・フランキー亀梨和也佐々木蔵之介がニュースのスタジオで銘々の意見をぶつけ合うシーン。僕はこの場面の佐々木蔵之介の意見に死ぬほど同意してしまった。俺の脳内を読んで脚本に写したのかってレベル。

 

要約すると「自然の一部でしかない人間が環境破壊だなんだと騒ぐのは傲慢。人間も地球温暖化もサイクルの一部でしかない。」という感じ。僕の場合はシーシェパードとかあの辺が目立つようになったあたりから「人間が他の動物の保護をする」という行動にすごく違和感を感じて、理由を考えた結果こういう結論に達した。確か。

(理屈としてそう思うだけで、僕個人が捨て犬を殺処分していいとか思ってるわけではない。矛盾。)

 

それに対して僕らの味方リリーさんは「太陽系連合が人類抹殺を許可するはずがない」と反論、その証拠としてUFOを探しに家族で山登り、無駄に神々しい牛さんのお世話になりながら登頂、無事UFOを発見したリリーさん一家、と思ったらUFOにはリリーさんが乗っていて、地上にいるリリーさん一家を見下ろしているのだった。完。

 

わかるかいこんなもん。

 

でも書いてて思った、天然自然の一部たる牛さんが人類抹殺の可否を問う審判の場所に人間(精神は他星人)を連れて行く手助けをするというのは示唆的だ。つまり自然もジャッジを委ねこの地球を巡る人間と自然の因果に白黒つけたいと思ってるのかもしれないということ。

 

だって牛だよ?借りるのも連れて来るのもめちゃくちゃ手間かかるはずなのに、わざわざ連れてきて撮影してるってことは何か重要なメッセージがあるはずなんだよな。でもわかんない。でもつまんないわけじゃないの。

 

総じて観てる時はポカン(´⊙ω⊙`)だったけど、後から考える分には面白い不思議。金星人のミスコンとかぶん投げてるけどあれは橋本愛の美しさとそれを存分に引き出した撮影&照明で納得するしかない。終わり!

 

新作映画078: 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

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監督:ケネス・ロナーガン

出演:ケイシー・アフレックミシェル・ウィリアムズカイル・チャンドラー、ルーカス・ヘッジズ、カーラ・ヘイワード、C・J・ウィルソン 他

 

 

僕にもその土地に結びついた記憶というのは存在します。先日浅草から上野まで歩いていたのですが、道中カッパ橋の入口の交差点に立った時、高校の時3ヶ月弱でフラれた彼女との唯の2回のデートの内の1回で来たことを思い出していたからです。上野のついでとは言えなんでカッパ橋なんか行ったんだ。ていうかそんなだからフラれたんじゃないか。

 

主人公のリーくんは生まれ故郷であるマンチェスターバイザシーから車で45分ほどのボストンでアパートの便利屋をやっています。兄の死をきっかけに里帰りし、甥っ子の面倒を見ることになりますが、ある理由から彼の後見人として故郷に定住することを躊躇います。

 

その理由こそが故郷の地に根付いたトラウマメモリー。暖炉の不手際から家は全焼、3つの小さな命も失ってしまう。あまりに悲しい。 その地の近くにいればいるほど頭から離れない悲劇の記憶。でも持病持ちの兄とまだ若い甥のことを考えるとそう遠くに行けないから、車で45分といういつでも駆けつけられるなるべく遠目の距離を保っている。

 

リーくんが過去のトラウマから逃れられない中、周囲の人たちは未来に向けて進んでいます。若い甥は勿論、不幸にしてしまった元嫁ですら。でも、例え彼女に許されても、最終的に折り合いをつけるのは自分自身です。そして、それを可能にしてくれるのは長い時間です。周りはどうあれ、場所がどこであれ、「今はまだ」後ろ髪引かれながら前に進むことすらできない。

 

だから物語内で吹っ切るような展開にはしなかったのだと思います。それは作り手がリーくんに「まあゆっくりやればいいよ」と言っているかのようで、話の中で無理に乗り越えさせないあたりに優しさを感じました。話のキャラクターというより一人の人間として扱っているというか。

 

全編にわたってそこはかとなく散りばめられているユーモアもそれを後押ししているように見えました。自分が小学生のとき、泣いている友達がいると周りがそれとなくおどけて笑いを取ろうとするような感じがあったんですけど、それを思い出すというか。救急車に元嫁乗せる時の台車の足が中々折れなくて上手く乗せらんないとか全然笑うシーンじゃないのに笑っちゃったし。笑ってはいけないマンチェスターバイザシー。

 

なんかの見出しで「小津安二郎に最も近いアメリカ映画」みたいのを見て割と納得しました。過去に色々ありつつも劇中の「今」起こっていることを客観的に見つめて切り取っている感じというか。ただこの作品は記憶のフラッシュバックを編集で挿入してるとこが小津と決定的に違うところであり、同時にこの作品の味わいをググッと増している要因であると思います。

 

ラストシーンのアングルがさ、お兄さんの目線になってるのがいいよね……。

 

 

 

新作映画077: 『メッセージ』

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監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

出演:エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー、マイケル・スタールバーグ、マーク・オブライエン、ツィ・マー 他

 

 

※内容に触れてるので未見の方はやめましょう※

 

 

真・女神転生 STRANGE JOURNEY』というニンテンドーDS(上と下に画面が二つある携帯ゲーム機)のゲームがありました。ダンジョンRPGと呼ばれるジャンルのソフトで、敵の襲撃を退けながら未開のダンジョンを探索し、踏破を繰り返して行くのが基本の流れです。

 

上画面にはプレイヤーの主観視点でダンジョンが描かれており、マスで区切られたマップを冒険します。下画面には一度歩いたマスが自動的にマッピングされます。つまり、一度歩いたマスの部分は下画面の地図に表示され、主観で目の前しか見られなかったダンジョンを俯瞰視点で見下ろすことができるようになるわけです。

 

僕ら地球人類のものの見方が上画面のものだとするならば、エイミーがヘプタポッド達の言語を学ぶことで得た「現在過去未来を並列的に俯瞰して観ることができる」という思考法は下画面。それまで主観で一歩一歩歩くことで認識していた先の「未来」とそこから振り返ることで見えていた「過去」が、まさに視点を変えて真上から俯瞰できるようになってしまった。加えて「ここでは何が起こる」「どんな物に出くわす」ということまでわかってしまう。

 

いや、もっと言えば「ゲームをやる前にゲーム発売1ヶ月後とかに出る完全攻略本が完全に頭の中に入ってしまってる状態」みたいな感じなのかな。僕だったら多分プレイしません。それはただただなぞるだけの作業になってしまうからです。

 

ただ、これが実人生となれば話は別です。

 

地球人類が実感を持って過ごしている人生は、どんなに先がわかっていても決して作業にはなり得ません。まあこれは全く私見ですけど。

 

更に言うなら、人は生きる上で絶対に他者に何らか影響を及ぼしているはずです。僕はその究極が「他の命を生み出すこと」だと思います。

 

だから、この映画の(起こっている出来事に対してあまりにミニマルな)クライマックスには不思議な感動がありました。自分に起こることの全てが見通せて、夫も娘も失うことがわかっていても尚、その道を辿る事を決めた彼女の心境には、最早愛以外の何物もなかった、ように見えました。

 

 

そこに至るまでの過程も興味深かった。

僕の中では異星の生物とのファーストコンタクトものと言えば『劇場版機動戦士ガンダム00 A wakening of the Trailblazer』。最終的に宇宙から来た金属生命体と主人公は相互理解を果たすという点では『メッセージ』に近いんだけど、大きな違いは2つあって、それは

 

①言語を媒介とした相互理解ではない

(金属生命体は言語を持たず、対象と同化する事でコミュニケーションをとる)

②コンタクト〜終盤までは戦っている

(上記の性質を敵対行動と誤解した&自衛のため軍が攻撃を仕掛ける)

 

というところ。

 

異星の言葉を1から勘案したスタッフたちの創意工夫、イマジネーションには頭が下がる。彼らの出すサインを地球言語と擦り合わせて解読しいく様が面白いし、コミュニケーションを通してわかり合う喜びに満ちていた(そんなことを感じる余裕はなさそうだったけど)。僕がイタリアに行った時拙い英語でこっちの意図が通じた時のことを思い出す。だから僕モテの入江悠監督が書いてたけど、ここを描くことがまず新鮮。『第9地区』だって大好きな作品だけどそこはすっ飛ばしていた。

 

更にその言語自体がこっちの視覚に訴えてくるのもユニーク。文字の出方はイカが自衛のために水中で吐く墨を参考にしているらしい。言葉を武器と捉える彼らに相応しいモチーフだと思う。

 

一方通行で読むことを前提にした文字を使ってる僕らは「過去→現在→未来」と同じく一方通行的に時間を捉える。対して、円環構造の言語を使う彼らの思考法ではそれらを一体のものとして参照できるというのは説得力があるように見える。特にSF映画は画面の「それっぽさ」が大事だと思うので。

 

正直パーソナルな部分に刺さったとか、今年ベストとか、そこまでは行かなかったんですけど、やっぱり上質な作品には刺激される部分が多いんだなと感じました。注目作且つこちらが能動的に汲み取る部分が多い作品なので、他作以上に評論や感想を読んだんですが、観た人たちの熱量の高さと知見の深さに慄きました。そういうの込みで、というか観てる時よりアフターの方が面白かったかも。でも優れた映画ってそういうとこあると思うんですよね。

 

その中でも特にいいなあと思った感想をレコメンして終わります。

・映画Podcast - 無人島キネマ (ウシダトモユキさん)

http://ussii.net/cinema/2017/05/26/【航48『メッセージ』】/

・放談主義  (けんす。さん)

http://roomamole.blog107.fc2.com/blog-entry-739.html

 

新作映画076: 『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』

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監督:石井裕也

出演:池松壮亮石橋静河松田龍平市川実日子田中哲司佐藤玲三浦貴大、ポール・マグサリン

 

 

僕らは映画の中で起こることを神の視点から客観的に見下ろすことができますが、その登場人物たちはそうはいきません。僕らの不安や心配をよそに、目の前のことに反応し行動するのみです。大体は。

 

現実では僕らも同じです。僕らはこの世界(→星→国→街)に生きていて、五感で感じ取れる範囲でしか物事を知覚できません。壁一枚隔てた向こうの出来事や、5分後に起こる事を見たりすることは(基本)不可能です。

 

世界(→星→国→街)には数多の人や生き物がいて、ものがあります。ここにも度々書いてる気がしますけど、自分が「知らない」ものは、自分にとって「ない」ことに等しい。

 

僕らは映画の観客って立場に立てば、世界の見えざる部分を見ることができます。例えば、マンションの隣室の様子とか、こないだ道端にいた子犬のその後とか。

 

この映画の登場人物たちはそんなことを知らずに楽しんだり笑ったりしています。僕らはそれと同時に別の場所で起こっている悲しいことを見てなんとも言えない気分になります。逆もまた然りです。

 

でも多分この世界(→星→国→街)、或いは社会で生きるというのはそういことなのです。自分の幸せの絶頂の時には誰かの生命が絶たれるし、自分が人生のどん底で本当死ぬかと思っていると、1分後に思わぬ幸せが舞い込んできたりする。それは誰にもわからない。だからこそとにかく五感で感じられる範囲の幸せにひたむきになるしかない。

 

で、そんなことを分かち合える人がいればこそ人生はもっといい。朝おはようと言える人がいるということは、一緒に朝を迎えられる人がいるということですからね。この映画ではそれがたまたま恋愛という形に昇華していました。その過程もまた愛おしくなるようなものでしたが、恋愛だけが形ではないと思います。

 

(つくづく当たり前のことしか書いてませんが、当たり前のことを改めて心から実感できる機会というのは貴重な気がします。)

 

それを体現していたのが田中哲司さん演じる岩下さんですね。まー彼が本当によかった。細かいこと抜きにしてもとにかく生きてなきゃダメですね。本当に。

 

あとこの映画、主人公と岩下さん含む4人が工事現場で働いていていつもつるんでる(『オーバー・フェンス』を思い出した。)んですが、その4人が現場で働く様がさながら戦争映画のようでした。一人があんなことになるのも含めて。なんか切り取り方とか見せ方、つまり演出で工事現場がこんな風に見えるんだなと感心しました。

 

公式サイトに乗ってる村上虹郎くんの応援メッセージがよかったので引用して締めます。

「カラオケは好きじゃないけど、この映画のカラオケのシーンは大好きです。

死ぬまで生きるさ。いただきました。」