静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画083:『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』

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監督:ガブリエーレ・マイネッティ

出演:クラウディオ・サンタマリア、ルカ・マリネッリ、イレニア・パストレッリ、ステファノ・アンブロジ 他

 

 

以前書いた『LOGAN ローガン』は「現実の世界に絶望した歴戦の主人公と、その戦いを戯画化したコミックに希望を見出した下の世代(≒僕ら観客)」の話だった。続けて観たこの映画も、少女がヒロインに変わってるけど、奇しくも似た構図を持っていた。ちなみに3週間間を空けて2回目も行ってしまった。

 

主人公のエンツォはイタリアはローマの郊外でくすぶるチンピラで、あるきっかけで鋼鉄の身体を手に入れる。この覚醒の仕方やそれに気付くシチュエーションのキマらなさがこの映画の土着感というか、垢抜けなさを象徴している。その力の使い方もめっちゃ頭悪い。一般ピープルがスゴい力を手に入れてまずはしょーもないことに使う映画といえば『クロニクル』だけど、あれのスカートめくりに比肩するレベル。手に入れた金もヨーグルト食べながらAV見る趣味に費やすのみ。酷い。

 

そんな彼が世話になっていたオジキ(?)がトラブって死んだ挙句、鋼鉄ジーグ(1975年の日本のスーパーロボットアニメ)の世界に没頭して頭しっちゃかめっちゃかなその娘の面倒も見ることになる。一人暮らしの男ところにおっぱい放り出した若い娘が転がり込んできてもー大変。

 

彼女が心に傷を負っていることを知ったエンツォ、初めて他人のためにスーパーパワーを使うささやか(?)なシーンにまずグッときた。なんと優しいことか。

 

と思ったら彼女に対してあり得ないレベルのSOSOU、粗相をブチかますエンツォおじさん。きっかけが与えられたにしてもヒドすぎるし、その後の賢者タイムぶりもヤバい。わかるけど我慢して手は繋いで会話しろ。

 

直後、自分の愚かさ(と賢者タイムの終わり)に気付いた彼の豪快な力の使い方も、愛着の湧かないキャラクターだったら「バカかよ」と一蹴するところだけど、どうにも憎めない。愛すべきダメぶりがこの時点でマックスに。

 

そんな彼、実は旧知の仲間を失い、さびれた街中で犯罪行為に堕ちているというバックボーンが語られる。そんな男がスーパーパワーを手に入れて、最初は卑小な私利私欲に用いていたけど、一人の女の心の傷に触れ、他人のために自分の力を使うことを知る。そのことが赤の他人の命の危機に手を伸ばすヒーローの誕生を呼び起こす。それらの過程が一つ一つ熱と優しさをもって描かれている。登場人物も少なくシンプルでベタなヒーロー誕生誕だけど、 ヒーローモノへのリスペクトと王道を貫く情熱にやられた。もうラストシーンが激熱すぎて。あんなのアガるに決まってる。

 

この作品のヴィラン(悪役)であるジンガロについて。彼もまた個人的な願望を叶えるために力を使っていた。そのあまりに人間的な欲求(これも『クロニクル』に通じるところがある)を他者を傷つけることで実現させようとしてしまった。歪んだ形で過去の栄光を取り戻そうとする彼の姿が悲しい。彼も周りの人の導き次第でジーグになれたかもしれないと思うと尚更切ない。あと、この人もまた曲がった形でフィクションの影響を受けてるのが面白い。

 

あと個人的に丁度こないだイタリアに行ったので、軽く懐かしさを覚えた。冒頭のあの川、サン・ピエトロ大聖堂からスペイン広場に歩いてったときに通った(写真とっとけばよかった)。イタリアって実際郊外はめちゃ汚いし壁があれば落書きって感じだったし、華やかなイメージを持たれがちなあの国のそういうところが切り取られてるのも何か嬉しかった。

 

丁度アップした日が東京での上映最終日ということでタイミングがアレだけど、これから地方でやるとこもあるので是非。非常にオススメです。

新作映画80.5:『22年目の告白 私が殺人犯です』 2回目/ネタバレ有編

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監督: 入江悠

出演:藤原竜也伊藤英明仲村トオル夏帆竜星涼早乙女太一野村周平石橋杏奈岩松了平田満宇野祥平黒田大輔、川瀬陽太、板橋駿谷、岩城滉一

 

 

※26日目のネタバレ 私がブログサボリ魔です ※

(ネタバレするので観てない人は今すぐ観にいって!)

ネタバレなしの感想はこち

http://qml.hatenablog.com/entry/2017/06/12/130018

 

 

 

結局計3回映画館で観てしまった。わかっちゃいたけど2回目は冒頭から全てが違って見えた。

 

特に藤原竜也演じる曽根崎と伊藤英明演じる牧村の表情。

僕がエキストラで参加した出版記念サイン会のイベント、僕は最前列の向かって一番左で記者の役をやっていた。その時から曽根崎が登壇し群衆に向かって手を挙げた時の若干戸惑いがまじったような表情が気になっていたのだけど、あれはもしかしたら「多少カリスマ性を持った殺人犯に踊らされる世間のうかつさを初めて生で目の当たりにした時の困惑や残念さが滲んだ表情」だったのかもしれないとか。牧村刑事が本屋のバックヤードで夏帆と話すシーン、父のことについて3ページしか触れてないことに激怒する夏帆を見るときの表情は、自分が書いたからこその申し訳なさに由来するものだったのかとか。加えるなら3ページしか書かなかったのは辛くて書けなかったのかもしれないとか。

 

元になったチョン・ビョンギル監督の『殺人の告白』も観てみた。TSUTAYA行ってサスペンス/ミステリーの棚になくて、諦めてアクションの棚流し見してたらあってびっくり。いざ観てみると本当に(結構荒唐無稽な)アクション映画だった。恋人を殺された若者が顔を変えて捜査情報を知る刑事と組み暴露本を出版、連続殺人の真犯人をおびき出すという骨子は全く同じ。だが被害者遺族が5人程で組んで全力で曽根崎(日本名)の命を狙いに来たり拉致したりするところが違う。夏帆がボウガンで曽根崎の肩をブチ抜いたりする。

 

恐らく日本でやったらギャグだろう。だからリメイク元ではアクションに費やしていた尺をこの日本版では「犯人の動機」を描くことに充てていた(リメイク元ではほぼ描かれてない)。

 

仙堂がフリーの戦場ジャーナリストだった頃に目の前で見たトラウマを他の人間で再現することで、自分以外に同じ境遇の人がこの世にいるという事実を作り出して精神の安定を図っていたというのがそれ。まずプロデューサーからキャスターが真犯人というアイデアが出たそうだけど、そんな立場の人が連続殺人を犯す動機が納得できる(前も書いたけどパンフの犯罪心理監修の人の文章がいい)。「なぜやったのか」というのは「俺はこうこうこういうことがあってこういう思いだったんだ〜ッ」とお涙頂戴的に利用されがちだけど、そこはあくまでドライに徹している。尚且つ最後にキッチリ罰は与えるところが好き。それにしても仲村トオルの独白はゾッとする。「闇が深い」という形容がピッタリくる。

 

余談だけどたまたま映画秘宝のオールタイムベスト10をパラパラ読んでいたら入江監督がベストに『フォックスキャッチャー』を入れていた。アメリカの御曹司がレスリングの金メダリストを殺害した実話をベースにした映画。脚本段階で影響を受けたのか、作ってる時ににたまたまタイムリーなタイミングで出会ったのかわからないけど、恐らく何かしら関係あると思う。僕個人も生涯ベスト級に好きな作品なので、22年目の告白の犯人像に惹かれた人には是非オススメしたい。

 

とにかくリメイク元の一番面白い部分を抜き出した上での日本独自の肉付けと補強が上手くいっているんじゃないかなあと思う。正直そこまで期待してたわけじゃなかったので驚くぐらい面白かった。リメイク元観ないで行ったってのもあるけど。大ヒットもしてめでたい。監督の次回作『ビジランテ』(12月公開)にも期待(ただこっちはエンタメ!って感じじゃなさそうだけど)。 

 

新作映画082: 『LOGAN ローガン』

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監督:ジェームズ・マンゴールド

出演:ヒュー・ジャックマンパトリック・スチュワート、ボイド・フルブルック、スティーブン・マーチャント、ダフネ・キーン、リチャード・E・グラント 他

 

※内容に触れてるので観てない方はあれしてください※

 

X-MENはなぜか『フューチャー&パスト』の公開前に「X-MEN世界内の時系列順に見て予習したろ!」って『ファーストジェネレーション』から意気揚々と身始めて『ウルヴァリン』で脚を挫かれて無印で無事リタイアしたレベルの弱者です。F&Pは面白かったです。

 

グラン・トリノ』みたいとよく言われてるのはとってもわかるし僕も思ったけど、それ以上に直近の『クリード チャンプを継ぐ男』に構図がそっくりだと感じた。言わずと知れたシリーズの主人公が老いて周りの人もいなくなった後、新しい世代の主人公に託す立場になっていくっていう。新世代が「過ち」と言われてるところや「共闘」するとこもなんかダブる。

 

そんなのもあって徹頭徹尾新鮮さはおろか面白さ、気持ち良さも感じない。歴戦のヒーローの衰えや世界、人心の荒廃だけが重苦しくのしかかってくる。ローガンから見えている世界の感じもこんな風かもしれない。

 

約200年の生涯で数えきれない仲間の死に立ち会ってきた重みを肩に背負ったくたびれ感がたまらない。車泥棒する若者に四苦八苦したりリムジンパーティーするビッチに苦笑いしたりするその人の佇まいから希望とかそういう類のものは感じられない。自分もかつての師も老い、残すは死あるのみ。ミュータントがいなければ戦う相手もいない。そんな折新たに実験で生み出されたミュータントの少女ローラが現れる。

 

彼女はコミックに希望を見出し、映画に影響を受けて成長していく。そのコミックとはウルヴァリンもその一員だったX-MENをモチーフにしたも。言ってみれば彼女はウルヴァリンを応援してきた現実の世界の僕らと同じ立場。でもウルヴァリンは「現実では人が死ぬしこんなに甘くないしエデンなんか実際ないよ」とバッサリ切り捨てる。

 

だからこそローラがゴネることをきっかけにして二人三脚でエデンに向かった先で、ウルヴァリンがローラに「こういう感覚なのか」と彼女たちを守って果てるということに感動があったのかもしれない。

 

ラスト付近のやりとり、そしてラストカットからはヒュー・ジャックマンが演じたウルヴァリンに対するリスペクトを感じる一方で、彼からファンへのお礼を言ってくれているように感じた。お疲れ様でした。

 

新作映画081: 『武曲 MUKOKU』

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監督:熊切和嘉

出演:綾野剛村上虹郎片岡礼子、神野三鈴、康すおん、前田敦子風吹ジュン小林薫柄本明

 

 

話としては「男二人が戦う」のみなので、とにかく画と役者の身体性でガンガン引っ張っていくようなところが新鮮だった。その二点においては文句無い。

 

まず画面の話。

ビジュアルと予告編の時点でキマっててかなり期待していた。監督熊切和嘉×撮影近藤龍人であればなおさら。

 

その二人がタッグを組んだ作品は、その場の空気感が劇場(或いは観てる場所)にまで侵食してくるような生々しさを帯びているイメージが強い。そこは期待通りの手腕が遺憾無く発揮されていた。あと村上虹郎が海辺で素振りしてるカットとか、時々ハッとするような画が入ってくる編集のメリハリというのかな。そういうのも良かった。

 

役者の話。

映画の話する時にもっともらしい言葉を使ってわかった感じになるのが嫌で、「身体性」とかいうのもその一つなんだけど、今回はそう言わざるを得ない程綾野剛村上虹郎が躍動しまくっていた。

 

村上虹郎演じる融が初めて竹刀を握るシーン、ワンアクションで剣道部員を倒すのがすんげーかっこいい。村上虹郎は全体的に圧倒的な主人公オーラがあって素晴らしかった。最早漫画のよう。遠く見ちゃってる感じの目とかもピッタリハマっていた。

 

綾野剛演じる研吾もほぼトゥーマッチなキャラと言っていいレベルだったけど、村上虹郎の圧倒的主人公力(言いたいだけ)と釣り合わせるにはあれぐらいでよかった…のかもしれない。そんな演技はともかくとしても、アクションと肉体はメチャクチャ仕上がっている。剣道部員多数に対して大立ち回りするアクションからは彼の役が抱え込んでる罪悪感とか投げやりな感じがバチバチ感じられて素晴らしかった。

 

柄本明村上虹郎を剣道の道にリクルートしたり、その観念的なところや綾野剛の境遇を説明する役割に収まっていてキャラとしては物足りない。でもやっぱり佇まいや表情に抜群の説得力があってて流石だなと感じる。

 

僕は武道というものにてんで縁がないし何も知らないのだけど、この作品から「試合相手に自分の弱さを切ってもらう」という考え方を学んだ。勝負の勝ち負けも大事だけど、その過程で切られた箇所に自分の弱さを見出し、その後の精進に活かすという考え方。

 

それが綾野剛演じる研吾の過去のトラウマを払拭し、過去にしか向けられなかった目線を未来に向けさせるというのは良いなと思う。ちゃんと剣道を題材にしてる意義がある。

 

例えば実際に剣道場に行って剣道を見て、その場でその考えを教わっても「ふーん。そうなのか。」としか思えないんだろうけど、こうやって物語の形で見せられるとスッと腑に落ちる感じがする。

 

まあただその払拭の過程の回想がちょっと甘々に見えてしまってノリきれなかったりもしたんだけど。ちょっと惜しさも目立つ感じではあった。画面とアクションを堪能しよう。

新作映画080: 『22年目の告白 私が殺人犯です』 1回目/ネタバレ無編

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監督: 入江悠

出演:藤原竜也伊藤英明仲村トオル夏帆竜星涼早乙女太一野村周平石橋杏奈岩松了平田満宇野祥平黒田大輔、川瀬陽太、板橋駿谷、岩城滉一

 

 

普段本作の入江悠監督主宰のメルマガ(僕らのモテるための映画聖典メルマガ)を購読している故あって、ネタバレなしの感想を先に書きたい。いや、それ以上にいち早くオススメしたい気持ちが強い作品なのも間違いない。

リメイク元の『殺人の告白』含め、何も知らずに観た方が絶妙面白いので行く気がある人はこれすら読まない方がいいかも。

 

現時点で上半期ベスト級によかった。どうよかったかと言えば、とにかく真っ当に面白かったというところに尽きる。特に中盤以降の加速の仕方が気持ちいい。

 

 「22年前に起き、現在では時効を迎えた連続殺人事件の犯人が世に姿を現わす」というあらすじを初めて聞いた時は「え、そんなんする必要ないっしょ……」と思ったものだけど、蓋を開けてみると、そこに限らず人物の行動の納得度が非常に高い。加えて1度観てからもう一度観れば、行動の裏にあるその人の心理も浮き彫りになってくる。監督本人も自信があると言ってるところだけど、まず脚本がすごくイイんだと思う。

 

撮影、音楽、編集もハッとするような使われ方をしていたりして、作品を高いレベルに押し上げているように感じた。特に音楽はそれ自体も使い方もかなり独特で、この意図や作用についてはネタバレ記事で考えてみたい。とても印象的な部分。

 

演技の質が高いのはまあこのメンツならねという感じだけど、その抑制の仕方が絶妙だと感じた。この手の題材だったらまだまだ湿っぽい感じ、涙腺に訴える感じにもできたと思うけど、あくまでドライに作劇を追求する姿勢がカッコいい。特に藤原竜也はこの手の役をやる時のパブリックイメージが大方固定されてるのを出し抜くような演技をしていて僕も驚いた。そこも作劇に寄与しているあたり計算されているんだなと感心する。キャスティングもハマっている。夏帆よかった。

 

取り急ぎのレコメン記事。入江監督は日本のメジャー映画界に蔓延する閉塞感のようなものを打破してくれそうな監督の一人だと確信できた。

 

P.S 僕は小さく出てました。

 

 

 

新作映画079: 『美しい星』

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監督:吉田大八

出演:リリー・フランキー亀梨和也橋本愛中嶋朋子佐々木蔵之介若葉竜也、藤原季節、板橋駿谷、樋井明日香

 

 

 ※内容に触れているので覚醒してから読んでください※

 

 

「わからないとつまらないは違う」というのは映画監督入江悠の言である。

(6/10から氏の新作『22年目の告白』公開!筆者も出演。多分。)

思えば映画を「意味わかんなかった」で切り捨てるには惜しいメディアであると思うようになったのも、この言葉を聞いてからかもしれない。このブログを始めたのもそういう気持ちが高まったからだった。

 

この映画を観ている時程この言葉を思い出した時はないんじゃないかとすら思う。物語で起こることに徹頭徹尾説明がないのはいい。問題は「何を伝えようとしてこの映画を作っているのか」がわからないということだ。普段からどの作品を観てもわかっていないつもりだったけど、この映画に比べたら数段マシなんじゃないかと思える。

 

だからこそなのか、スポットで「めっちゃわかる」と思える箇所があった。リリー・フランキー亀梨和也佐々木蔵之介がニュースのスタジオで銘々の意見をぶつけ合うシーン。僕はこの場面の佐々木蔵之介の意見に死ぬほど同意してしまった。俺の脳内を読んで脚本に写したのかってレベル。

 

要約すると「自然の一部でしかない人間が環境破壊だなんだと騒ぐのは傲慢。人間も地球温暖化もサイクルの一部でしかない。」という感じ。僕の場合はシーシェパードとかあの辺が目立つようになったあたりから「人間が他の動物の保護をする」という行動にすごく違和感を感じて、理由を考えた結果こういう結論に達した。確か。

(理屈としてそう思うだけで、僕個人が捨て犬を殺処分していいとか思ってるわけではない。矛盾。)

 

それに対して僕らの味方リリーさんは「太陽系連合が人類抹殺を許可するはずがない」と反論、その証拠としてUFOを探しに家族で山登り、無駄に神々しい牛さんのお世話になりながら登頂、無事UFOを発見したリリーさん一家、と思ったらUFOにはリリーさんが乗っていて、地上にいるリリーさん一家を見下ろしているのだった。完。

 

わかるかいこんなもん。

 

でも書いてて思った、天然自然の一部たる牛さんが人類抹殺の可否を問う審判の場所に人間(精神は他星人)を連れて行く手助けをするというのは示唆的だ。つまり自然もジャッジを委ねこの地球を巡る人間と自然の因果に白黒つけたいと思ってるのかもしれないということ。

 

だって牛だよ?借りるのも連れて来るのもめちゃくちゃ手間かかるはずなのに、わざわざ連れてきて撮影してるってことは何か重要なメッセージがあるはずなんだよな。でもわかんない。でもつまんないわけじゃないの。

 

総じて観てる時はポカン(´⊙ω⊙`)だったけど、後から考える分には面白い不思議。金星人のミスコンとかぶん投げてるけどあれは橋本愛の美しさとそれを存分に引き出した撮影&照明で納得するしかない。終わり!

 

新作映画078: 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

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監督:ケネス・ロナーガン

出演:ケイシー・アフレックミシェル・ウィリアムズカイル・チャンドラー、ルーカス・ヘッジズ、カーラ・ヘイワード、C・J・ウィルソン 他

 

 

僕にもその土地に結びついた記憶というのは存在します。先日浅草から上野まで歩いていたのですが、道中カッパ橋の入口の交差点に立った時、高校の時3ヶ月弱でフラれた彼女との唯の2回のデートの内の1回で来たことを思い出していたからです。上野のついでとは言えなんでカッパ橋なんか行ったんだ。ていうかそんなだからフラれたんじゃないか。

 

主人公のリーくんは生まれ故郷であるマンチェスターバイザシーから車で45分ほどのボストンでアパートの便利屋をやっています。兄の死をきっかけに里帰りし、甥っ子の面倒を見ることになりますが、ある理由から彼の後見人として故郷に定住することを躊躇います。

 

その理由こそが故郷の地に根付いたトラウマメモリー。暖炉の不手際から家は全焼、3つの小さな命も失ってしまう。あまりに悲しい。 その地の近くにいればいるほど頭から離れない悲劇の記憶。でも持病持ちの兄とまだ若い甥のことを考えるとそう遠くに行けないから、車で45分といういつでも駆けつけられるなるべく遠目の距離を保っている。

 

リーくんが過去のトラウマから逃れられない中、周囲の人たちは未来に向けて進んでいます。若い甥は勿論、不幸にしてしまった元嫁ですら。でも、例え彼女に許されても、最終的に折り合いをつけるのは自分自身です。そして、それを可能にしてくれるのは長い時間です。周りはどうあれ、場所がどこであれ、「今はまだ」後ろ髪引かれながら前に進むことすらできない。

 

だから物語内で吹っ切るような展開にはしなかったのだと思います。それは作り手がリーくんに「まあゆっくりやればいいよ」と言っているかのようで、話の中で無理に乗り越えさせないあたりに優しさを感じました。話のキャラクターというより一人の人間として扱っているというか。

 

全編にわたってそこはかとなく散りばめられているユーモアもそれを後押ししているように見えました。自分が小学生のとき、泣いている友達がいると周りがそれとなくおどけて笑いを取ろうとするような感じがあったんですけど、それを思い出すというか。救急車に元嫁乗せる時の台車の足が中々折れなくて上手く乗せらんないとか全然笑うシーンじゃないのに笑っちゃったし。笑ってはいけないマンチェスターバイザシー。

 

なんかの見出しで「小津安二郎に最も近いアメリカ映画」みたいのを見て割と納得しました。過去に色々ありつつも劇中の「今」起こっていることを客観的に見つめて切り取っている感じというか。ただこの作品は記憶のフラッシュバックを編集で挿入してるとこが小津と決定的に違うところであり、同時にこの作品の味わいをググッと増している要因であると思います。

 

ラストシーンのアングルがさ、お兄さんの目線になってるのがいいよね……。