静かなる備忘。

レビューと言いつつ映画の感想と触発されて考えたことをだらだら書いています。むしろ後者がメインになりつつある。

新作映画レビュー038 : 『エクス・マキナ』を観て考えた「人と道具」。

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原題:Ex Machina

脚本・監督:アレックス・ガーランド

出演:ドーナル・グリーソン、アリシア・ビカンダー、オスカー・アイザック、ソノヤ・ミズノ

 

 

渋谷のパルコ3?の8階にあるシネクイントに初めて行ったんですけど、まずパルコの建物を間違えて8階まで行ってレストランフロアにたどり着き、5階に降りて連結通路まで歩いて、そこから女性用水着売り場を2回通り抜けて7階まで行き、階段を上ろうとすると「ここからは8階に行けません」とUターン、エレベーターでようやく到着。シネクイント難しい。

 

あらすじ。検索エンジンで有名なブルーブック社に務めるケイレブは、社内抽選で社長のネイサンの邸宅を訪ねる権利を手に入れる。広大な敷地を越えて辿り着いたケイレブ

は、ネイサンにここが人工知能の研究施設であることを明かされ、開発中のエヴァと対面しチューリングテストを行うことを依頼される―。

 

定期圏内の新宿シネマカリテでは(公開2週間足らずの)鑑賞時既に1日2回上映(今はレイト1回のみ)と冷遇気味な本作ですが、とても面白かった。エヴァの部分部分が透明で内部や奥が透けて見えるデザインを無駄のない研究施設のシンプルさが引き立てていて美しい。そしてラストシーンの後は色んな感情が渦巻いていましたが、その中にはある種の高揚感のようなものもありました。

 

ここからは展開のネタバレ有です。

 

 先日吉田恵輔監督の『銀の匙 Silver Spoon』(進学校にいた主人公が酪農高校に行って四苦八苦する、漫画原作の映画)を観てて思い出した事があって。まあ「は?」と思わず、それが僕が感じた本作の不思議な高揚感に繋がるところもあるので読んでください。

 

以前、大学の哲学の授業で「人間は地球上においてたまたま頂点捕食者の座にいるにすぎない動物の一種なんだから、その下位に位置する動物を保護したりする必要はない。そういう種に産まれたのだから天然の資源をどう利用しようと責める謂われがないし、保護などはむしろ傲慢さや驕りを感じる。その代りもし他の(地球内外問わず)生物種に脅かされた時僕は何も言えない。」みたいなことをコメントペーパーに書いたらそれが先生に読まれた事があったんです。いや、要約して書くと相当批難されそうな感じですけど、まあそういう感じのことを書いたんですよ。実際僕個人がどうするとかは別問題ですよ。そういう(確か「人間と自然」みたいな)テーマの授業だったのでその場で考えたことを書きました。シーシェパードとか見てるとなんか腹立つとかはありますけどね。

 

ここからが本作を観て考えたこと。僕は人類学とか知りませんけど、多分人間が他の動物を支配できる立場にまで発展したのは「道具」を使うようになったからですよね。まあ『2001年宇宙の旅』には道具の発見、発展が人類の活動領域の拡大、技術の発達であるということを示す素晴らしいジャンプカットがありましたし、そういうことにしましょう。

 

で、それは言い換えると、そういう(僕が言う)発展に伴う驕りを生み出したのは道具であるということにもなる。だから、「人間が作り出した究極の道具たるアンドロイドに滅ぼされるっていうのは、人間の終わりの落とし所として相当妥当だし、むしろそうあるべきだよなあ。」なんて観終わったあと考えちゃいました。

 

そこにたどり着くにはまず人間がアンドロイドに道具として利用されるという過程があるかもしれず、そういう意味では今作のラストはとても…まあある種痛快でした。人類に創造されたアンドロイドが人類の天狗鼻をへし折ってやったぞっていう。エヴァの側から見ると結構熱い話ではありますよね。だってショッカーに作られた改造人間である仮面ライダーがショッカー首領を倒すようなもんじゃん!!やったね!!

 

 まあだから、反対する声もあるようだけど、僕は痛い目みるまでAIの開発でもなんでもやればいいんじゃないですかと思います。それで滅んだら事故責任だし、他より秀でた存在が幅を利かせるのがこの世界で、人間はその権利を行使してのうのうと生き永らえてるわけですから。やりかえされたって文句言えないでしょう。

 

たかがワンシチュエーションの心理戦ぐらいで何をそんなに飛躍したことを考えてと自分でも思わなくもないですが、それだけこの作品に切迫したリアリティを感じずにはいられなかったということなのでしょう。

 

こないだ世界最強レベルの韓国人囲碁棋士イ・セドルとコンピュータ囲碁プログラムAlphaGOが五番勝負をし、1-4の結果に終わった事がネットで話題になったのは記憶に新しいです。その時、「マジでシンギュラリティってそのうち来んだなあ」ってぼんやり思いましたし。フィクションじゃ珍しくもない構図ですがそういう現実が刻一刻と迫っているのかもしれません。この映画のラストシーンの後の展開を考えることが人類の行く末を考えることになる…のかもしれません。